張作霖の息子学良は、東北軍を引き継いで当時蒋介石に次ぐ実力者と目されていました。
彼は父を利用して殺した日本軍を恨んでおり、蒋介石に救われて弟分となって紅軍と戦わされていましたが、本当は日本軍と戦いたかった様です。
彼が起こした反蒋介石クーデター(西安事件)は中国の歴史を大きく動かし、それによって中共は生き延びて天下を取れたと評価されています。
学良が中共の側に寝返ったのは、彼がヨーロッパに4年間遊学して労働組合(コミンテルン)の力を実感したからかも知れませんが、実際に紅軍と戦ってその志気の高さに感銘を受けた事も大きな要因とされます。
生まれながら軍閥の頭領となる宿命を背負った学良は、女と阿片に溺れる程に戦闘の血飛沫を浴びて育っており、そんな漢を動かせたのは紅軍最強の漢、曹希聖しか居なかったかと思います。
実際に当時希聖はこうした裏工作を進める参謀長となっており、学良はその工作について死ぬまで語らなかった事からも、歴史から抹消された人物の関与が伺われます。
蒋介石の命を握った学良は、紅軍との停戦と日本軍への開戦を介石に誓わせます。
この第二次国共合作は当然フェイクで、中共は国民党の情報を日本軍に流しており、国民党も隙を見ては紅軍を殲滅しておりましたが、とにかく建前上は日本に対抗する為として内戦は終結します。
張学良は中国では英雄で映画の主人公にも成っていますが、台湾(国民党)では嫌われ者でずっと50年も軟禁され続け、1981年に恩赦されてハワイで余生を終えています。
彼は死ぬまで日本を恨み続けた様ですが、漢と漢の約束は守って最期まで裏工作については口を割りませんでした。