真の動物福祉牧場を目指して

1925(昭和元年)の中国

昭和元年の中国にタイムスリップするのですが(曹希聖の回想として)、その頃の社会状況をザッと述べさせて貰います。

中国は1912年に孫文の革命で一応「中華民国」として統一されましたが、実情は軍閥(袁世凱)に乗っ取られた形でした。

16年に袁が死ぬと軍閥割拠の戦国時代になり、北の軍閥(日本の支援)が一時天下を握ります。
南(広東)に根拠地を持つ国民党は南の軍閥を抑えるのに苦労し、17年のロシア革命により誕生した共産主義連盟(コミンテルン)の支援でなんとか中国を統一します。(日本は満州だけで譲歩した)

しかし25年に孫文が死ぬと、国民党と共産党の合作は崩れてまた内戦状態に戻ります。(軍閥もまた幅を利かす様に)

国民党を引き継いだ蒋介石は、日本で教育を受けて日本の松浦財閥とも繋がりがあり、反共の姿勢を強く打ち出します。
(これについては本宮ひろ志の「国が燃える」で松浦財閥の御曹司が主人公として描かれている。因みに「日本の医聖」で紹介したAWG開発者の松浦博士もこの財閥の直系)

当時は中国も工業化が進んで来ており(外国資本により)、労働者階級は200万人に上って(総人口は4億人)共産党は力を持って来ておりました。
25年の5月には、日系の紡績工場(41ケ所)で10万人規模のストライキを起こし(5.4事件)、これは労働者側の一方的な敗北で終わりました。

これに抗議する運動が学生等を通して全国に広がり、それは「5.30事件」に発展します。
これは死者が100名近く出た熾烈な労働争議で、イギリス資本は機関銃を争議団に撃ち込んだ程でした (日本はそこまではしなかった)。

曹希聖はこんな時に上海に上って来て、闘いの先頭に立つ共産党員に弟子入りします。
後の国家主席となる毛沢東と劉少奇もこの5.30運動(国辱記念日となる)の先頭に立っており、2人とも曹希聖と同じ湖南(方言が強い)の出身なので親しく弟子入りしたと回想します。

都市で破れた労働争議(共産党)は農村にターゲットを向ける様になり、希聖も先輩のオルグ(組織化要員)に付き従って全国の農村を巡ります。
しかし時勢は資本家側に付いた国民党に握られており、農村のオルグには幾多もの試練が課される事となります

これに付いては次回に回想します。


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