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自己批判 総括するは 人のサガ いったい誰が 裁きを下せる?

「総括せよ!」と言う山本太郎のセリフがとても印象的な、浅間山荘事件('72)を描いた「光の雨」という映画があります。
この事件を起こした連合赤軍は、文化大革命と紅衛兵の影響をもろに受けた革命学生のグループで、資本主義(ブルジョア)に毒された仲間に自己批判を迫って戦意の高揚を図りました。

しかしプチブル(ブルジョアの手先)と見なされた学生達の自己批判は概ね認められず、「それで総括が出来たつもりか!」と太郎に責められます。
それはリンチにエスカレートして、冬山の屋外に放置されて何人もの学生が命を落としました。

こうした批判集会は当時中国全土で行われており、数百万人が命を落としたとされます。
この歴史は改革解放時代(77~89)に反省されて総括されましたが、89年に民主化運動が最高潮に達して天安門事件が起こり、それを党が弾圧して以来また「触れてはならない歴史」となってしまってます。

しかしもう、現代の中国で人々が自己批判を迫られる事はなく、とうぜん自由主義の国々でもそんなのは人権侵害だとされます。
極端な集団主義と平等主義は社会正義を人民に押し付けましまたが、それは才能と競争心を殺し、個人的な豊かさを悪として平等に貧困を押し付けました。

今では中国も自由競争を取り入れて豊かになりましたが、その競争のルールが歪んでいる為に極端な貧富の格差が生まれてしまっています。
そんな今こそ、ブルジョア階級は自己批判すべきだという声が聞かれますが、既に共産党もブルジョア階級に支配されている観があり、その党自身がぜんぜん総括できていないので話になりません。
(太郎が演じた赤軍のリーダーも口先だけのプチブルでした)

さて、物語ではいよいよ曹希聖が批判集会の断頭台に立って自己批判を始めます。
そこは重慶大学の断頭台で、この血塗られた政治都市で最も恐れられた批判集会のお立ち台でした。

希聖はまず、「私は一万回の死刑を受けるに値する罪を犯した。」と語り始め、それは十代後半に貧しい農村を捨てて上海に出た所から始まります。
時は1925年(昭和元年)、イギリス資本の中国支配に日本が挑戦状を叩きつけた頃で、中国人労働者は搾取を競う外国資本との闘いを余儀なくされていました。

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