YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

12月2日

2009年12月02日 | COLD WAR HISTORY
 近年見られる冷戦史研究の流行として、文化的要因に着目して、
 それが冷戦の流れにどのような影響を与えたのかについて検討するものがある。 
 たとえば、比較的最近、出版された研究としては、次のようなものが挙げられる。

 土屋由香
 『親米日本の構築 アメリカの対日情報・教育政策と日本占領』
 明石書店、2009年

 著者は米国の政府文書を丹念に調査し、戦前に「鬼畜米英」を掲げていた日本が、
 なぜ戦後、親米国家として変貌したのかといった疑問を検討している。
 そのプロセスを通じて、占領当初に行なわれていた指導的な宣伝広報政策から、
 独立国としての尊厳を損ねない形で日本を扱う方向へと方針を転換していくことで、
 日本の親米気運を維持しようとしたと結論づけられる。

 米国の文化的浸透は、確かに認められることである。
 占領期の日本には、米国からの情報が様々な媒体を通じて流入してきたし、
 日本人の多くも、それを喜んで受け入れた。
 だが、こうした研究が常に弱みを抱えているのは、
 軍事や経済、いわゆる「ハード・パワー」の影響力比較において、
 それと対峙し得る「ソフト・パワー」の効果が測定不能であり、
 あくまで「雰囲気」の分析しかできないことにある。
 
 もちろん、だからといって、ソフト・パワーが無用だというわけでは決してない。
 おそらく長期的に見て、その影響は無視できないであろうし、
 ソ連と米国、各々に抱いた日本人のイメージは、
 そのまま外交政策の方針にも反映されていたであろうことは想像に難くない。
 だが、それは主に政治指導者や政策関係者について言えることであって、
 大衆世論がどこまで積極的な役割を果たしたのかは、確定的なことは誰にも言えないのである。
 
 つまり、ソフト・パワー研究においては、世論形成へのプロセスではなく、
 世論転換の瞬間こそ、分析対象として見逃してはならないポイントであり、
 本書でそのポイントを明解に示すことができないでいることは、
 最終的な結論を導けなかったことにも大きく関係している。
 そもそも米国の宣伝政策が国益に沿って行なわれていたという指摘は、
 あまりにも当たり前すぎて、結論に値するものではないし、
 そこに政治的プロパガンダが含まれていたという指摘も、改めて強調するほど目新しい見方ではない。
 なぜなら、そうした指摘は、すでに欧州を対象とした研究で枚挙に暇がないほど見出せるからである。
 
 この分野の研究では、従来よく知られていなかった細かい事例が、
 数多く取り上げられていることは評価しなければならない。
 だが、得られた知見でのオリジナリティとなると、著しく質が下がる傾向が強い。
 これからは、いかにしてオリジナリティの高い研究を構想していくかが、
 この分野における一つの大きな山となるだろう。