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History, Strategy, Ideology, and Nations

国務省史観の相対化

2010年03月06日 | COLD WAR HISTORY
 日本での冷戦史研究を眺めていると、検討されている文書の大半が国務省文書であることに気づかされる。
 米国の外交政策を掌っているのが、周知のように国務省である以上、
 まず、その文書を押さえておくことは、最も手堅い研究手法であると言える。
 しかし、国務省文書ばかりに目を配っていると、
 外交政策に関与する他の政府機関の役割や影響について、過小評価する傾向を持ってしまいがちになる。

 たとえば、国務省とCIAの関係が良くなかったことは、
 この分野に多少、関心のある人なら知っているかもしれない。
 国務省は、他にも軍部とも関係が悪かったのだが、
 国務省の文書を見ていると、自分勝手な言い分を押し付ける軍部・CIAと国務省という印象が強まり、、
 それらに国務省がいかに振り回されたかという構図で歴史的叙述が進められることになる。
 だが、実際にCIAや軍部の文書を読んでいると、
 各省間組織やなどで、自らの原理原則にこだわって、
 他の政府機関と協力的姿勢を示そうとしない国務省の横暴さというのも分かってくるのである。
 
 すでにいくつかの研究で明らかにされているように、
 米国政府内での組織間対立は、実を言うと、日本以上に激しいものがある。
 それが単に組織同士で張り合い、うまく競争原理として機能してくれているならばよいのだが、
 多くの場合、情報・スタッフの出し惜しみや権限・予算への固執など、
 その理想が果たされることは、必ずしも多くない。

 先にも述べたように、国務省は、外交政策の主要担当機関であり、その自負を強く持っていた。
 一方、CIAは、大統領直轄の情報機関・工作機関であったことから、
 その指示や要求は、大統領から由来するものであり、それによって自らの立場を正当づけた。
 CIAは本来、政府に集まる情報を集約し、必要な情報を大統領に届けることを目的として設置されたが、
 ソ連・共産主義との対決に際して、公然活動だけでは不十分であることを知り、
 工作部門を設置することで、その要請を満たそうとしたのである。
 こうした動きを国務省が黙ってみているはずもなく、CIAへの非協力的姿勢は次第に顕著となっていった。
 
 だが、米国の政府文書を見ていると、CIAは何とか国務省との協力を得ようと尽力していたことが分かる。
 情報収集や情報分析の面で、国務省の組織力は、言うまでもなくCIAよりも大きかった。
 CIAは、スパイを使った情報収集に従事していたが、その規模はやはり限定的であったし、
 何よりも共産圏への浸透に際しては、厳しい治安体制の影響で、あまり成功していなかった。
 一方、軍部は基本的に軍事紛争が起きた地域に派遣されることが前提であるため、
 ソ連や東欧圏に深く浸透した人的ネットワークを構築するわけにはいかなかった。
 そこで、CIAとしては、国務省の持つ情報を利用する必要性が出てきたのである。

 興味深いのは、当初、国務省はCIAに協力的であったことである。
 1950年代初頭、米国は様々な心理工作を世界各地で展開していたのだが、
 担当の政府高官が元OSS(CIAの前身)だったこともあり、CIAとの関係は比較的良好だったのである。
 ところが、工作活動に伴う事情に疎い人物が担当となるにつれて、
 両者の関係は徐々に悪化し始め、抽象的な理想論を繰り返すだけで協力しない国務省の立場は、
 CIAや軍部といった他の政府機関から孤立していった。
 
 この話は、あくまでも戦後の心理工作に関わるものではあるけれども、
 そうした「国務省史観」と言えるような解釈は、米国の冷戦史研究や国際政治史においても散見される。
 おそらく国務省文書は、多くの人たちがすでに目を通していることであろうし、
 ここから新しい解釈や見解が出てくることはあまりないであろう。
 新しく公開された国務省文書でさえも、せいぜい従来の「国務省史観」を補強するのみである。
 そうであるならば、国務省以外の政府機関にも目を向けることにより、
 その歴史観を相対化してやることも、今後の冷戦史研究で必要な作業ではないかと思われるのである。