本日はここからです。
はい味方の本! щ(゚ー゚щ)来てよ来てよカモーン!
ここですね。
国道8号線を越えて進みます
ここは福留町。
しばらく歩くと、左手に神社が現れます。
味知郷神社と、変わった名前ですね。
入ります。
むむ
目標の松の木とあります。
この木です。
漁師の方々が遠く海からこの松を見て、漁場の位置などを目安にしてたなんて驚きだよ
その最後の一本か・・・、
面白い神社ですね。
進みますよ~
合流します。
ん?太鼓の里?
浅野太鼓さん。
創業慶長14年とあります。調べてみるとなんと400年の歴史を持つ和太鼓会社でした。
おや?なにかあるぞ。
説明があります。
ふむふむ
ここについては、味方の本にも写真つきで掲載されています。
かつては泉が湧き旅人の咽を潤していた夏の水観音から・・・と書いてあります。
泉が湧いた場所、これですね。
じ~
おや
源兵島とあります。
島と付く町があるということは、手取川が近いということですね。
手取川は相当の暴れ川だったから、
大雨により氾濫洪水も多く、周りの土地は水満たしになり、その風景はまるで島のようになることから、
手取川周辺には島が付く町が多くあります。
それにしても源兵という名が気になる。
源平合戦の源軍兵士の由来でもあるのかな?
武甕槌神社です。
燈籠多し!
さらに進みますと
左手に郵便局が見えてきました。
郵便ポストの横に一里山跡の碑があります。
一里塚のことですね。
水島。また島ですね。
集落から抜け左手を見ると、
収穫前の麦畑の向こうに白山が見えました
味方の本によると、
源兵島から水島へ進むが、この二つで一つの宿駅としており、手取川の洪水の時には繁盛していたと書いてあります。
ほどなく川北町に入りました。
木呂場「ころば」と呼びます。
カワイイ名前ですね。
さてこの辺りか、
味方の本、再びカマ~ン!щ(゚ー゚щ)
問題はここなんだ・・・
ここから旧北国街道は今の道路から外れて存在したことになってるんです
町内案内図があります。
あそこ、
こういう感じで旧街道は走っていました。
向うの神社前の道につながるわけで・・・
だから当時はこういう感じで道が続いており、
この緑地部分はその名残りと思われますが、
そして反対のこちら側につながっていたんです。
では進みましょう。
左に神社、少彦名神社。
右に・・・・
出ました!
明治天皇御小休所です。
記念碑に
説明の碑文
1878(明治11年)年10月5日、明治天皇北陸御巡幸の際、手取川を渡る前に、この地にあった木呂場(ころば)の茶屋で御休憩された。
当時手取川に橋は架かっておらず船で渡っていました。しかし天皇御巡幸のときは危険なので船を数珠繋ぎに並べ板を渡した上を駕籠で渡られたとある。
ここは松尾芭蕉も通過しています。
さてと、
また道がない・・・
直線上にあったはずです。
どんどん進みたいが、
さすがにここは無理です。
しかたがないので現代の道を行きます。
もう能美市に入りました。
川北町は東西に細長いので、入ったと思ったらすぐ抜けました。
旧街道は、この採石場をぶち抜いてあったっことになります。
そしてようやく、
手取川に到達します。
さてと、
左手眼下の河原を見ますと、連日の好天で川の水が少ないですね。なんか干上がってる感じです
旧北国街道はそのあたりにあったことになりますが、このような感じかな、
旧北国街道全行程での最難所といえば、越後(新潟県)にあった親不知でしょうが、
加賀国内でいえば、きっとこの手取川が一番だったでしょう。
こんな暴れ川に橋は架けられません。
橋が無い以上、舟で渡るか徒歩で渡るかですが、
雨になれば何日も足留めを食ったはずで、先ほどの源兵島・水島で待機ということになるんでしょうか。
この説明板によると船頭が両岸に張ってある縄を辿りながら小舟で渡っていますね。
でも今日のように水が少ないときは、きっとラッキーでほとんどの者が徒歩で渡ったはずです。
あのあたりから河原に下り、
石コロに足を取られないように、
多少は濡れますが当時の旅人にとっては全然楽勝だったと思います。
この水量なら行けるな・・・
オイラも手取川を渡河するぞ
がるるる・・・。、
河原に向い、
降りたつ
がおぉぉー!!!
石ころがなんだ
流木がなんだ!
オイラはこんなもん乗り越えていく
おっ
川が見えてきた。
むむ
ごくり
左を向くあそこなら・・・、
ここなら渡れそうだぞ。
うぉぉぉ・・・
ジャバ
ジャバジャバ
もう少しだ。
よし!
上陸
対岸に着いたぞ。
えっほえっほ
ふぅ~
あれ、
TFLか・・・
あっ「手取フィッシュランド」のことね
旧街道はこのフィッシュランドも突き抜けて、
このあたりに出たはずで、
こういう感じだったのかなぁ、
その木は街道沿いの名残りのようにも思えるし。
味方の本によると、この先の交差点付近で合流しています。
その交差点に到達です。
今日はここまで。
今回はここまで進みました。
グーグルマップではこう
次回は寺井編に続く。
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◎味方の本(書籍紹介)
はい味方の本! щ(゚ー゚щ)来てよ来てよカモーン!
ここですね。
国道8号線を越えて進みます
ここは福留町。
しばらく歩くと、左手に神社が現れます。
味知郷神社と、変わった名前ですね。
入ります。
むむ
目標の松の木とあります。
この木です。
漁師の方々が遠く海からこの松を見て、漁場の位置などを目安にしてたなんて驚きだよ
その最後の一本か・・・、
面白い神社ですね。
進みますよ~
合流します。
ん?太鼓の里?
浅野太鼓さん。
創業慶長14年とあります。調べてみるとなんと400年の歴史を持つ和太鼓会社でした。
おや?なにかあるぞ。
説明があります。
ふむふむ
ここについては、味方の本にも写真つきで掲載されています。
かつては泉が湧き旅人の咽を潤していた夏の水観音から・・・と書いてあります。
泉が湧いた場所、これですね。
じ~
おや
源兵島とあります。
島と付く町があるということは、手取川が近いということですね。
手取川は相当の暴れ川だったから、
大雨により氾濫洪水も多く、周りの土地は水満たしになり、その風景はまるで島のようになることから、
手取川周辺には島が付く町が多くあります。
それにしても源兵という名が気になる。
源平合戦の源軍兵士の由来でもあるのかな?
武甕槌神社です。
燈籠多し!
さらに進みますと
左手に郵便局が見えてきました。
郵便ポストの横に一里山跡の碑があります。
一里塚のことですね。
水島。また島ですね。
集落から抜け左手を見ると、
収穫前の麦畑の向こうに白山が見えました
味方の本によると、
源兵島から水島へ進むが、この二つで一つの宿駅としており、手取川の洪水の時には繁盛していたと書いてあります。
ほどなく川北町に入りました。
木呂場「ころば」と呼びます。
カワイイ名前ですね。
さてこの辺りか、
味方の本、再びカマ~ン!щ(゚ー゚щ)
問題はここなんだ・・・
ここから旧北国街道は今の道路から外れて存在したことになってるんです
町内案内図があります。
あそこ、
こういう感じで旧街道は走っていました。
向うの神社前の道につながるわけで・・・
だから当時はこういう感じで道が続いており、
この緑地部分はその名残りと思われますが、
そして反対のこちら側につながっていたんです。
では進みましょう。
左に神社、少彦名神社。
右に・・・・
出ました!
明治天皇御小休所です。
記念碑に
説明の碑文
1878(明治11年)年10月5日、明治天皇北陸御巡幸の際、手取川を渡る前に、この地にあった木呂場(ころば)の茶屋で御休憩された。
当時手取川に橋は架かっておらず船で渡っていました。しかし天皇御巡幸のときは危険なので船を数珠繋ぎに並べ板を渡した上を駕籠で渡られたとある。
ここは松尾芭蕉も通過しています。
さてと、
また道がない・・・
直線上にあったはずです。
どんどん進みたいが、
さすがにここは無理です。
しかたがないので現代の道を行きます。
もう能美市に入りました。
川北町は東西に細長いので、入ったと思ったらすぐ抜けました。
旧街道は、この採石場をぶち抜いてあったっことになります。
そしてようやく、
手取川に到達します。
さてと、
左手眼下の河原を見ますと、連日の好天で川の水が少ないですね。なんか干上がってる感じです
旧北国街道はそのあたりにあったことになりますが、このような感じかな、
旧北国街道全行程での最難所といえば、越後(新潟県)にあった親不知でしょうが、
加賀国内でいえば、きっとこの手取川が一番だったでしょう。
こんな暴れ川に橋は架けられません。
橋が無い以上、舟で渡るか徒歩で渡るかですが、
雨になれば何日も足留めを食ったはずで、先ほどの源兵島・水島で待機ということになるんでしょうか。
この説明板によると船頭が両岸に張ってある縄を辿りながら小舟で渡っていますね。
でも今日のように水が少ないときは、きっとラッキーでほとんどの者が徒歩で渡ったはずです。
あのあたりから河原に下り、
石コロに足を取られないように、
多少は濡れますが当時の旅人にとっては全然楽勝だったと思います。
この水量なら行けるな・・・
オイラも手取川を渡河するぞ
がるるる・・・。、
河原に向い、
降りたつ
がおぉぉー!!!
石ころがなんだ
流木がなんだ!
オイラはこんなもん乗り越えていく
おっ
川が見えてきた。
むむ
ごくり
左を向くあそこなら・・・、
ここなら渡れそうだぞ。
うぉぉぉ・・・
ジャバ
ジャバジャバ
もう少しだ。
よし!
上陸
対岸に着いたぞ。
えっほえっほ
ふぅ~
あれ、
TFLか・・・
あっ「手取フィッシュランド」のことね
旧街道はこのフィッシュランドも突き抜けて、
このあたりに出たはずで、
こういう感じだったのかなぁ、
その木は街道沿いの名残りのようにも思えるし。
味方の本によると、この先の交差点付近で合流しています。
その交差点に到達です。
今日はここまで。
今回はここまで進みました。
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