こうした「永遠の摂理と真理」は、一教団の教義を遥かに上回るモノと捉えられ、「新しいボン」が仏教と混交してブッタの「答え」を取り入れたのに対して、「永遠のボン」は古くからのアニミズムに留まり「答え」は自然の中にだけ在るとしています。
ここで再び「アニミズムについて」論じますと、以前はこれを「動物崇拝」としましたが、より広く「自然崇拝」と訳す方が正しいでしょう。
これはどの宗教の教義にも縛られない自由な崇拝で、一人ひとりが独自の宗教観を持つコトを尊重している点で、1番進歩的な宗教と言えるかも知れません。
今回はそんな古代シャンシュン王国で発祥した「永遠のボン」について語りますが、これは非常に大きなテーマなので、久しぶりにブッタの「十如是」を使わせて貰います。
これは対象について「相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末極境等」と論じて行く方便で、ブッタはこれを良く操りました。
まず「永遠の摂理」の「相」についてですが、わたしはそれを「クールで美しく奥深い」と捉えています。
次に「性」としては、多様性と協調性、寛容性などが真っ先に挙げられ、わたしはハッキリと「性善説」を支持しています。
「体」は陽子と電子から成る元素を根源
とし、その上で生体は遺伝子と酵素と共生微生物の「三位一体」によって進化し続けています。
「力」は重力、電磁力、核力、弱い力の4つが知られており、弱い力はニュートリノの相互作用と解明されましたが、未だに重力子は観測されておらず、相対性理論によれば重力は時空の歪みとされています。
こうした「体」と「力」が生む「作」は非常に多彩なタメ、ここでは論じられませんが、スルスルとスムーズにこの世界を回しています。
あとは「因縁」、「果報」と続くのですが、「永遠の摂理」の生じた「因」や「縁」を論じるのはわたしにはとても無理で、それによる「果」や「報」を論じるのもここでは遠慮させて貰います。
これについてはまた、以前に「120の妙なる法」と題して半年間も論じましたので、それをもって「永遠の真理」に対するわたしなりの「本末極境等」とさせて頂きます。