ゆり☆Sweet Memories

約1年半続けたブログから移転☆
都内でサービス系法人営業やっていましたが、現在産休中☆

現実の中で生きる

2006年11月22日 | 日記
「差別はね、当然なんだよ。」

「君に対してどう接すればいいのか、皆が困ったのだよ。本当は関わり合いになりたくない。しかし露骨にそれを態度に示すのは道徳に反することだと思っている。だから必要以上に気を遣って接することになる。逆差別という言葉があるが、まさにそれだ。」

「会社にとって重要なのは、その人物の人間性ではなく社会性なんだ。」

「差別のない世界を探すんじゃない。君は、ここで生きていくんだ。」

全部、『手紙』からの台詞です
この話は、「強盗殺人の弟」が主人公で、犯罪加害者の家族について書いたものなんだけど…核心をついています

極端な例で就活に例えると、家族が借金を抱えている場合(返済期限を守っていなかったり)、いくらその人が経済に詳しくても「お金を扱う信用」という面からその人を採るわけにはいかない
もしかしたらその人は自分のことではないのに…と理不尽に思うかもしれない。
周囲の人が羨ましく、そしてその会社の人事を腹立たしく思うかもしれない。
だけど『手紙』から言わせて見れば、種類は違うけどそれは当然の処置であって、会社に腹をたてるのはお門違いなんだって。

私もここ数年、特にこの半年は似たようなことを考えていました。
直接自分が何かをしたわけじゃなくても、こういった理不尽なことって生きていく上で経験すると思う。
差別やいじめがなくなったら素敵です
でも、現実にはそれは不可能に近いこと。
(悲観的になっているわけじゃないけど

だからと言って、そこから逃げても何の解決にもならない
険しい道のりだろうけど、地に足つけて今ある関係性の1つ1つを大事にして、少しづつその関係性を広げていく("べき"とまでは言い切れないわぁ)

で、何を言いたかったのか忘れちゃった。
最近のいじめ問題のことを言いたかったんだけど

「いじめをなくそう」
「いじめは悪いこと」

と言っても、現実にはなくならない
だからと言って、いじめが良いなんてことは思ってない。
理不尽なことだけど、そこで生きる術を見つけなくちゃならない。

さすがに学校じゃそんな風には教えられないだろうけど
学校は学校で、奇麗事だとしても素敵に道徳を教えるのが大切な役割だと思うし

現実は大変だけど、頑張って生きてもらいたいな