この「永遠のボン」について、もう散文では十分に書いて来たので(「120の妙なる法」シリーズなどにて)、今回は詩で描こうと思います。
まずはポピュラーな歌の詩を3つ挙げてから、わたしの詩をまた俳句、短歌、長詩の形で詠ませて貰います。
ーー 永遠なのか 本当か 時の流れは 続くのか いつまで経っても 変わらない そんなモノ あゝるでしょうか ーー
この見事な長詩は、言うまでもなくブルーハーツの名曲「情熱の薔薇」の歌い出しです。
果たして「永遠のモノ」などあるのかと、情熱を込めて唄われています。
ーー It's only round and round and round ーー
この歌詞は、ピンク・フロイドが記録的な売り上げを達成して「gravy train(あぶく銭列車)」に乗ったアルバム「狂気」の中の「Us And Them」からです。
わたしはこの曲がアルバム中で1番シブいかと思い、フロイドのアルバムでは「狂気」よりも「原子心母」や「ミドル」の方がシブいと思います。
ーー 真空の川 終わりと始めを繋ぐ ーー
この詩は中島みゆきの見事なコンセプト(物語)アルバム「転生」のラストを飾る「無限軌道」からです。
フロイドの歌詞とも共通しますが、「永遠の真理」とは「ただ巡り巡って生まれ変わるコト」なのかも知れません。
さて、読者の方々は「永遠」もしくは「転生」を信じるでしょうか?
それとも人生は1度きりで、死んだら何も無くなると思うでしょうか?
結局その「答え」はドコにも無く、誰も確かな「答え」は示していませんが、それでも「永遠」を信じるコトは自由に出来るでしょう。
それはロシアや中国の様な「信仰の自由」の無い国でも同じで、むしろそこでは党がプロパガンダ(政治宣伝)として宗教を利用し支配しているので、それに反発して「永遠の真理」を求める人々の心は強まっているのかも知れません。
そんな政治的支配に最も頑強に反抗している宗教はイスラム教で、それは ーー アッラーは 永遠なりと 讃えらる ーー からです。
この俳句は「起承」だけで「転結」が無いと思われるかも知れませんが、これだけで完結しているとするのがイスラム教です。
中国ではキリスト教徒も党の支配に対抗しており、彼等はそんな受難を「犠牲」として受け入れて信仰心を強めているフシがあります。
これを短歌にすると ーー 愛こそが 永遠なりと 信じれる キリスト教徒は 幸せ者かな ーー となり、彼等にとって最大の愛は、神と人類のタメに自らを犠牲にするコトのようです。
次に仏教での「永遠の真理」を短歌に詠みますと ーー 壊れない 巡る命の 輪は回り 終わりと始まり 繋がって行く ーー となります。
これは「輪廻転生」と言うよりも「自然の摂理」に近く、生物界ではみんな子孫に「命の輪」を託して回っています。
最後に、アニミズム(自然崇拝)的な長詩で締めさせて貰います。
ーー 永遠の 進化を遂げた 鳥の声 いつもわたしの 心に元気を 与えてくれる 天使のように ーー