A Clockwork Gallus

A Clockwork Gallus

すっきりした話

2007年10月25日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
帳簿のつじつまが合った。

やはり貧乏に変わりはなかった。


図書館でCD1枚と本を4冊借りてきた。
でも結局読む事が出来ず返すはめになるかも。

いつもの事なのです。

のら

2007年10月25日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
今日は仕事が休みなので、朝ジョギングに行ってきました。

川沿いのサイクリングコースを6キロ程走るのです。

その道には捨てられた猫がたくさんいて、「猫にえさを与えないで下さい」と立て札も立っているのだが、近所のおばあさんたちがこっそりと世話している様なのです。

結構可愛いのらねこがいて、近寄っても逃げないので私もジョギングの足を止めて、ひとなでふたなでするのです。
愛想じょうずなのらなのです。




ノラ・ジョーンズ聞いてます。



すっきりしない話

2007年10月25日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
今日は現場の工程が手詰りになったので仕事が空けになった。

朝からパソコン上の経理帳簿と銀行の残高と財布の中味とが上手く合っていないので確認中なのだ。

銀行口座が三行で六つもあって、私の知らないところで(自宅や子供に関する自動引き落とし分)お金が引き落とされていたり、彼女のカードローン分があったりでとても大変なのだ。

口座間のお金の流れをもう少しすっきりさせたいのがけど上手く行ってなくて複雑でややこしいのだ。

しかも貧乏でローンも沢山あるし。

歴史-6

2007年10月25日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
歴史と言うものは風格あるものだと思っていたのに、テーマが昭和35年だと聞いて はぁ~? な気分になってしまったのだ。

このブースの一角にはかなり大きなターンテーブルがあって、それをくるりと回せば展示物が入れ替わる様な仕掛けになっているのだが、まさかその上にちゃぶ台やら おひつやら 鍋とかお釜とか、氷を入れて冷やす冷蔵庫やくるくるローラーのついた洗濯機なぞを並べるのではないかと恐れているのだ。

立派な舞台なのだ。

そうならこけら落としで、森光子さんの「放浪記」がやれそうなのだ。

しかも、そんなものでよければ徳島の実家に帰ればいくらでもありそうだ。

2階の内田修さんのコレクションとともに、ここで〈鶏〉コレクションが出来そうなのだ。



いや、そんな事より驚愕したのは私の生まれた年がもう歴史と言う切り口で扱われる事だったのだ。「そうかぁ、私の人生はもう歴史の中に存在して行く時間を過ごしたのかぁ」と思ったのだ。

確かにもうすぐ半世紀の人生になるからなあ。

半世紀の中で偉業を成し遂げる人もいるのに自分は何してるんだろなあ、と思ったのだ。

長い時間を自分の快楽の為にだけ費やして、その時間のなかの記憶は私自身の消滅と共になくなってしまうのだろうなあとちょっと悲しくなる。
歴史発見される程のミステリーも存在しないのだ。

近くの踏切に飛び込み自殺した人は、30歳くらいの若い女性だったらしい。
30年の時間のなかでなにかしら歴史を刻む事が出来たのだろうか。



歴史にはじかれたまま轢死してしまったのではないのだろうか。

おわり。