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History, Strategy, Ideology, and Nations

1月22日

2010年01月22日 | COLD WAR HISTORY
 これまで冷戦史研究における分析アプローチとしては、
 正統派、修正主義派、ポスト修正主義派の三つに分類されてきた。
 この議論は、米ソいずれに冷戦勃発の責任があったのかを問う論争から端を発しており、
 いわゆる「冷戦起源論」における立場の違いを表したものであった。

 しかし、いまや米ソ冷戦が終結したことで、そうした論争もすっかり影を潜めた感がある。
 たとえば、資本主義の論理に従って市場拡大を目指す米国の野心的行動にこそ、
 米ソ冷戦の責任があると主張してきた修正主義派のグループは、
 共産体制の崩壊と資本主義体制への移行が旧共産諸国で相次いだことから、急速に説得力を失っていった。
 現在、このグループは、「文化論的転回(cultural turn)」を提唱しており、
 米国外交の文化的要素に着目して、その好戦性と拡張的性質を批判的に検討する研究を発表しているが、
 実証性に乏しく、脱構築的な文書解釈への批判が強いため、
 過日のように、冷戦史研究の主流を占めるような勢いはなくなりつつある。

 一方、旧共産諸国などで新しく公開された文書や記録を積極的に検討した上で、
 米ソ冷戦はおおむねソ連・スターリンの責任であったと結論づけているのが、
 正統派とポスト修正主義派のグループである。
 正統派は1950年代頃に、ポスト修正主義派は1970年代以降に主流を占めていたグループで、
 特に後者においては、従来、第二次大戦終結時の国際秩序の構造から見た時、
 米ソ冷戦は不可避だったと論じてきた。
 その点で、ポスト修正主義派を代表する冷戦史家ジョン・L・ギャディスが認めるように、
 国際政治学における「ネオリアリズム」の影響を強く受けた歴史解釈を標榜していたのである。
 逆に言えば、修正主義派が米ソ冷戦のイデオロギー的側面を強調したことに対して、
 ポスト修正主義派は、そうした側面を分析対象から出来るだけ排除することで、
 米ソ冷戦を「現実政治(realpolitik)」の文脈から捉えようとしていたと言えるだろう。 

 ところが、ポスト修正主義派が主張する議論には、
 米ソ両国が、合理的思考に基づいて政策決定を行なうことが前提となっていたにもかかわらず、
 新しく登場してきた歴史的資料は、その前提を否定するものが多く含まれていた。
 すなわち、ソ連や中国の指導者は、決して合理的に政策決定を行なっていたわけではなく、
 かなりの部分で、マルクス主義的な世界観に縛られていたことが分かってきたのである。
 このことは、ソ連の膨張主義的傾向が共産主義に根差したものだと論じてきた正統派の議論に、
 再び説得力を与えることになり、ポスト修正主義派から正統派への転向が相次ぐ状況を生んでいる。

 だが、米国もまた、イデオロギーから自由に政策決定を下していたわけでは決してなく、
 デモクラシーや自由主義といったイデオロギーの影響が強く反映されたことも少なくなかった。
 つまり、ポスト修正主義者がアプローチとして提示した合理モデルによる冷戦史解釈は、
 大きな筋として間違っているわけではないけれども、
 米ソ冷戦の変化や個別の事象を説明することに不向きなアプローチであり、
 それを克服するためには、イデオロギー的側面にメスを入れる必要があると認識されてきたのである。

 この点について、コルゲート大学のダグラス・J・マクドナルド准教授は、
 国益とイデオロギー、二つの目標が対立した場合、
 国家は国益を優先すると理解してきたことに対して疑問を呈している。
 それというのも、実際には、米ソ両国とも、政策決定が下される前に、
 二つの目標を組み合わせた政策内容に改められるのが一般的であるため、
 国益とイデオロギーを分離・対立したものとして捉えること自体、正しいとは言えないからである。

 Douglas J. Macdonald
 "Formal Ideologies in the Cold War: Toward a Framework for Empirical Analysis"
 in Odd Arne Westad, ed.
 Rethinking the Cold War: Approaches, Interpretations, Theory
 Portland: Frank Cass, 2000, chap. 8.

 したがって、政策決定者とイデオロギーの関係が、今後、詳しく検討されることによって、
 ギャディスが「長い平和(long peace)」と表現した米ソ冷戦も、
 想像以上に危ない橋を渡っていたことが明らかになるかもしれない。
 最近の冷戦史研究におけるイデオロギー要因への関心の高まりは、
 このように、ポスト修正主義への批判的検討によって動かされているのである。