知らない人がいるはずないのですが・・・
11日の午後3時前に宮城県沖で観測史上最大のM8.8M9.0の大地震がおきました。
その後すぐに茨城県沖が震源地の地震がありました。
私の住んでいるいわきでは、震度6弱。
今までにない、長い時間揺れている地震でした。
その揺れが時間とともに、おさまるのではなく、強くなっていきました。
それは、本当に本当に怖いものでした。
私たち家族は全員無事です。
親戚身内みな無事です。
私は今、いわき市の江名という町にある会社で仕事をしています。
江名も、小名浜や、四倉、久ノ浜ほど全国的にメジャーではないけれど、漁業が盛んな町です。
1回目の地震で、かなり動揺していたのですが、2回目の地震の後に津波がきてるから早く帰れと1回目の地震の後に現場から戻ってきてた職人さんに言われて3時半過ぎに会社を出ました。
途中、落石してた場所が1ヶ所。
ニュースでも通行止めを発表してましたが、鹿島街道に出ると、道路に亀裂がずっと入っていて、走っているときもとても怖かったです。
ガソリンを入れておこうと思ったのですが、発生直後の停電の影響かガソリンスタンドの入口にはロープがはられていました。
仕方がないので、ガソリンは諦め、自宅の状況を確認しに戻り、すぐに子ども達を迎えに行きました。
自宅は、食器がいくつか割れちゃってたのと、洗面所やお風呂、トイレ、部屋などで物が散乱してました。
冷蔵庫が前進してたりもしました。
それから、壁が珪藻土なので、四隅やボードの継ぎ目なんかが、剥がれ落ちてしまってる所がありました。
写真もその1つです。
余震の回数は、日に日に減ってはきてますが、今日になっても震度3以上の余震がまだあるので、油断はできません。
そして、昨日になって、ニュースでもみなさんご存知のとおり、東京電力の福島第一原発の原子炉の1号機の水素爆発がありました。今日の午前11時にも3号機の爆発。そして、今、2号機も完全に燃料棒が露出してしまったとの報道がありました。
今夜から、東北地方の天気は悪くなる予定です。寒くなるということは、暖かかった今日までと風向きもかわり風も北風になると予測されます。北風になると私の住んでいるいわき市は、原発の位置から南に位置するので、空気はこちらに流れてきます。今後、雨や雪が降った場合、放射能が微量でも漏れていたとするならば、放射能が含まれた雨や雪が降ってくるということなのでしょうか?
天気予報は夕方から何度もやってますが、そのような情報はまったく入ってきません。
計画停電でパニクッてる都心のみなさまの心中も察することができますが、こちら側からすれば、地震で多くの人が被災している上に、私たちの住む県内の人たちの中には、都心の電気供給の為の原発で(東京電力の原発なので)怯えている人たちがたくさんいるのに…と思えてなりません。
全国的に津波警報、注意報が出されて、大変な被害がでているというのに…
怖い思いをしながら避難してる人、会社がなくなってしまって職を失った人…大変な思いをしてる人たちがたくさんいるのに…
まぁ、そんな事を言っても、仕方ないですよね。今までの私も震災を受けた人たちの気持ちを心から感じた事はなかったわけですから。ほんと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
我が家は、家が無事だったので、今のところ困っているのは断水ですね。電気は11日の夜に30分ぐらいの停電があった程度です。同じ団地ないでも一晩停電してたところもありましたが、翌日の昼前には復旧してました。
ただ、断水はずっと続いていて、トイレもお風呂のお湯をたまたま流さずにいたので、何とかなってますが、生活用水は給水車がきていても大行列で、小さい子供を2人つれて並ぶには30分ぐらいが限度です。翌日、翌々日は4時間以上待ちの給水所がほとんどでした。今日になって復旧した場所がほんの一部あり、給水所の栓の数が増えたことで大分緩和されたように思います。
我が家のパパさんは、地震当日の帰りは夜中の12時を回っていました。その後朝6時過ぎにはまた出勤してしまったので、余震が怖かったので11日は実家に泊まりました。電気工事の仕事をしているパパさんなので、災害復旧があるのは仕方ないですね。でも、やっぱり心細かったです。昨日も今日も朝早くから出勤してましたが、今日はお昼過ぎ、比較的早い時間に帰宅してきてくれたので、エコキュートの非常時に使える給水弁から、給湯器のお湯を少し抜き取って、10日以来、久しぶりにシャンプーをしました。頭が軽くなったような気がして気持ちがよかったです。子供たちも樽を使ってお風呂に入れてあげました。
近くのスーパーは天井が崩落している箇所もあったのですが、地震の翌日にも通常の開店時間にお店を開けてくれていました。天井が落下してしまっているので、入場制限もかけられていて、お店の入り口には長蛇の列ができていて、午前中~お昼過ぎまでは2時間待ちは当たり前でした。ただ、物流センターに配送が全くこないので、物も今あるものがなくなってしまえば終わりとのことでした。12日は夜の7時半まで営業してましたが、13日は6時半に閉まってしまいました。そして、今日は5時に様子を見に行った時にはすでに閉店してました。
原発のことがあり、雨にそなえて食料も水も蓄えておかなくちゃいけない気持ちはみんな同じですよね。
それから、ガソリンスタンドがどこも底をついていて店をあけていません。開くかどうかわからないスタンドに早朝から行列ができているそうです。開いても1台10ℓまでなどの制限がされているようです。そんなわけで、ガソリンを入れることもできずにどこにも行けない子供たちはエネルギーがありあまっていて大変です。
こんな生活がいつまで続くんだろう…
家が無事で家族全員無事なだけで幸せだと思わなくちゃ…
いわき市でも、身近な人に津波においかけられながら必死に逃げてきた人がいたり、職場で津波においかけられながら裸足で必死に逃げたけど、後ろの人が助からなかったという話をきいたり、パパさんの親戚の方は、自宅に帰ってみたら、1階はグチャグチャで流されていて家の近くは焼け野原だったという話をきいたりしました。
本当に、話を聞けば聞くほどやはり恐ろしい出来事だったなと思います。
昨日、ようやく連絡がついた社長も、家に帰らずにずっと災害復旧作業をしているそうです。海の方に行っている社長は、言葉では表すことができないぐらい辺り一面ひどいんだ。と力なく語っていました。
遠くにいる親戚が、少しでも何かを送りたいと宅急便やさんを訪ねたら、東北地方への配送は受け付けられないって言われてガッカリしたよ。という電話を実家で受けました。そうなんだね。高速道路も救援のための車両とかに規制されてるみたいです。とりあえず、気持ちだけありがたく受け取っておきます。
洗濯もできないので、着替えもできません。夜もいつでも避難できるように、今のところ服を着て寝ています。
みんなが、元通りの生活ができるようになるのは、いつになるんだろう…
その時まで、みんなでがんばろうと思います。