真の動物福祉牧場を目指して

闘いのサーガ(叙事詩)

曹希聖(1905~?)の人生は闘いの人生でした。
その闘いには、労農(プロレタリア)の国を創るという旗印が掲げられ、多くの若者達がその理想に命を投げ出しました。

希聖の両親も孫文の革命戦争(1911)に参戦したことがあり、革命を完遂させる為に12人の逞しい子供達を育て上げました。

希聖はその一番下の七男で、上の兄弟姉妹から可愛いがられて育ちました。
曹一族の山里は貧しい開拓地だったので、父は出稼ぎに出て母は畑仕事に追われ、子供はほったらかしでしたが何でも自分達でやる習慣がつき、畑もよく手伝いました。
原始共産社会の山里は集団農業(有機)で立派に自給自足し、とても多くの逞しい子供を育て上げます。

同じ目標を目指す家族は強い絆で結ばれ、その絆は曹一族の山里(約20戸)全体に広まって大きな一家と成し、親から子へ引き継がれる「闘いのサーガ」を織り成しました。

子供達は山で戦争ゴッコをして育ち、そこで才を発揮したは希聖は後に農民ゲリラ部隊を多く創って指揮し、紅軍の命脈を繋ぎます。

希聖の兄弟姉妹や友達はほぼ皆紅軍に加わり、彼等は蒋介石軍による包囲殲滅戦を四次まで跳ね返す激しい闘いの中で次々と死んで行きます。
第五次包囲戦では経済封鎖までされて敗れ、約10万が落ち延びる「長征」となります。

この長い逃亡戦で1万にまで淘汰されて行く中で殆どの幼なじみは亡くなり、希聖は曹一族(曹操を輩出した)の末裔として、先に逝った兄弟達の為に闘志を燃やします。

今回は物語はここまでにして、家族の絆について少し語りたいと思います。
話を酪農一家に絞りますと、この絆が弱いと子供が都会に出て行って帰らなくなり、その牧場は消えてしまいます。
こうした流れは全国でずっと続いており、牧場の約六割がここ20年間で無くなりました。(これは1日に二軒廃業して行くペースです)

酪農一家の絆が強まらないのは、親が子供に継がせるのを酷だと思うくらいに、休み無しで働いても儲からない時代があったからです。
これは儲けの方は国の補助金で改善されましたが、休みの方は相変わらずで月1休めればいい方です。

こうした労働基準法などと言ってられないガチな仕事を、家族の絆で次世代に向けて育てて行くのに必要なロマンが今求められてると思います。





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