料理やスポーツの方法論を指南する本は、誰にも広く受け入れられる一方で、
知的生産の技術に関する方法論を指南する本には、
書き手の自己顕示欲が発露されたように受け止められるところが少なくない。
多分、決まった方法論が存在するわけではなく、
どうしても書き手の方法を押しつける形にならざるを得ないからであろう。
それに加えて、元来、世間一般において、
それほど多くの人が知的生産に携わっているわけでもないので、
名のある学者が執筆した知的生産のマニュアル本は、
「私はこれで成功しました」と自慢げに語られているような印象を与えてしまいがちである。
実際、自慢話ではないと断りを入れながらも、
しかし、方法論の説得力を上げるためには、自分の業績をひけらかさざるを得ないため、
そうした印象を逃れることは不可避であろう。
知的生産の技術を扱った文献は、何十年も前から数多く出版されているので、
もう一体、どれだけ読めばよいのか分からないくらいなのだが、
それだけ世代を超えた需要があるということだろう。
そして、自慢話と知りつつも、何とか優れた書き手の方法を盗むために、
新しいマニュアル本が出版されると、つい手が伸びてしまうのである。
まるで参考書ばかり揃えて勉強した気になっている受験生みたいなもので、
書籍代が余計にかさむだけで、益するところは小さい。
先日も偶然、書店をぶらついていたら新書で出ていたので、
少し紹介しておきたい。
谷岡一郎
『40歳からの知的生産術』
ちくま新書、2011年
「40歳」という年齢設定に深い意味はない。
要するに、歳を取ってからでも、知的生産の技術を磨くことは可能だと言いたいだけである。
肝心の内容だが、すでに他の文献で紹介されている方法の焼き直しが多い。
裏を返せば、梅棹忠夫氏や野口悠紀雄氏の影響がいかに大きいかを知ることができる。
興味深いポイントとしては、「セレンディピティ(serendipity)」という言葉を使って、
物事の本質を見抜く能力に関して、若干、言及されている箇所もあるが、
これとて、それを身に付ける具体的方法を示しているわけではなく、
率直に言って、マニュアル本としては退屈な内容である。
それにしても、レポートや小論文の技法なども含めて、
ここまで色々と知的生産の方法論に関する文献が出ていると、
これはこれで、もはや一つの分野を形成していると言ってもよい気がする。
しかし、著者は違えど、書かれている内容は、大体どれも同じであり、
オリジナリティに欠けていると言わざるを得ない。
どれだけ知的生産の技術に通じていても、
知的独自性を獲得することにはつながらないことがよく分かる。