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趙紫陽極秘回想録

2010年04月17日 | COLD WAR HISTORY
 1989年6月、民主化を求める学生デモに武力弾圧を加えた「天安門事件」は、
 冷戦末期に生じた出来事の中でも、最も重要な出来事の一つである。
 それは、東欧諸国から波及した民主化の波と資本主義経済の成功という現実の中で、
 大衆から湧き上がってきた政治体制の変化を求める声に対して、
 きわめて強硬な姿勢で封じ込めを図ったことにより、
 中国とソ連における方向性の相違を明確に示したからである。

 その渦中にいた人物で、学生デモに同情的な態度を採ったことにより、
 小平をはじめとした執行部との確執が生じ、北京にある自宅に軟禁されたまま、
 2005年に死去した趙紫陽の極秘回顧録が出版された。
 あえて「極秘」と銘打たれているのは、軟禁状態に置かれた中で、
 監視の目を盗みながら、口述記録として、60分テープ約30本に録音されたものであったからであり、
 それは家族に危害が及ぶことを懸念して、秘密に進められた計画であった。
 
 趙紫陽/バオ・プー、ルネー・チアン、アディ・イグナシアス編、河野純治訳
 『趙紫陽極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! 』
 光文社、2010年

 おそらく本書で最も高い関心を集めるのは、天安門事件をめぐる中国政府内の動きであろう。
 だが、本書の解説でジャーナリストの日暮高則氏が指摘しているように、
 事実関係について、特に目新しい記述があるわけではない。
 すでに天安門事件に関しては、数多くの著作が発表されており、
 それらによって、基本的な事実は押さえられていて、
 本書においても、それを根本的に否定するような証言は現れていないからである。 
 しかし、その過程で展開される保守派と改革派の権力争いの様子は、
 結局、小平という存在が非常に大きく、
 その歓心を得るために、様々な駆け引きが行なわれていたという点で、
 生々しい現場の雰囲気がよく伝わってくる内容となっている。

 その一方で、改革開放路線を導き、それを定着させた手腕を扱った第3部は、
 今日の中国経済の発展に思い致した時、到底、読み捨てることなどできないであろう。
 特に計画経済の成功が忘れられずに、社会主義的な経済運営にこだわる陳雲や、
 生産高や生産速度のみを追求して、経済効率に関心を持たない胡耀邦との対立は、
 必然的にイデオロギー的な衝突を経済政策に持ち込むことになった。

 また、ゴルフ好きだった趙紫陽は、しばしば党長老から西洋かぶれとの非難を浴びていたが、
 趙紫陽が社会主義的な経済運営に限界を感じたのは、
 西洋型資本主義に触れたことが原因ではなく、
 むしろ、地方行政官の時代を通じて、地方の特色や特性をまったく考慮しないまま、
 中央政府の計画に基づいて進められる経済政策が、
 逆に経済効率を低め、全体としての生産性を低めていることに気づいたからである。
 そのためには、「経済構造を調整し、システムを改革すること」以外に方法がなかった。
 すなわち、当時の趙紫陽にとっては、
 「とにかく経済効率を改善したい」ということが最大の目標だったのである。

 しかし、「経済的に右」であっても、「政治的に左」であった小平の下で、
 次第に自由主義的な雰囲気が中国国内で高まるようになると、
 1987年、「反ブルジョア自由化運動」が推進された。
 この段階で、趙紫陽がスケープゴートされることは運命づけられていたのかもしれない。
 そして、今や中国経済が世界第2位に躍進しようとする状況下にあっても、
 その矛盾はなおも解消されているとは言えないのである。
 趙紫陽は、まさにそうした中国が抱える矛盾に飲み込まれた存在であり、
 その矛盾が中国に留まり続けている限り、
 今後、第二の趙紫陽が生まれる可能性は十分にあり得るのである。
 
 平易な文章と分かりやすい構成となっているため、非常に読みやすいにもかかわらず、
 本書を通じて得られる歴史的示唆はなかなか大きい。
 専門外であっても一読の価値ありと言えるだろう。