真の動物福祉牧場を目指して

法王成仏 (下)

 120日間に及んだ2万人によるハンガーストライキも、法王行善(シンシャン)を除く全員が旅立ち、法王自身も「即身成仏」の儀式を完成させる「時」に至りました。

 シンシャンは農聖サイオンの腸内細菌叢を引き継ぎ、その共生微生物群との経がりは「神通」の域に達していたので、120日目でも全く身体に衰えを見せませんでした。

 これは看守(兵士)達を悉く法王に帰依させ、シンシャンの打つ太鼓に合わせて全員が「南無妙法蓮華経」を唱和する様になります。
 彼等の中には49日間のバルドゥ祭に臨んで、その間は水しか口にしないと誓う者も現れ、行善に導師として残るコトを求めます。

 しかし行善は、王全国との義兄弟の契りを守り、2万人の優樹の男達の魂を導く為に、自ら息を止めて「ポア」しバルドゥ(中有)へと旅立ちます。

 「死」は私達にとって畏れの対象ですが、チベット仏教では「死者の書(バルドゥ助言)」を死者の側で49日間に渡って読み上げる伝統があります。
 ここでは子供の声が死者に善く届くとされ、シンシャンはまだ意味を解さない内から死者の側で「助言(トドル)」を行って来ました。

 そんなシンシャンにとって死は畏れの対象ではなく、自らの一生を追体験して総括するチャンスであり、そこで懐かしい人々と再び交われるコトを待ちわびていました。

 シンシャンは何度か死に瀕する程の修行も積んでおり、バルドゥの予行演習と言える臨死体験を経て、それに畏れを抱かなくなりました。
 その経験は彼に喜びをもたらし、大好きな姉リンリンやその恋人聖司とも交われ、こうした体験は強く心に残り何度も甦ります。

 「君子は日に三度転ず」という格言がありますが、それはこうした非常に強い体験を日々思い出し、そのつどすっかり心が転ずるコトを褒め称えているのでしょう。
 行善も日に三度、リンリンや行雄師、仁や少林寺の僧達、文徳やトゥルク、サイオンや曹希聖などのコトを思い出し、その度に心が新たになります。

 そこでは目を閉じて脳裏に情景を描く「内観法」も用いられ、これは「夢」を自在に見る行と言えます。
 私も20才の時にインドのバラナシに3ヶ月も沈没し(旅で一ヶ所に留まるコト)、サドゥー(行者)からこうした「夢」の見方を教わりました。

 物語の主人公と共感するコトは、云わば「夢」を見ている様なモノで、最初の物語(「Sin/Syn」)もイランで腹膜炎になり死にはぐって、一月入院しモルヒネ中毒(不眠症)となり、夢と現実の境が曖昧な時に描き始めたコトを前に語りました。

 シンシャンとの共感度は太鼓を打って「南無妙法蓮華経」を唱えるコトで高まり、最近は仕事が忙しくて年に一度の7日間断食(12月の初め、中日に水は取る)にも行けてなかったので、今年は参禅しようと思います。

 「法王成仏」の細かい描写はその時にじっくり「内観」するつもりで、ここではまだ下書きというコトでペンを置かせて貰います。

 

 

 

 

 

 

 



 
 
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