真の動物福祉牧場を目指して

アメリカの秀祥

 アメリカでの旅のプランとして、秀祥が秘かに練っていたのは、手紙のやり取りを続けていた18才の時の初恋の人、ジャックとの再会でした。

 ジャックは「アメリカの良心」と呼ばれるシンガー-ソングライターのジャクソン-ブラウンがモデルですが、「Sunの物語」ではまだそこまで有名には成ってなく、家族経営の農場を手伝いながら細々と音楽活動を続けていました。

 30代前半のジャックはそれなりにスタイルを確立し、オリジナル曲もたくさん作っていましたが、1人で田舎から街へ出て売り込むのには足踏みしていました。
 今だったら田舎でも、1人でライブ演奏をネットにアップ出来、それがバズれば音楽業界から声が掛かりますが、1981年ではソロ-シンガーの売り込みは至難の技でした。

 そうした才能に溢れながらも日の目を見なかったアーティストはけっこう居り、その僅かに遺された曲が現代に甦ってバズったりもしています。

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 ジャックと秀祥は2人で田舎からニューヨークに出て来て、そこで路上ライブを行います。
 お金は無かったのでセントラルパークでのテント暮らしからスタートしましたが、ミトとユパが肉体労働をして稼いでくれて、なんとか月20ドルの「ブリーカー-ストリート(Simon & Garfancl)」に落ち着きます。

 そこから日中はコーヒー-ハウス、夜はバーでそれぞれ一日1ドル契約で歌う様になり(ボブ・ディランもそうだった)、2人はブッダナートの仏舎利塔の周りで歌っていた頃の様に息を合わせます。

 このカップルのギターデュオは評判を呼び、音楽プロデューサーから声が掛かって2人はデュオでのデビューを果たします。
 しかし秀祥はニューヨークに留まる訳には行かず、ファースト-アルバムを遺して街を後にします。

 ジャックはその後ソロでもデビューし成功しますが、ヒッピー時代から慣れ親しんだギターデュオのスタイルは追究し続け、現実のジャクソンはウォーレン-ジボーンとのデュオで名盤を遺しております。

 秀祥は西部へと旅を続け、次回はいよいよユタ州のモルモンの地へと入って行きます。
 
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