和貴の『 以 和 為 貴 』

聖徳太子が目指された世界・・・神道編

以 和 為 貴

ゆぅすけです。

今回は神道のお話・・・と言いたいところではありますが、実を言いますと、これまで日本書紀や古事記というものを、一度も目にしたことがないのであります。断片的ではありますが、天照大神や神武天皇や仁徳天皇のお話や、常陸国風土記やアマミノクロウサギのお話をほんの少し知っているだけに過ぎないのです。ですから「お前如きが神道を語るとは何事か!」と叱責されるやも分かりませんが、これから先も、日本書紀や古事記というものを目にするつもりはありません。それはより現代日本人として、この国の有り様を見続けていきたいと思うからであります。

仏教にしても私は「南無阿弥陀仏」を唱えるだけであります。お釈迦様の教えを知りたくば出家すれば良く、私如きはまだまだこの俗世の中で凡人として生き、まずは先人やご先祖様の気持ちを知り、感謝と反省の日々を送らなければならないと思うからであります。

知識というものは、一歩誤れば人間の心に傲慢さをもたらします。そしてこの傲慢さは、他者に対する押し付けや強制といった念が宿ることにもなります。それは過去の人類史が物語っています。

それに私たちの祖先全てが、日本書紀や古事記の内容を知っていたとは到底考えにくいものでもあります。

神道のわが国にとっての役割は、祈りの文化であります。古来より稲作が盛んに行われたわが国にとって、五穀豊穣を祈る儀式はとても大切なものでありました。私たちの祖先は純粋な気持ちで祈りを捧げられ、豊作を祝い、天地に感謝の念を奉じます。

そして神道を司る天皇は、あらゆる神々に対しての祈りを捧げられ、五穀豊穣だけでなく、世界平和への祈りを捧げられてきました。

わが国の淵源ともいうべき神道を、絶対に衰退させてはならないと考えた太子の想いは、のちに神仏習合という形で残されることになります。



この画像は、明治期に撮影されました大坂・四天王寺の写真であります。「お寺なのに鳥居?」そう感じられる方もおられるでしょう。しかし四天王寺は日本最古のお寺としても有名でありますが、そう考えれば日本仏教の始まり自体が神仏習合だったのですから、まずはお寺に鳥居がないこと自体が本当は不思議なことなのかも知れません。

さて、太子は崇仏派の蘇我氏と、崇神派の物部氏との権力争いの中で、蘇我氏側勢として戦い、そして勝利します。

その勝利を讃えるために建立されたのが四天王寺ではありますが、この時太子は、神仏習合を採り入れることで、神々と仏が同居する国・日本を生み出されたのでした。

太子は神道だけでもなく、仏教だけでもなく、それらが一体となりて国民がひとつになる術を見抜き、国家の安定を構築されました。そして神道も仏教も役割が与えられ、仏教は先祖代々から繋がる家族の絆を深め、地域の安定を目指し、神道は五穀豊穣を祈ることで地域の絆を深め、国家の安定を目指すという一連の流れを築き上げられたのでした。

よって、国民と国家との関係を結ぶ上で絶対に欠かすことが出来ないものこそが神道であります。

権力争いに破れたとはいえ、物部氏の神々に対する想いをきちんと受け継ぎ、後世にそれを引き継いでいった太子の想いは、勝ち負けだけで正義を選ばず、破れた者であってもそれが正義ならばきちんと敬うことで、真の平和が成就するという日本人固有の考え方が出来上がったのだと妄想するのであります。


最後に、日本人特有の「和の心」を創造したのは、神道だけでもなく仏教だけでもなく儒教だけでは決してありません。聖徳太子が示された「和」の精神が、後の世の人々によってさらに創造され、日本人の心として今なお、私たち現代人の心奥底に眠っているのであります。

歴史事実など間違っていても良いではないですか。

そんな小さなことよりも、ひとりひとりがこの国を考え、平和を願い、未来の子供たちに繋いでいく努力をする事のほうが、何より大切なことだと思います。


ではでは、私の大妄想に最後まで付き合って頂いたことに、深く感謝致します。

有難うございました。

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コメント一覧

yusuke1012
goozmakotoさん、こんにちは。
いや~、歴史のある家柄で羨ましいかぎりであります。羨ましいといいましても、仰られますように色々と苦難もあったでしょうから、おそらくご先祖様もさぞ、こうして語り継いでいかれることに喜んでおられることと思います。
「江戸の残滓」、早速拝読させていただこうと思います。
有難う御座いました。
goozmakoto
「逝きし世の面影」は文庫にしても600頁にわたる大著です。小生は、応仁の乱以前の戦乱で敗れて帰農した、いわば落ち武者で親戚だけで長年隠れて暮らした本家の次男です。いつの間にか本家より分家が強くなり、いやな思いばかりしましたから田舎は嫌いです。それでも昔の日本の残滓は懐かしく思います。その思いと前掲書の書評を2019年1月2日の「江戸の残滓」というブログに書きました。興味あればお読み下さい。
yusuke1012
goozmakotoさん、こんばんは。
「逝きし世の面影」ですか、なんだかとても興味が沸いてきますタイトルで
あります。
幕末期におきましては、まだまだ一般の庶民にとりまして、青い目の人間もそうでありましょうが、南蛮品に相当、心が惹かれたんではないでしょうか。
日本人は好奇心が旺盛な民族だとする文献を、何かしらで読んだことがあるだけという、私のへっぽこ知識ではありますが…。
有難う御座いました。
goozmakoto
直接のコメントにはなりませんが、最近読んだ「逝きし世の面影」という本を紹介します。幕末から明治初期の日本の庶民の姿を欧米人の記録から、渡辺京二氏がまとめたものです。氏は、これらの姿は全て今の日本にはない、と言いますが、氏は子供の頃大連で過ごしたせいだと思います。津波で壊滅した下田の人々が明るく暮らしていたことなど、東日本震災後の日本の姿を髣髴とさせます。ただし、外国人が来ると日本人は皆寄ってきて話しかけた、という点だけが意外です。西欧文明邂逅以前の自然な日本を知る好著として推薦します。お読みかも知れませんが。
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