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作文術の手引書

2010年06月11日 | WORK STYLE
 最近、ちょっと思うところがあって、作文術に関する本を読み直していた。
 多少なりとも物を書く作業に携わっている人間として、
 良い文章をきちんと書くことが非常に大切であることは言うまでもない。
 どんなに内容が注目に値するものであっても、
 いわゆる悪文と呼ばれる文章が延々と並べ立てられていたら、とても読む気になれないだろう。
 また、たとえ読むことができたとしても、ちゃんと文意が取れているか不安になる。
 そのため、同じ文章を何度も繰り返して読まなければならない羽目になる。
 そうした手間を取らせることがいかに読者を疲れさせているか、書き手は思い致すべきであろう。
 「読めば分かる」というのは、間違いなく書き手の傲慢であって、
 「分かるように読ませる」工夫を常に心がけることが、良い文章を書く上での第一の心構えと言える。
 
 とはいえ、ここでいう「良い文章」とは一体何かという問題がある。
 私たちは小説家や詩人ではないので、言葉が持つ独特の韻やニュアンスをうまく織り込みながら、
 流れるように文章を綴っていくことはできない。
 もちろん、それが出来るに越したことはないのかもしれないが、
 いわゆる「実用文」と呼ばれる文章を書く上で、そうした能力は必要とされていないはずである。
 むしろ、私たちに必要とされる「良い文章」を書く能力とは、
 そうした品位や格式を重視した文章ではなく、分かりやすい文章を書くということにほかならない。
 つまり、書き手の意見が一読するとすぐに分かる文章ということである。
 
 だが、「分かりやすい文章」を書く方法は、学校でほとんど教えてもらえないし、
 それどころか、理由もなく否定されることさえある。
 おそらく国語教師の多くが文学青年あがりで、
 「良い文章」の判断基準が有名な小説家や詩人の作品に範を求めているからであろう。
 その結果、「分かりやすい文章」を書くために、
 私たちは大人になって、改めて作文術の手引書で勉強し直さないといけないのである。

 実を言うと、こうした楽屋話は大っぴらに語られることが少ない。
 少ないにもかかわらず、文章を書くときは、誰もが一度は必ず頭を悩ませる問題で、
 それは決して書き手の知識量や理解力に反比例するものではないのである。
 実際、普段、話していると、専門分野はおろか、周辺領域に至るまで幅広い知識を持っている人でも、
 いざ文章を書くとなると、毎日のように苦悶する人が多い。
 もちろん、私自身も遅筆を強く自覚していて、これじゃイカンといつも思っているし、
 この記事でさえも、分かりやすく書けているか、手探りしながら書いているような状況なので、
 あまり偉そうなことを言えた義理ではまったくない。
 しかし、どうしたものかと色々と考えた時期もあって、
 その際に、次のような本と出会ったことで、何となくコツみたいなものはつかめたような気がする。
  
 野口悠紀雄
 『「超」文章法 伝えたいことをどう書くか』
 中公新書、2002年

 いまや作文術の手引書として定番と言えば、この本であろう。
 学者の中には、人生で最も影響を受けた本として、この本を挙げる人さえいるくらいである。
 よほど執筆作業に苦しんだのであろうが、その心情は痛いほどよく分かる。
 確かに本書を一読すれば、「分かりやすい文章」を書くための方法がふんだんに紹介されており、
 とりわけ文章を書く仕事に就いている人には、まさに必携と言えるだろう。

 一方で、最近、野口氏の考え方とは若干、異なったアプローチではあるが、
 「分かりやすい文章」を書く上で、大いに参考となりそうな手引書が出たので挙げておきたい。
 
 野内良三
 『日本語作文術 伝わる文章を書くために』
 中公新書、2010年

 野口氏の本では、メッセージの重要性と文章構成の仕方に力点が置かれている。
 一方、『日本語作文術』は、一つの文章の構造を文節ごとに解体するなどして、
 「分かりやすい文章」に仕上げる方法論が多く紹介されている。
 文章を細かく推敲する上で、非常に有用な手引書であると思われる。

 この二冊を手元に揃えておけば、
 「分かりやすい文章」を書くということがどういったものかを知ることができるはずである。
 自分で分かりやすいと思っている文章でも、
 他人にとっては分かりにくいと思われていることは往々にしてある。
 自分の文章に自信を持っている人ほど、こうした本に目を通しておくべきであろう。