アメリカは元々、ヨーロッパのカソリックと反りが合わなくて新天地を求めた、プロテスタントによって作られた国です。
プロテスタントと一口に言ってもそれは三万三千もの宗派に別れており、アメリカはそれだけまとまりの無い自由奔放な国と言えます。
そうした宗派の中で、アメリカに逃れたチベット難民を最も善くサポートしたのは、キリスト友会とも呼ばれるクェーカーの人々でした。
彼等は昔から農業国として名を馳せていたオランダの移民が主体で、農本主義的な暮らしをしており「クェーカー」はオートミールの有名ブランドにもなっています。
クェーカーはまた、最も平和の理想を追究している宗派としても有名で、日本山のアメリカでの平和行進では多くのクェーカーが参加しサポートしてくれました。
彼等は基本的に兵役を拒否して、軍事費分の納税を拒否する人もおりました。
アメリカで先ずチベット難民のコミュニティを訪ねた秀祥は、こうしたクェーカーの友会に参加する様になります。
この友会には閉鎖的と言われるアーミッシュの人々も参加しており、秀祥はプロテスタントの真摯さと多様性に感銘を受けます。
アーミッシュは反文明の自然主義で有名ですが、彼等は決して偏屈な引きこもりのコミュニティではなく、単に足が馬しかないだけで、元々はスイスの山々を駆け回っていた活発なコミュニティです。
アーミッシュの暮らしはチベット人の暮らしと共通する所が多く、宗教を大事にする点も共通しているので、両者は固い絆で結ばれます。
もう一つチベット難民と関わりのある宗派として、ネイティブ-アメリカンのキリストを崇めるモルモン教が挙げられます。
この宗派は18歳になったら2年間、2人ペアで外国に布教の旅をさせるのが慣習で、日本でもたまにその2人組が街頭で布教しているのを観かけます。
モルモンはプロテスタント協会からも異端とされ嫌われている宗派ですが、ネイティブ-アメリカンのコミュニティとは仲が良く、ネイティブの中からキリストが再臨すると信じております。
そんなモルモンの人々の目に秀祥はどう映ったか、それは次回に物語ります。