真の動物福祉牧場を目指して

老宇の声明

 これまでずっと闇に閉ざされて来た、中国の労働改造所が革命軍によって解放されたというニュースは、世界中に驚きと希望を与えます。

 その希望の象徴として選ばれた人物は、70年前の「天安門事件」で逮捕された老宇(ラオウー)で、彼は2060年の「中国女性革命」に於ける新たなスポークスマンとなります。

 今回はその魁(さきがけ)として「老宇の声明」を描き、これもやはり本人にYouTubeで朗読して貰います。

ーー この度、勇敢な革命軍のお陰でわたしは70年ぶりに外の世界へ出られました。 
 わたしがこんなにも永く労働改造所に拘留されたのは、どうしても党による「改造」を受け入れられなかったからで、まずはその理由から語らせて貰います。
 わたしは天安門広場を占拠した民主化運動に学生代表として参加し、党との対話の場を持とうと奔走しました。 
 わたし達は100万人もの党との討論会を望む署名を集めましたが、結局それは実現せずに、党は軍隊を使って人民を鎮圧しました。
 わたしは極力、人民と軍隊との衝突を抑えようとし、戦車が天安門広場に乗り込んで来る前に仲間達を退避させようとしました。
 わたし達は広場に隣接した「毛主席紀念堂」に退避し、屋上に上がって広場が制圧される様を見守りました。
 そこには何があっても退避せず、最後まで座り込みを続けた学生達が数千人も居り、わたしは彼等彼女等がみな戦車によって踏み潰されるのを目撃しました。
 その地獄絵図はわたしの脳裏から消えず、トラウマとなって今でも夜中に恐怖に苛まれて眠れなくなります。
 党は天安門広場に戦車は入らなかったと嘘をつき続けていますが、広場がペシャンコになった人間の真っ赤なシミで覆われた光景が、わたしの目には焼き付いています。
 そんなわたしが党からの「改造」など受け入れられるハズはなく、わたしの親が金持ちだったので労働改造所は身代金と引き換えにわたしを生かし続けましたが、一緒に捕まって改造を拒んだ仲間達は死ぬまで酷使されてみな若死にしました。
 最後に生き残ったわたしには、彼等彼女等の分まで党と闘い続ける義務があり、70年ぶりに再び人民が党に対して立ち上がったコトを誰よりも嬉しく、心強く思っております。
 わたしの人生は壁の中で虚しく搾取され、もう90歳となり健康も害しておりますが、再び二十歳の頃の様な青春の希望が甦ったので、このまま死ぬまで革命に身を捧げる所存です。 ーー
 

 

 

 
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