一人暮らしの台所事情

2018年4月からストレスによる耳鳴り(頭鳴り)を発症。13年間の降圧剤の服用を止めます。

自分の症状になるとしどろもどろ‥

2024年05月26日 | 変わった料理


わたしもごく一般的な人間であり 皆さんと何も変わらないのですが
たまたま降圧剤の断薬をしたり そのうち 病気と医者と薬の関係について
自然とわかるようになります また姉がひとり急死しています
60歳の誕生日を迎える前でした 自律神経失調症と言われて通院していました

その後 うつになったり精神的にももろかったようです
旦那さんは頭痛がひどく病院に行きましたが その後亡くなります
ちゃんと検査をしていれば助かったかもしれないと姉は嘆いておりました

ただ精神的にもろかっただけでしょうか?
わたしはそうではないと思います 特に精神薬は脳に支障をきたします

急性心不全という病名は 病名がハッキリしない場合に
よくこの病名がつけられるそうです

亡くなる前に 一時入院していたそうですが それも薬と関係がありました
薬を続けて飲んだか 多く飲んだのかは曖昧ですが
入院時の理由も「薬」だと聞きます たまーに電話が来ます
わたしは電話嫌いであまり出たくないのに それを言っても
姉はまた忘れたかのように電話をしてきます

私とはあまり仲はよいわけではありません
その理由に わたしを利用することが多かったから
その頃 父親もまだ生存していたのかな 一応車を持っているので
病院や実家に行きたいと急に誘いの電話が来るのです

その車の運転も方向音痴のせいで道をよく覚えられないという…
そのことを実家にいる姉から指摘されることもありました
「じゃあ なんで車の免許を取ったの?」と

それは就職の時の条件だったからやむを得ず取ったのであって
今更それを追求されても困るのです

亡くなった姉は口癖のように言います
「お金を上げるから どこそこまで連れて行ってほしい」と
お金のためとかそんな言葉より 一緒に行きたいからとか
単純な理由を言って欲しかったのに

昔から お金に目がなかったようです 金銭欲が強かったのでしょう
わたしもそうですが人に借りてまでお金を使うこともないし
いろんな意味で 命をとられてしまったのかなと思いました


実家の姉とは しばらくお付き合いがなかったのですが姉の死をきっかけに
お付き合いを始めたのにコロナをきっかけに再びお付き合いをやめました
実家の姉(次女)もまた病気になっていました

二人同じ病院に入院していた時期があったそうです
何が一番の原因かと言うと わたしたちの父親なんですね
小さい頃からどれほど心の痛みを負わされたかわかりません

父が亡くなった後も 心の傷は深く癒されることはなかったです
心 精神 魂にまで脅かされていました

教習所に通っていた頃に 夫と知り合っています
この時既に運命が決まっていたのでしょうね

もう一度その頃に戻り やり直したいと思うのはわたしだけでしょうか
難病にまで発展してしまい 離婚もできずに
中途半端に投げ出され 精神 肉体共にボロボロ


実家を継いだ姉は ワクチンは危険だからという忠告を一切聞いてくれません
メールに返信が来ません わたしの言うことに耳を貸してくれません

わたしは一人になりました 最近症状がつらくしんどいのです
それでも草取りや雪かきはしなくてはならない
収入がないのに どうやって生きられるのでしょうか

だからこその信仰生活でした その信仰生活にもいろいろありました
それはわたしだけではなく 他の人にも似たようなことがあったようです

誰を信じるか 何が一番大切か それがぶれない限りちゃんと
方向性は見えてきます 愛のない人は真理に辿りつけません

わたしは一番大事なことをわかっていました
そうしてその問題を解決した後 わたしのしたことはこれでよかったのかと
考えたこともありましたが その少しあとに 神様から祝福を与えられました

わたしは間違っていなかった これでよかったんだとわかりました
相手に嫌われたかもしれないけど神様はちゃんとわかってくれました
そうでなければ祝福を与えられることはなかったでしょう

信仰生活2年を迎えた直後のことでした
信仰生活を始める前にも 神様はこの世にちゃんといらっしゃるとわかる
出来事もありました その時は正直少し怖くなりました

だからこそ 毎日悔い改めているんですね 
わたしたち人間を創造された神様はお一人しかおられません
なぜそこを間違われるのだろうか

わたしは聖書を読むと心が落ち着きます
だから毎日読み続けられるのです たまに泣きながら読むこともあります









日中 就寝中に 耳鳴りが激しくなると発作になります
口腔内が敏感になり 歯茎に食べ物が挟まったり ひっついたりします
急に血豆のような口内炎ができることもあります

ニラは挟まるし 挽肉は隙間に入り 歯ブラシで取り除くも粘膜さえも敏感
耳鳴りが激しくなると厄介なんですね 口も渇くし 脳は疲弊してくるので
甘い物が必要 必然的にはちみつがほしくなります


人間に愛がなければ 愛の言葉も 愛のある行動もできません
人として どうあるべきか 常識が大切なのか その常識は非常識であり
それが今の世の中に生きている人たちの心にあります

欲深い人からは信仰も愛もうまれません 物欲に
幸せを求めても浪費に向かうだけ 心はむなしい

この病はいつ治るのだろうかと‥

つらく厳しい現実が目の前にあり 人のことをとやかく言うつもりはないが
危ないものは危ないのだと知ってほしい

なぜわたしは愛犬の治らないと言われた病気を治せたのか
死ぬ気で愛犬と飼い主が病気と向き合ったから
誰の真似をしたのでもない とにかく祈った
祈りながら現実に目を向けて病気に真摯に向き合った

どこの動物病院 どこの獣医 どこのサプリメント
そんなことはどうでもいい 栄養 成分に惑わされるな

動物の生命に目を向けてほしい 
動物がなにを訴えているのか 感じてほしい 痛みを診てほしい
飼い主が診ないで何を見て判断するのか

犬に人の食べものがおかしいって?
だったら食べている人間もおかしくなるはず
人と犬はそんなに違う生き物なのかな…




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