A Clockwork Gallus

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歴史-2

2007年10月21日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
ウィキペディアに依ると、「歴史(れきし)とは、人間社会の過去の出来事を、時間・空間的な分析を行い、因果関係を持って記述した史料の事で、より広い意味では、出来事そのものを指す。また、人間社会以外の大きな事象に対しても、用いられる場合がある。」と書かれてあった。

先日、我が家の近くで、踏切内への飛び込み自殺があった。
ここは以前にも何度か自殺があった場所で、怨霊が人を呼んでいるのだとまことしやかに噂されている。


街の資料を調べれば、この場所が何か特別の場所だったとかいう昔の記憶が掘り起こされるのかもしれない。

ウィキペディアの概論に依れば、このような事も街の歴史と呼べるのかもしれないが、何となくぼんやりと歴史という言葉の持つイメージは、現代の文化 思想に大きく影響を与えた過去の社会的規模の事象であって、「昔インベーダーゲームが流行りまして」とか、「私の若い頃はテレビも白黒でした」何て言うのは歴史と呼ぶには少し軽薄感がある。

ところがなのだ。

今回の歴史展示ブースの展示内容のテーマが「昭和35年」なのだ。

昭和35年と言えば何を隠そう・・・


続く



今日の思想

2007年10月21日 | 今日の〈ねじ式〉(完結)
ラジオ番組で。

或るコメンテーターが「集団自決に軍が関与していたかどうか」の問題について、正か否かどちらかに結論付けようとしている事は基本的に間違いであるとして、当時の記憶はもう今や曖昧であるとしながら独自で多数の人にインタビューした結果、強要されたと言う答えもあるが、当時の摺り込まれた思想のに於いて自ら自決しようと決意したと言う答えもあり、その人にとってはどれもが正解であり、百人百様の答えがある訳でそのすべてが正しい訳だから まる か ばつ かと言う論争は危険である、としゃべっていた。

なるほど。


この人の考えをまとめると、集団自決は軍に命令されたことも事実だし、それとは別に自らの意思で自決した人も勿論います、そしてどちらかに決めると言う事は出来ません、ということなのだ。

アナウンサーが、「そうですね、全ての意見に疑問を持って判断するって言うことですね」と言ったら、「否 全ての意見が正しいととらえると言う事です」と訂正していた。



だがしかし、今問題になっているのはとても単純に言うと軍が関与したのかどうか、まる か ばつ かなので 、そうなると関与したと言うのが正解らしい。

なんか、パラドキシカルな話だ。