これは全国に5万人の会員を擁する幸福ヤマギシ会の牧場で、私の父親がやってる斜里の民宿から自転車で半日の所にあるので、ちょっくらボランティアしに行きました。
ヤマギシと言えばかつては農業カルトと批判された程、その謎めいたユートピア思想と厳しすぎる子供の教育方針が問題視されてましたが、今ではすっかり地元に馴染んで、普通にJAを通して牛乳出荷しており、全国トップの農業法人とすら言われております。
100人が共同生活する牧場と言うのはなかなか特殊ですが、全国から会員がちょくちょくボランティアしに来るので、閉鎖的な感じは全くなく、外国人の研修生(モンゴル人数名と会った)も受け入れてました。
しかしその割にはあまり活気がなく、お年寄りが多いせいか昔の苦労話をよく聞き、酪農の知識が浅い為に業者からでっかいタワーサイロを高く買わされ、これが不良品でよく詰まって苦労したとか。
タワーサイロは牧草を発酵させる為の塔で、昔は牧場の象徴のような存在でしたが、今使ってる牧場はほとんどなく、ヤマギシ牧場の数千万円した巨大サイロも今は只のガラクタでした。せめてなにかモニュメントにして欲しいところです。
元は養鶏から始めて大規模にやり、斜里までも訪問販売してたそうですが、採算が取れなくて今は自給用に僅かにやってるだけです。山岸養鶏法なる開祖の技も廃れてしまってる感じでした。
一方、乳牛部門は会員の有り余る資産(個人資産を全て寄贈する)をつぎ込んで恐ろしくデカい牛舎が建ち、メタンガス発電の設備まで付いてます。 給料が発生しないシステムなので、利益はまるまる設備投資に回せて、規模拡大の波に乗りにのってますが、私には彼らのゴールが何なのかイマイチ解らず、早々にヤマギシ牧場は後にしました。
次に行ったのは、アメリカ人がバイオダイナミック農法というのを日本に伝える為にやって来て、本別町の山あいに建てた牧場でした。
ここもボランティアが常に数名いる牧場で、私が行った時は外国人5人と日本人1人のボランティアと出会えました。若い女の子なんかはタダで長期滞在できて嬉しい、といった所ですが、真剣に有機農業を探求してる若者もおり、良い情報交換ができました。
牧場主の奥さんは日本人で、地域の人達と上手く交わって、2反程(50m四方)の畑で西洋野菜を作って販売し人気を博してました。
旦那は山の上の方の牧草地で牛の世話と堆肥作りをしており、残念ながら牛は栄養不足からか技術不足からか、繁殖が上手く行っておらず、子を産まないと乳は出ないので、だいぶ苦心されてる様でした。
堆肥作りはまあアナログな、いささかオカルトめいた手法であまり参考にはなりませんでした。
本別の隣の足寄には「ありがとう牧場」という通年放牧の牧場があり、ここの牧場主はニュージーランドで修行を積んだ本格派です。
季節繁殖を行っており、厳冬期は牛が皆お休み(出産前約3ヶ月間は搾乳しない)で、長期旅行を毎年されております。
温かい家族の牧場で、経営も上手く行ってて、本格的なチーズの直売もしてます。ここは動物福祉の観点からも素晴らしい牧場だと思い、大いに見習いたいです。
もう一つ、北海道で有名な放牧の牧場として、旭川市近郊の斎藤牧場が挙げられます。ここは「牛が拓く牧場」という名著を残した、戦後開拓の伝説的人物、斎藤昌氏の残した牧場で、今は昌氏の孫の未来君が引き継いでおります。
山地酪農の聖地と呼ばれるぐらい、自然と一体感した美しい牧場で、街の人達がコテージとか建てたがり、それを喜んで許可した事で発展しました。
牛乳は全て個人販売しており、これは手間がかかり経営的には大変なのですが、やりがいはあるので是非ボランティアに行ってみて下さい。
ちゃんと仕事として働いたのは、東京の農業リクルートフェア(サンサインシティ) で、酪農の後継者を募集していると謳ってた計根別農協に釣られて行った牧場でした。しかし行ってみると後継者を募集している牧場は無く、農協は役場よりもずっと大きく若者が沢山暇そうにしていて、私が牧場を引き継がなくても特に問題はない地域でした。
計根別では半年間、酪農研修生として大きなロボット搾乳牛舎で働き、これは農協が資本を出して農家が働くといった二人三脚の経営で、農家の自主性があまり発揮されてなくて物足りなく感じました。
その後で、もっとずっと過疎な地域で、本当に後継者を探し求めている酪農地帯に狙いを定めて、今の東宗谷地区の永原牧場にやって来ました。
ここでの話はまた次の機会にいたします。