真の動物福祉牧場を目指して

自由意志 国境こえる 流れ星

またボブディランの詩から拝借させて頂きました。これは後期の名作「オーマーシー(ああ慈悲よ)」のラストナンバー Shooting Star からで、国境を越える流れ星の様な人生を歌っています。
私もそんな人生に憧れを持っており、チベットかインド北部のヒマラヤ地方で放牧酪農をやりたいなー、なんて今でも思っております。
さて、話しはさっそく1945年7月の浦上に飛びます。
自由意志と冒頭に持ってきたのは当然、駆け落ちをするアンナとオーストラリア人捕虜(トムにします)の事を描くからで、オーストラリア人にする理由は捕虜虐待で大勢を死なせているからです(インドネシアで)。
前回アナーキズムについても少し触れましたが、もし私が何か政治的な信条を持っているか?と聞かれたら、無政府主義と答えるのが唯一適当かなと思います。
これは個人の自由意志を尊重する考え方で、人類社会の進歩はその価値をどれだけ尊重できるかが一番重要な尺度だとします。(バクーニンが定義)
戦中の日本社会には自由意志を認める価値観が全く無く、殺し合いを嫌がる人達は口も利けない世の中でした。
そんな狂った世界に浦上クリスチャン達はどう立ち向かったのか、それを描くのが物語の山場であり、ここでは象徴的な駆け落ちを描いてみます (助走段階は4月の回に書きました)。

まず住む所ですが、これは山の中しか考えられず、見晴らしの良い峠の上で湧き水がそばに在る所が良いでしょう。
7月の長崎は暖かいので秘密基地に覆いは必要ではなく、ツリーハウスならば屋根も要りません。
私は台湾のWWOOFボランティアでツリーハウスを作った事がありますが、以外と虫に悩まされる事もなく(灯りなし)快適に寝られました。
この秘密基地には子ども達が食糧を運んで来てくれ、これは食糧事情が非常に厳しかった時期なので、山菜や果物などを集めて持ってくる事にします。
私でもここまでガチな山の生活は経験した事がありませんが、山菜と果物だけで生きる事は不可能ではないかと思います。
それはお寺の修業で断食を延べ一月程やって来て、ヒトはけっこう食べなくても平気であり、僅かな食物でも本当に感謝して頂けば、体も心も満たされ元気で居られると知っているからです。
このブログではブレサリアン(超小食主義者)についても何度か触れており、彼等(過去の行者も含む)は太陽の光から主に栄養を得て生きれると主張しています。(「リヴィング オン ライト」)
こうした人々は歌にもなっており、キンクスのロック史に残る名盤「Green village preservation society (緑の村を守る会)」の中の Jhonny Thunder(雷)という歌で、光によって生きる男が歌われております。

もうちょっと科学的な解釈を付け加えますと、光(電磁波)というのは実に奥の深いモノであり、最先端の波動医学では既にSFで出てくる医療機器の様に、生体波動を読み取ってその病変を特定し、有効な波動を組み合わせて照射する事で病変を矯正するという、正に未来の医療が現実のモノとして実用化されております。(「AWGは医術か魔術か?」)
光が栄養として人体に取り込まれるかどうかは、私には人体に共生する光合成細菌がカギを握ってるような気がしますが、ブレサリアンの方々は脳の松果体(光を感知する器官)に依るとしております。
いずれにしろ、人体にはまだまだ未知の機能が秘められている事は確かなので、NHKのヒューマニエンスでも超小食主義者を特集して欲しいなと思います。

このテーマはインドや中国の農民を飢餓から救う道として、ガネシヤの父がミラレパ(ブレサリアン)の興したカギュ派の僧院で修業していた。という前に提案した件は採用することにし、そのカギュの秘儀はガネシヤからトゥルクと慎語にも伝えられて成就する事とします。

そんな訳で、トムとアンナの駆け落ちはトゥルクと子ども達の協力により幸せに成就して、これに触発されて浦上では女性達が積極的にロマンスを追い求める様になり、最後の時を有意義に過ごします。




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