プラチナのように輝いて!

定年生活も軌道にのってきました。
シニアー夫婦の日々を綴ります。

私の新婚時代

2010年04月29日 | 家族
「ゲゲゲの女房」を見ていると、ふと40年前の 新婚時代 を思い出す。

あれ程ひどいものではなかったが、私達の新居も2K、6畳と4畳半の和室に1畳程度の台所。

トタン屋根の平屋の借家で、雨が降ると雨音が煩くて眠れなかった!

それでもなにひとつ文句も言わず、初々しく働いていた自分が懐かしい!


場所は今や東京のベッドタウンとして目覚しい変貌を遂げた 埼玉県越谷市

会社の規約で転勤以外は社宅入居が許されず、当時六本木に通勤していた彼の交通の便を考え、

日比谷線直通東武伊勢崎線沿線の越谷を新生活のスタート場所に選んだ。


が、広島から上京してきた私でさえ、当時の越谷はとてつもない田舎に思えた。

道路脇でモンペをずり下げ、用をたすご婦人に目玉が飛び出すほどびっくりしたこともある。

その借家のすぐ裏は原っぱ、そして脇には用水路。これまた食用ガエルがゲロゲロと賑やかなこと。
また夜な夜なそれを捕獲しに懐中電灯片手に何者かがやってきて、怖かったこと!

原っぱには勝手気ままに皆が車を駐車。

暗闇の中、車のライトで我家が浮かび上がる。まるで脚光を浴びる舞台女優のよう!(笑)

新居にはクーラーも瞬間湯沸かし器もなかった。

越谷は当時冬場になると水道管が凍りつくほど寒かった。

1年目慣れない水仕事に手はあかぎれで痛々しいほど腫れあがり、血がにじんだ。

慌てて夫が瞬間湯沸かし器を取り付けてくれた。嬉しかったな~。

結婚した翌年の夏、長女を身ごもっていた私は臨月、汗だくだったが何とか暑い夏を乗り切り無事出産。

しかしその翌年クーラーのない生活に長女はアセモだらけ、私は二人目の子をお腹にフーフー言っていた。

そこでやっとクーラーが登場!その快適さには涙が出るほどの喜びだった。

電話もなかった。当時は住宅急増に回線が間に合わず、7年待ち。とうとう都内に引っ越すまで電話はつかなかった。

急用は電報!という時代だった。

お風呂とトイレは一応ついてはいたが、勿論ボットン便所。結構いろいろなものを落とした(笑)
ズボンのポケットに入れていたお財布を落としたことがあり、網で拾い、お金を洗って乾かしたりもした。

   
  昭和47年長女10ヶ月、私妊娠6ヶ月                 長女2歳パパのお手伝い


そんな越谷での生活も2年半、夫の移動で都内の社宅に入居できることになった。

世田谷の閑静な住宅地にある社宅、ようやく文化的な生活ができるようになった私達。
(越谷の家賃と借りた駐車場月額が同額には驚愕した!)

これが憧れの東京の生活なんだと、感激したのを昨日のことのように覚えている。


今の若者には考えられない私達の新婚時代だ!

それでもあまり不自由とも思わず、その場その場で環境に順応し一生懸命生きてきた。

人と人との繋がりも温かく、未来に希望が持て、エネルギッシュに前へ前へと進んでいた。

今日は 4月29日 「昭和の日」! 

昭和を懐かしみ、思い出に浸る自分に、歳を感じる今日この頃。



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29 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あざみ)
2010-04-29 09:21:42
夢路さんお早うございます
今日のブログ夢路さんに親しみを感じます
うん うん そうだった そうだったよ
全く同じです。土地は変われど同じ時代に新婚生活を送った人たちが多かれ少なかれ経験しています。よっぽどの恵まれた新婚さんは別ですが。
家賃は4500円でした。暫くして4.5畳と6畳では子供が二人に増えピアノを購入しておく場所がなく、ちょっと大きめの2階建てに引っ越したら家賃7000円に跳ね上がりビックリしたことを覚えています。懐かしいお話ありがとうございました。
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懐かしいですね。 (bonji)
2010-04-29 11:49:05
誰もがそんな時代でしたね、
お写真の夢路さん横顔、
面影が残っています、
可愛い新婚時代です懐かしいですね。

ゴルフは初心に戻り、
新婚時代の思い出に浸り、
素敵なものを見せていただきました。

          bonji
               
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Unknown (ビオラ)
2010-04-29 13:57:00
懐かしい昭和の光景
私も似たり寄ったりの生活でした
今のような快適生活ではなかったけれど
あの頃はみんな夢があったような気がしますね
若々しい夢路さんからん十年後の姿を想像しています
シャワーなんてない時代赤ちゃんはタライで行水が定番でしたね
少しずつ豊かになっていく様子を自分のそれと照らし合わせて
懐かしく読みました。
昭和の日にグッドタイミングなお話ですね。
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Unknown (☆銀河☆)
2010-04-29 19:13:18
 夢路さんかわいい!!
ホントに初々しい新婚さんですね。

ゲゲゲの女房私より夫が嵌ってます。
NHKとNHKハイビジョンと衛星第2を組み合わせると
一日5回も見られるなんて知ってましたか?

新婚時代懐かしいですね。私も思い出してしまいました。
私はひばりが丘という所が新婚生活スタートの場所。
家賃確か23000円ぐらい。6畳と6畳ぐらいのLDKでした。
夫は同年齢。給料の半分ぐらいが家賃だったので貧乏よ。
私は仕事をやめてしまったので、
それまでのお小遣いの額がひと月の生活費で、
最初はショックでした。
でも何とかなるものです。
悲壮感はなかったですね。

懐かしいお話をひきだしてくださって有難う

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昭和の日 (naoママ)
2010-04-29 21:19:40
今日の午後、NHKTVの「アーカイブス」でも昭和の懐かしい画像が流れていて、思わず見入ってしまいました。
今日は「昭和の日」なのですね。
私の頭の中では「天皇誕生日」から「緑の日」にスイッチしてそのままでした

お若い頃の夢路さんの初々しい事
私の結婚はS45年の春です。
(今年は40年のメモリアル年なんですわ
新婚時代は実家のある横浜から三鷹の団地に移っただけで、さほどカルチャーショックもなく
翌年生まれた息子は小学校の低学年まで井の頭公園のすぐそばで成長しました。
吉祥寺の街や玉川上水の風景を見ると「ムネキュン」となるほど懐かしい新婚時代を当地で過ごしましたよ。

「ゲゲゲの女房」の舞台は調布に移りましたね。
原作も読みましたが、主人公は私の世代より10歳くらい上なので、「あんな時代もあったのね」という思いで観ています。

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あざみさんへ (夢路)
2010-04-29 21:22:53
その頃越谷市は農家が田畑を宅地にし、
東京へ通勤するサラリーマンのためにアパートや借家を多く提供していました。
私の住んでいた借家も狭いながら一応新築で、それだけは助かりました。
駅から1キロ以上離れた田んぼや原っぱの中にあり、駅までは交通手段がなく、
夫は毎朝6時過ぎに出勤、夜11時過ぎに帰宅。
あの頃は朝もちゃんと起きて見送り、夜も夕食食べずに待ったりしていたものです(今と大違い!
今でもはっきり覚えていますが、家賃は7000円でした。
都内世田谷に越してきて借りた駐車場料金が月額7000円、高いのに驚きました
「狭いながらも楽しい我家!」そんな言葉通りの生活でしたね。
国を信じ、会社を信じ、未来に希望と夢を抱いて生きていけたいい時代でした。
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bonjiさんへ (夢路)
2010-04-29 21:38:40
お恥ずかしい写真です
でも自分でもあの頃はなんて初々しかったのだろうと!
今とは大違いですね。
広島から上京、夫も東京の支店に転勤になって半年でしたから、
二人ともおのぼりさんです!
越谷はまだまだ自然がいっぱい!ご近所にも都心に通勤する同年代のご家族がいて、
お互いに助け合い楽しい毎日でした。
子供達が生まれ家族の形が出来ていった時期だけに、越谷はとても思いで多い土地です。
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懐かしい! (ラッシーママ)
2010-04-29 21:40:16
夢路さんご夫婦、「ゲゲゲの女房」に嵌まっていますね。
確かに朝の連ドラ見てると、懐かしい場面ばかりで、ドラマのような貧しさではなかったけれ
ど、何処の家庭も同じようでしたね。

味噌や醤油が足りなければ、隣の家から借りたりして・・・

夢路さん、初々しいです。

あの頃物質的には満足出来なかったけれど、
頑張れば夢が叶えられたので、夢を持つ事が出来ました。

それに比べ、今の若者は大学を出ても働く場所
さへ無いのでは夢を持つどころではありません。
せめて若者が小さな夢を持つ事が出来るような
国にならなければ、日本は駄目になってしまいます。

それにしても夢路さんの新婚家庭は、随分田舎に住んでたのですね(失礼)
食用ガエルがゲロゲロと・・・

私の結婚は夢路さんより1年前でしたが、杉並
で4畳半と3畳の和室に1畳位のキッチン
トイレ共同、風呂なしでした。
当時、ラッシーパパの給料が手取り3万で家賃
に1万、生活費に1万、1万は貯金して、私半年
程共稼ぎしてたので、いつでも辞められるよう
に私の給料も全部貯金してたの。
私が辞めた時の退職金も合わせて、結婚後半年
で土地買って、そこから長いローン生活の始まりね

銀河さんではないけれど、何とかやってきました。
昔はよく頑張った。
やはり若いって、素晴らしい

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ビオラさんへ (夢路)
2010-04-29 21:45:30
数年前越谷を訪れ、すっかり都会に変貌した街に驚きました
まるで浦島太郎です!
あの頃は皆が豊かさを求めて邁進していた時代です。
今と違って未来に夢と希望がありました。
国も信じられましたし、会社も信じられました。
今思えば決して快適な生活ではありませんでしたが、良い時代だったと思います。
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新婚時代 (山小屋)
2010-04-30 05:13:31
昨日は孫娘の日本舞踊の発表会が浅草公会堂で
あり、観に行ってきました。
長唄に合わせて踊っていましたが、なかなかの
ものでした。

夢路さんの文章からみなさん同じような世代だと
いうことがわかりました。
私は結婚してすぐに借金して上尾に家を買いました。
上尾には近くに小川や田んぼもあり自然の中で
子供達を育てるにはよいところでした。
田植え後のカエルの声も心地よいものでした。
市ヶ谷まで通勤していましたが、不便さは感じませんでした。
今の上尾も昔の姿はありません。

昨日「幸福とは何か?」ということでブータンの
ことをテレビで紹介していました。
やはり物質的豊かさよりも心の豊かさが大切だと
いうような話でした。
できるだけ見聞を広め、心を豊かにしたいと思います。
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