ドゥルガーについては、まだ神話を紹介していませんでしたが、ザックリ言うと神と悪魔の間の大戦争を勝利に導いた「勝利の女神」です。
物語では「遊女の神」として来ましたが、これはインド最大の都市カルカッタで1番盛大な祭「ドゥルガー-プージャ」を観た印象からそうしました。
インド人の祭好きは有名で、カルカッタは世界最大のホームレス人口を抱える都市でもあり、彼等は祭となるとかなりハッチャケます。
なのでドゥルガー祭は世界有数の派手な祭となり、そこでの主神は「遊女の神」とわたしの目には映りました。
物語に入る前にもう少し前置をしますと、この「勝利の女神」は「第三の目」によって敵を見極めるコトで勝利を得たとされています。
なのでドゥルーガ(徳流河)にもそうした「第三の目」を持たせましたが、その目はまだ形だけで、目覚めさせられてはいませんでした。
今回その「ドゥルーガの目覚め」を描きますが、それにはそうとう深く物語に入る必要があるので、今回も徳流河のブログ形式で、総括的に語らせて貰います。
−− わたし達「光復党」が台湾からダラムサラーの大葬に参列して、すでに一月が経ちました。
それは中国での革命を目指すわたし達「女子革命突撃隊」と、ダラムサラーに本部を置くSFF(スペシャル-フロンティア-フォース)が共闘を表明したからで、副党首のラクシュミーが女性トゥルクである秀祥の熱狂的ファンだったからでもあります。
わたし自身は、チベット人達の闘いに敬意を懐きながらも、その精神的主柱である秀祥についてはあまり知りませんでした。
それは、わたしがそれまで精神的な世界にあまり興味を待たず、現実的な世界で悪戦苦闘を続けて来たからです。
もともと寒村の「闇っ子」だったわたしは学校教育すら受けられず、18歳で「女子鉄道突撃隊」を組織してからは闘いの日々の連続でした。
わたしが「第三の目」を活用するように成ったのはこの頃からですが、それはただのハッタリで、タバコを押し付けられた額の火傷痕を上手く活用したに過ぎませんでした。
そんなハッタリの「第三の目」でも、闇社会やギャンブルなどでは効力を発揮し、わたしは幸運にも恵まれてここまで成り上がれました。
中国ではわたしのコトを過剰に祭り上げる人々も居りますが、わたしは10才で売られてからずっと遊女として生きて来た身で、何も特別な力を持っているワケではありません。
そんなわたしを特別な存在として厚遇してくれたのは、晩年の秀祥と1番親しかったフランス人女性のシルヴィアで、彼女は常にわたしを側に呼んでくれました。
シルヴィアは106歳とは信じられないくらい元気で、それは若い頃からずっと踊り子として生きて来れたお陰だと語ってくれました。
彼女はわたし達「光復党」のデビュー-アルバム「ライト・リバイバル」を聴いていてくれて、そのミュージック-ビデオでのわたしの踊りについて、とても建設的で実践的なアドバイスもしてくれました。
シルヴィアはダラムサラーでは1番の賓客で、秀祥の十大弟子の中でも最長老として多くの人達(特にモルモン教徒)から崇拝されていましたが、彼女自身はそうした特別扱いを望まず、その点でもわたしと意気投合しました。
そんな彼女はよく、盛大な葬儀の中心に座っている秀祥の側へ行って手を繋いでいました。
わたしも手を繋がせて貰いましたが、驚くコトにその手はとても温かくて、腕にも硬直はありませんでした。
わたしは秀祥が本当に死んでいるのか信じられず、彼女の息と心臓に耳を当てましたが、それは確かに止まっていました。
こうした奇跡は聖者が自らの意志でポアした時によく起こると説明されて、わたしは初めて精神世界の奥深さを知りました。
この秀祥を中心として、多くの人が手を繋いで輪となり、その輪はずっと壊れずに広まり続けています。
わたしも出来うる限りこの「祈りの輪」に加わっており、そこから一体何が生まれるのかを見届けようと思っています。
すでにこの「輪」に参加した人達の中からは、痛みや病が癒えたと言う人々が出て来ており、わたしも心の痛みが癒されたコトを実感しています。
秀祥は生前からこの「癒しの輪」を広めていたそうで、彼女の隣りに座らせて貰えたわたしにも、彼女の手からその力が乗り移ったような感覚を覚えます... −−