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History, Strategy, Ideology, and Nations

革命闘争の現実

2010年06月10日 | COLD WAR HISTORY
 日本では、全国にわたって血で血を洗う凄惨な革命運動が起きなかったこともあって、
 いまいち「革命」といったものに現実感を抱けないところがある。
 そのせいもあるのかもしれないが、
 ロシア革命にしても中国の共産革命にしても、
 社会的不満や貧困の問題がイデオロギーと結びついて体制転換を促していき、
 ひいては、共産体制の成立へと結実したと解釈されることが多い。
 この解釈が根本的に間違っているわけではないけれども、
 物は言い様というか、こうした解釈を額面通りに受け取ったら、
 まるで特定の理念が人々の間で共鳴され、大規模な大衆動員を可能にしたかのような印象を受ける。
 
 ところが、実際の革命運動は、そんなに美しいものではなく、
 むしろ、そうした理念は、単に権力闘争を正当化するために用いられたものだけに過ぎず、
 多くの場合、富裕層の財産を略奪し、自分たちのものにするための方便でしかなかったのである。

 たとえば、次の文献は、中国における虐殺の歴史を扱ったものだが、
 中国の共産革命とは、まさしく殺戮によって成り立ってきたことを教えるものである。
 
 石平
 『中国大虐殺史 なぜ中国人は人殺しが好きなのか』
 ビジネス社、2007年

 中国共産党が、上海で第一回党大会を開いて、
 コミンテルン中国支部として発足したのは、1921年7月のことである。
 その後、第一次国共合作によって、党勢拡大の機会をうかがって隠密に活動を続けていたが、
 蒋介石によって、「清党」と呼ばれる共産主義者の駆逐作戦が断行されると、
 都市部での活動を諦め、中国共産党は農村部を革命根拠地とする方針に転換を図っていった。
 そこで、1927年に作成された文書が、「暴動決議案」と呼ばれるもので、
 党方針に反する軍人や官僚はもとより、地主や旧家などの地元有力者に対して、
 「一村一焼一殺」を行動方針として苛烈な略奪を実施し、大量殺戮を展開していったのである。

 その手法は、おおむね次のようであった。
 まず、党軍が一つの村に接近し、村全体を包囲して退路を断っておく。
 その上で、村へ侵入し、有力者の家に押し入って、家族全員を監禁した後、
 金銀の塊、地契(土地の所有証書)、現金の捜索を行なう。
 もし見つからなければ、家人を別室に連れ出し、激しい拷問を加えて、その在り処を問い質す。
 そうやって見つかった資産のうち、金銀の塊や現金は、党軍が獲得することになるが、
 家財道具などは、協力してくれた村の貧民などに分け与えてやるのである。
 そして、地主の家屋を焼き、地契も合わせて焼却した後、
 監禁していた有力者を広場に引きずり出して、村人たちに裁判を開かせる。
 その際、事前に村の協力者たちと申し合わせて、この有力者の平素の罪状を告訴させる。
 ここで、党軍側が村人たちに、この有力者をどう処分すべきかと問う。
 すると、村人たちは「殺せ!殺せ!」と口々に叫び始め、有力者を惨殺するといった具合である。
 もちろん、有力者に抗弁の余地など与えられるはずもない。
 恐るべきなのは、こうした事例がまったく例外的なものではないことであろう。
 この文献によると、1933年までの五年間で、約10万人の有力者が殺害されたとしている。
 これでは、まるで「北斗の拳」に出てくるチンピラと一緒である。

 結局、革命闘争の根底には、権力への飽くなき欲望が渦巻いているのであって、
 無辜の住民たちは、その犠牲を強いられるばかりであった。
 歴史、とりわけ冷戦史において、イデオロギーの役割が大きかったという解釈も、
 それが果たして一般市民のレベルにおいて、どのように受け止められていたのかは、
 掘り下げて検討しなければ、真実のほどは定かではない。
 なぜなら、20世紀末、共産圏の人々が体制転換を求めたのは、
 西側諸国のイデオロギーに触れたからではなく、
 こうした革命政党の非道ぶりへの怒りが発露されたものだったとも考えられるからである。
 
 いずれにしても、今回、読んだ文献には、
 次から次へと中国史における大量虐殺の話が掲載されている。
 その手口たるや、残忍を通り越して、もはや快楽の域に入っていると言わざるを得ない。
 この歴史を消し去らない限り、中国共産党の政治的正統性は、永遠に得られないのだろう。
 彼らにとって、歴史が政治と結びついていることは、こうしたことからも分かるのである。
 そしてまた、これが革命闘争の真実ということもできるだろう。
 それゆえに、革命への共鳴は、その下で苛まれている民衆の苦悩に思い致した時、
 決して安易なものであってはならないのである。