真の動物福祉牧場を目指して

土に還る

今回は、哲学的な面から土を論じてみます。

生き物が地球に誕生してから約40億年の歳月が経っており、地中深くにまで化石燃料が存在している事から、地球(地表)の土はみんな生き物の化石が降り積もったモノと考えられます。

土に還ったばかりの生き物は腐食土と呼ばれ、作物を育てる上で欠かせない存在です。これは年月を経るうちに養分が吸い尽くされて砂の様になって行きます。

地球の生物史の3/4は微生物達だけの世界だったようで、化石燃料は植物の化石なので、それよりずっと古い地層の奥にまで微生物の化石が堆積していると思われます。

そうした地球内部には、今のところ5000m(ヒマラヤ山脈の峠の高度)ぐらいまで掘って調査してるみたいですが、そこには化石どころか現役の微生物達がわんさか活動していて研究者を驚かせてます。

地球は正に命の星であり、その土から生まれた生物は皆この星に還ります。
例外として宇宙に放り出されて戻れなくなった飛行士(トム少佐)がおり、彼の死はデイビッド-ボウイによって歌で讃えられてます。

ボウイがデビューしたのも60年代で、この「Space Oddity」の次の「Ziggy Stardus」は永遠の名盤と讃えられております。

話を土に戻しますと、1グラム(一握りは約10g)の土に100~1000万匹の微生物が居るとされ、これはもう土=微生物と言ってもいいかと思います。
生き物が死んで土に還る事は、微生物に分解され消化されて、その栄養により微生物が分裂して新しく生まれ変わる事だと捉えられます。

これは輪廻転生の科学的な考察であり、いよいよ科学と宗教を経ぐ哲学の領域に入って行きます。

生き物は土(微生物)を介してみんな経がっており、全ては地球生命の現れの一端と捉えられます。

微生物は植物を育て、植物は動物を育てて、その動物の頂点に君臨する人間は地球を代表する生き物であり、全ての生き物を管理する義務があるとするのはキリスト教の考え方です。

一方仏教では、人間には生き物全てを管理する義務も力量もなく、ただの動物の一種として慎ましく暮らすべきだと説きます。
イスラムとヒンドゥーの人間観はファンタジー色(神色)が強いので哲学向きではありませんが、そうした捉え方も私的には嫌いではありません。
人間には物語(神話)が必要だとする気持ちは、若い頃に貧しく虐げられた人々と関わって来たので良く解ります。

いずれの宗派にしろ、土から離れてしまっては空想となってしまい、「天国は地上にしか在り得ない」と歌うジョン-レノンの「イマジン」は正しいと思います。

天国は神から与えられるモノか、人間が創るモノかという議論では、仏教の方が土に根付いた現実的な論を展開しており、そこに天は特別なモノとしては介在しておりません。

天の太陽は確かに地球生命を養っておりますが、太陽は特別な存在ではなく無数にある宇宙の星の一つに過ぎません。
地球こそがオンリー ワンの特別な惑星であり、その土は宇宙が生んだ奇跡の産物と言えるでしょう。


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