真の動物福祉牧場を目指して

道行を 成ぜんが為 生くるべし

これはお寺で食事前に唱える食法(じきほう)の一部で、道行(どうぎょう)は武道、書道、茶道などの道が付く行いで、農業や医療、ヨーガやお祈りなどの、極め尽くせないほど深い道を指します。
それらを成す為に生くるべし(食を受くべし)という教えを、1日二回食前に唱和する暮らしは主にインドとアメリカの日本山妙法寺で一年ほど経験しました。

上記の道行の中で私が成(じょう)ぜんとする道は、農業、医療、お祈りなどに付いては既にこのブログで述べて来たので、ここではまだ触れてないヨーガ(座禅)に付いて、物語の中で述べてみます。とは言っても私にはまだまだ成ずるには程遠い道なのですが...

6月になり、山を流れる小川の水も温かくなって、子ども達はバシャバシャ遊び回り、大人はジッと川に浸かって座禅(ヨーガ)を行います。
この川で瞑想するスタイルは滝行などが日本でも行われますが、インドではもっとポピュラーで誰もが行い、ヒマラヤ地方の冷たい水の中で修業する行者も沢山います。
この修業については、混じって修業された中村天風氏が詳しく書いておられ、彼はその行により当時は治療法の無かった結核を自ら治し、92歳の大往生を遂げます。

浦上の山では、座禅は新之助が指導しヨーガはガネシヤが教えます。
この両者の違いは、座禅がカチッとした形を重視して、動作は必要最低限に収斂させるのに対して、ヨーガは動く事に意識を集中させる技法で、動作は座禅と同じく儀式的ですが、そのバリエーションと自由度が違います。
しかし呼吸という動作に意識を集中させる技法は概ね同じで、その特別な呼吸法が身体と意識に及ぼす影響についても、だいたい同じ見解を持っているかと思います。

ここでは二つを特に区別せず、統合した私のやり方で描かせてもらいます。
まず大事なのは尻の座りで、これが定まらないとそっちにばかり意識が行ってしまいます。特に川では石の上に座るので、その凹凸に上手く両膝を沈ませる必要があります。
最も安定する座り方は蓮華座(ロータス)で、これは日頃からソファーの上などでもちょくちょく組んでいると、だんだん足が慣れてきて楽になります。特に歩き疲れた時などにロータスを組むと足の血行が気持ち良く感じられ、疲れが取れます。 唯一、足首に負担が掛かるのが難点ですが、これは座禅の途中で左右の足を組み替える事で解消し、この組み替えにはヨーガ的な動作への意識集中が求められます。足首を替えたら両膝の角度も変わるので、もう一度膝を石にピッタリと沈み込ませる必要があり、その時は首と身体を捻るヨーガがお勧めです。(全身で捻るので膝が石に食い込む)
そうして足と尻が安定したら、もうそっちに気を使う必要は無いのでスッパリ忘れ去り、次は手と腕に意識を集中させます。
手の指は特別寒がりなので、そっちに意識が奪われないようにしっかり腹に密着させましょう(寒い地方では)。これで指がムズムズする事は無くなりますが、次には腕が動きたがってムズムズします。
これにはとことん肩の力を抜いて、腕をブラーンとさせる必要があるのですが、それには背骨を反らせるヨーガがお勧めです。
この背骨を反らす動作は、若返りの秘法と呼ばれるチベット体操でも一番重視しており、かなり奥の深いポーズです。
中国人はこのポーズの為の木馬みたいなモノを作っており、これはよく向こうの公園で見かけます。私は木馬まで作らずとも鉄棒で代用が効くと思い、この棒が背骨のしなる部分にフィットして、そこに体重を預けられれば効果的です。
この動作も熟練を要しますが、徐々に背骨の反りが気持ち良く感じられるようになって来て、そうなると非常に呼吸が楽になり(首がダランと垂れて)、1分間は息を吐き続ける事ができます。そのまま反ったポーズで息を吸うと、肺が膨らんで行くのが良く感じられて、酸素が滞りなく全身の細胞に届けられてる事まで感じられる気がします。

こうした儀式的な動作によって身体を禅定(安定)させ、次いで呼吸に意識を全集中させ、呼吸の回を重ねるごとに深めて行きます。私はリズミカルな呼吸を数える集中法よりも、とにかく吐き切る事に集中する方が性にあっていて、そうするともう3呼吸ぐらいで数える事がムリなくらい長い呼吸になり、呼吸をしている事すら忘れてしまいます。

こうして全集中してから忘れ去るという、かなりアクティブな意識操作によって、肉体の束縛を逃れて自由を獲得した意識を次は何に向けるのか?
それは各々の核芯とするテーマに向けられるべきであり、そうしたテーマを持った人達は当時の浦上には多く暮らして居たと思います。それは如何なる革命や政治思想にも絶望したアナーキスト(無政府主義者)達であったり、戦争がもたらした傷をどうやって癒やそうかと思い悩む女性達であったかと思い浮かべます。

そうした核芯テーマに集中した後は、ただ目の前の川の流れに意識を集中させて、全てのモノは流れ行くという真理を感得して救われる。
そんな道行が禅なのかなと思います。






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