真の動物福祉牧場を目指して

希聖の帰郷

曹希聖は1925年(昭和元年)に革命運動に参加してから五年後に、戦闘で右腕を骨折してリハビリの為に帰郷し小清と再会します。

希聖25歳、小清28歳の適齢期にあった恋人達は、結婚して平和な暮らしを求める道に惹かれますが、傷の癒えた希聖は結局革命の道へ戻ってしまいます。

この帰郷の追体験はバルドゥ四週目の22日から中日の25日に当たり、この中日までに今生の業(カルマ)を全て浄化できたならば、魂は平和な光の世界に旅立てるとされます。

五年間の戦いで傷つき疲れた希聖の心は、小清との平和な暮らしに大いに惹かれますが、時代は革命を避けられず、その革命の申し子として希聖は戦いから逃れられませんでした。

小清は強く2人での駆け落ちを希望し、西方(ヒマラヤ山脈)の山奥の里に落ち延びて平和に暮らしましょうと誘いますが、その光の世界への旅立ちは重いカルマを背負った希聖には出来ませんでした。

バルドゥ25日目に、小清は希聖の魂が今生では輪廻から解脱出来ず、再生の道に入った事を教えます。
こうした死者への教えは現実には行善が希聖の耳に直接読み聞かせ、この際にはチベット語と中国語をミックスさせた行善独自の解釈によるバルドゥ読みとします。(余り原典には拘りません)

バルドゥ-ドトル(読み聞かせ)では、再生の道案内としてまず天界に転生する事を勧め、次に修羅、畜生、餓鬼、地獄界などに転生しないように注意を与えます。 でも結局は人間界に転生するのが一番ポピュラーなようで、後に長々とどんな人間の胎内に宿るべきかを提案して行きます。

希聖の場合は罪の重さがハンパじゃない為(約1000万人を死に追い込んだ)、このままでは地獄か餓鬼界に堕ちてしまうと小清は心配し助言します。
こうした死者へのアドバイスは個別であるべきで、希聖の心を良く理解する行善だからこそ出来、バルドゥ-ドトルはあくまで形式的な導入部にすぎません。

希聖の帰郷では両親や兄弟との関係にも触れようかと思いますが、この一家はみんな革命派で希聖の活躍を後押しします。
仏教には依正不二という言葉があり、依って立つ環境と自己の正体を二つに分かつ事は不可とします。
革命一家に依って育った希聖には戦いを望む正体が育ち、そのカルマを捨て去る事は小清とのフォーリン アウトを持ってしても不可能でした。

この後、希聖はいよいよ修羅の戦いの道に入って行きます。




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