代々木の個別学習塾講師が想う、あれこれ

教育関連のニュースや日々の出来事に塾講師が思うことを綴っていきます。

未履修問題 その2

2006-11-24 | 教育ニュース

昨日に続き、未履修問題その2として、私立学校の未履修問題を取り上げてみたいと思います。この問題に関して、東京都の私学を監督、指導する立場にある私学行政課に電話でお話を伺い、さらに私立高校の先生にもご意見を伺いました。

私立学校に関しても履修漏れが発覚し報道されていますが、はたして公立学校と問題とするところは同じなのでしょうか。

大々的に報じられた名門進学校である灘高校の家庭科の履修漏れについてですが、日経ビジネスにて校長先生がことの経緯を述べられていました。要約すれば、裁縫や調理実習は家庭科の先生が教え、食品添加物の安全性については化学の先生が、電化製品の安全性に関しては電流に関する内容であり、より専門性の高い物理の先生が授業を担当していたために、家庭科の免許を持っていない教師の授業は認められず、補習を余儀なくされたという内容でした。生徒は物理・化学の各先生が行なった授業を再度、今度は家庭科の先生によって受けなければなりません。なおかつマスコミからは有名進学校だからとしか考えられない理由により、生徒の気持ちも考えず、また詳細や経緯などの説明もなく、叩かれ非難されているのです。

また、関東では灘高校に匹敵する、有名進学校も家庭科で未履修の疑いがあります。夏休みに時間分の家庭科実技を自宅で行ない、それをレポート提出させることで授業時間の不足を補っているというのです。さらに、当教室に通う生徒のある学校、こちらも進学校ですが、家庭科の授業は一切行なわれず、教科書の試験範囲を指定され、定期テストを受けただけで履修済みとし、いまだ未履修校に名前は挙がっていません。

他にも2年生で全く授業を行なわれていないにも関わらず、調査書には履修済みとして成績が記されていたケースも見られます。また、生徒は明らかに自分が必修科目を履修していないことを知っているにも関わらず、学校は履修済みとしている高校もあるのです。この生徒は推薦が決まっており、履修漏れが発覚しないかと日々ドキドキしているのです。

加えて、私立高校の場合、中高一貫教育が多く、進学を重視する学校では多く先取り学習を行なっています。ゆとり教育によって教科書内容を削られ、必修内容に余裕がある中学の段階で、既に高校範囲を学習し終えてしまう学校も多いはずです。つまりカリキュラムが公立とは違いかなり複雑になっています。ですから毎年の授業計画提出ではOKをもらい、指導もされなかった高校が、念のために確認を行なったところアウトだったという話も聞きます。解釈の違いにより、履修を認められなかったというケースもあり、未履修が発覚した私立高校全てが悪質で意図的だったと言い切れない面もあるように思います。

以上のことから考えるに、公立とは比較にならぬほど、私立高校の未履修問題にはとても大きな不公平があるという実態が分かります。未履修が発覚した高校と、未履修は明らかなのに発覚していない、発覚させない高校が現実としてあるという不公平こそ、問題とすべき点のように思われます。

では、何故このような不公平が生じたのでしょう。未履修の調査にあたって、公立学校は教育委員会が直接学校に立ち入って調査することが出来るのに対して、私立学校への調査はあくまで、電話確認や書類提出、自己申告に過ぎないのです。これは管理監督する所轄庁の違いによるもので、民間である私立学校の場合、所轄庁は各都道府県知事であり、立ち入ってまで調査する権限はないためです。ですから学則と呼ばれる(今回の場合カリキュラム、授業計画書と考えて良いかと思います)書類を提出させてチェックするだけで、実際その通りに授業が行なわれているかどうかは、外部からは確かめる術がないのです。

そうであれば、意図的に必修科目を受験のための科目にすり替え、虚偽の申告をしても調査が入ることはなく、発覚しない、バレないという実体が浮かび上がります。逆に言えば、今回未履修報道に出た高校の多くは正直に申告したケース、過去に所轄庁が提出された学則チェックを確認したものの未履修を見抜けず、問題なしと判断し、何も指導を行なっていなかったものの、学校側が生徒に不安や心配をかけまいとして、念を入れて確認をしたところ、実は未履修が判明したケースと判断することも出来ると思います。

ところが東京私立中学高等学校協会会長は「私学には独自性、自主性がある。学習指導要領や文部科学省の通達どおりにやらないと法令違反だというのは間違っている」「自分の学校に当てはめたときに、あまりにも合わないところがあったら現場で調整するのは当たり前だ」と開き直りとも思われる見解を述べられました。

ここにも大変曖昧で、納得がいかない事実が隠されています。教育基本法には学校法人が設置する学校も含め、学校は公の性質を持つとされ、公である文部科学省が発令する、学習指導要領は明らかに法的に拘束力を持つべきものと考えられます。そして、学校教育法の十四条には、要約抜粋しますと『市町村の設置する学校については都道府県の教育委員会、私立学校については都道府県知事は、当該学校が、設備、授業その他の事項について、法令の規定又は都道府県の教育委員会若しくは都道府県知事の定める規程に違反したときは、その変更を命ずることができる』とあります。

この文章を読むと、学習指導要領に従わず、それに違反する場合、知事は私立学校に変更を命じ、指導することが出来ると思われるのですが、実は私立学校法の第一条には『この法律は、私立学校の特性にかんがみ、その自主性を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図ることを目的とする』そして第五条には学校教育法の特例として『私立学校には、学校教育法第十四条の規定は、適用しない』と書かれているのです。

つまり学習指導要領は私立の学校において、法的拘束力はない、と捉えることも出来るのです。先の私学協会長の発言はそのことを承知した上でのものなのでしょうか。もちろん私立学校の自主性を重んじることに異議はありませんし、建学の精神、教育方針に従って教育すること、独自のカリキュラムはあって然るべきだと思います。しかし、公立であれ私立であれ、大学進学という目的のために、進学のみに特化した教育を行なっても良いものなのでしょうか。それ以前に生徒が学ぶべきことがあるはずです。日本の学校教育において、子供たちに必要最低限の知識を習得させるべき内容としての必履修科目は、否定されるべきものではありません。最低限の共通した必修科目を学ばせた上で、正々堂々と各学校が独自の特色を出し大学受験にしろ、勝負すべきです。

それが学習指導要領に定められた必修科目を大学進学のためといって、軽んじる、無視するに留まらず、嘘をつく、あるいは誤魔化すといった行為は、学問的な問題だけでなく、道徳心や公共心をも踏みにじるものだと憤りを覚えずにはいられません。何のための学校なのか。子供たちがそのような卑劣な手段を目の当たりにし、今なお隠し通そうとしている姿、嘘をつき通そうとする姿は子供たちの目にはどのように映るのでしょうか。

教育者として恥ずべき行為であって、断固たる処置を講ずるべきだと思います。卒業生や大学側に対して、甚大なる迷惑と混乱を招き、現役生にはまさに晴天の霹靂であっただろう事態を補習で片付け、それで事態の収拾させ、このまま見過ごされて良いはずがありません。

そして文部科学省は今なお故意に隠している学校に対してどのように対処しようとするのでしょう。学習指導要領の法的拘束力、調査権限の強化などを考えるべきではないでしょうか。学校は子供の教育に必要である最低限の科目という重みをどのように実のあるものとするべきです。私学助成金として税金が使われていることも忘れてはならないはずです。このまま中途半端に片付けてしまうようであれば、まさに正直者が損をするという、嘘がまかり通り、隠し通すことが出来てしまう…こんな教育現場を放置していいのでしょうか。一体、誰が責任を取るというのでしょう。

相変わらず隠蔽に終始する学校には良心の呵責も、正義感も、公共心のかけらもないと言わざるを得ません。生徒のためだという言い訳や私立学校の自主性など重んじるといった詭弁がルールを乱し、大学受験において公平性を失わせているのです。これでは生徒だけでなく、真摯に未履修問題を受け止め、必死になって、汚名を返上しよう、名誉を挽回しようとする学校および教員もやり切れない思いがあるはずです。こんな理不尽で卑劣卑怯なことが半ば公然と行なわれ、対処する術もない無策な教育行政があっていいはずがありません。これが日本の教育なのでしょうか。教育者としての自負も誇りも感じられない姿に暗然たる思いしか残りません。

すでに当事者である学校の生徒たちはこうした実態を知っているのです。そして不正を隠し続ける自ら通う学校に対し、信用も出来ないし、誇りも持てない、とまで言っている生徒もいるのです。こうした声を文科省も学校も聞き、早期に不信感、不公平感を払拭させるべく、生徒・保護者の要望に応えるべく、手を尽くして欲しいものです。決して最低限の公正なルールが私立学校の自主性や独自性、教育力を奪い、妨げるものではないはずです。

当教室HPへはこちら→ http://tokkun.net/jump.htm


未履修問題 その1

2006-11-23 | 教育ニュース

未履修問題に関し、連日マスコミは鬼の首でもとったかかのような報道がなされていました。しかし、それは公立高校、私立高校と一律に論じており、違和感を覚えます。

学習指導要領にある必修科目について、その中身がはたして相応しく、また必要か不必要かの論は別として、現時点においては子供を教育する上で、国として最低限必要な学問として定められている以上、公立も私立も区別なく、遵守すべきであろうと考えます。実際、教育基本法の中で、法律に定める学校は、公の性質をもつものであると謳われています。

学習指導要領の通知に関しては公立学校には各教育委員会から、私立学校へは都道府県知事から周知するように通達があったはずです。そして教育委員会の仕事に関してはあくまでも公立学校が対象であり、私立学校は含まれていません。公立学校の監督責任は教育委員会にあり、私立学校は都道府県知事または市区町村にあるとされています。

さて、今回の報道の中で、公立高校の未履修問題に関してはほとんどが意図的であり、各校長のコメントの多くは、生徒のためを思って、進学実績を上げるため、授業時間を確保するため、といったものがほとんど言って良いでしょう。その理由は必修科目が増加する一方で、週5日制への移行により、授業時間が圧倒的に減ってしまったためというものであり、物理的な問題を挙げる声が多いことは今後、無視するわけにはいきません。

しかし、ルールを無視し、さらに必修科目を履修した学校との公平性を無視してまでも行なっていた、公文書までも偽造していたという事実はやはり許されるものではありません。

以前も書きましたが、ルールに則り、真面目に必修科目を履修してきた生徒が大学受験に限っては、損をしてしまうという行為が子供たちにいい影響を与えるはずがありません。学校長の責任が大きいのはもちろんですが、これを管理監督すべき教育委員会の怠慢もまた許すことが出来ません。

文部科学省から全公立高校への調査を命を受け、全校立ち入り調査をした教育委員会がある一方で、新聞報道の中で島根県の教育委員会教育長曰く「教員が生徒のために善意で行った。厳しいせんさくは教員の士気に影響し、島根の教育にとって良くない」校長や教員の処分については「責任を問うべきかどうかは、処分を検討するかどうかも含めて時間をかけて考えたい」と述べています。さらに、和歌山県教育委員会は文科省から全県立高校についての通達を無視し、調査もせず不適切な事例が判明した高校数はゼロと回答していたといいます。

このように内実を知っていたにも黙認していたのか、怠慢な調査であったか、恒常的な問題と意に介していなかったのか、各教育委員会によってもその温度差があり、仕事にも表れているようです。現に入試直前の生徒のことを思って…などと美辞麗句の如き詭弁にて、調査をなおざりにし、自らの責任逃れに奔走しているかのような教育委員会もあり、統一された厳格な調査が行なわれていない実態を見過ごして良いはずはありません。

少なくとも各都道府県の教育委員会が一律ではない、不公平で曖昧な調査やことの責任を重大に受け止め、何らかの処罰なり改善策と講じるべきでしょうし、教育委員会の存在そのものも見直す時期に来ているのは間違いありませんし、現に動き出しています。今後の経緯を見守りたいと思います。

明日は、未履修問題 その2として私立高校の履修漏れに関して書かせていただきます。

http://tokkun.net/jump.htm


冬期講習会に向けて受験生にエールを!

2006-11-18 | 塾内のこと
世間では、虐めと自殺予告、履修問題、虐待、教育基本法改正のドタバタ・・・嫌なニュースばかりで、教育環境だけに留まらず、日本の将来がとても危うくなる気がして仕方ありません。実際、教室に通う生徒の中には、学校で現在も進行している虐めがあり、自殺予告の手紙を出した子どもがうちの生徒の身近にいたり、履修問題でこれから学校で補習を受けることになった生徒もいて・・・暗い話題には事欠くことはない日々が続いています。私なりにいろいろ考え、近々、履修問題に関してこちらに書かせて頂きたいと思っています。

ところで当教室では父母面談も一応終わり、定期テスト対策に追われ、具体的な目標、特に受験生は志望校合格に向けて、一気にスパートする時期となりました。そして最後のイベントとなる冬期講習会がすぐそこに迫っています。学校での面談や進路相談では今現在の学力、場合によっては1ヶ月前の模試の成績をもとに、大丈夫だ、無理だなどと志望校の検討をしているところもありますが、的を射た内容を効率良く、効果的に勉強すれば、入試当日まで学力は付いていくものです。

つまり、学校では無理だと言われた志望校も大逆転することだって十分に可能なのです。私たちはそうした実績を残し、数々の奇跡(合格した生徒には失礼かもしれません)を残してきたのです。ですから最後まで諦めずに、精一杯の努力をして下さい。どうしても入りたい学校を簡単に諦めてはいけません。

受験生の皆さんっ!気持ちを強く持って勉強して下さい、というか一緒に勉強しましょう!

冬期個人特訓講習会の詳細

教室のHPは→http://tokkun.net/jump.htm

違和感がある学力によるランク付けとお金

2006-11-05 | 教育ニュース

今や虐め問題の隠蔽や未履修の偽装など教委の役割は地に落ちた感があるのは私だけではないと思います。そんな中、東京都足立区教育委員会は公立中学校をランク付けし各校の予算枠に差をつける方針を決めたとの報道がありました。ランク付けは、学力テストの成績と校長のヒアリングを8対2の比率で数値化して決めるとのことです。

学校間の競争意識を促すことは以前に書きましたが、賛成ではあります。しかし、学校を学力テストの成績でランク付けするとはどういったことでしょう?学校の評価はテスト結果だけで決まるもの、決めるものなのでしょうか。虐めに対する学校の取り組み、生徒への道徳教育、公の意識や社会性を育む指導も大きく評価されるべきです。虐めに真剣に向き合う教師や問題のある生徒の生活指導に昼夜の区別なく立ち振る舞う学校や教員もいるでしょう。公教育の現場は成績さえ良ければいいという偏狭な考えで良かろうはずはありません。

まして、ランク付けして高い評価の学校に多くお金をあげ、校長と教員の意欲を高めるなどと、区の教育長は言っているようですが、今時の校長も教員も、お金でやる気や意欲が変わるものなのでしょうか?お金をあげないと、校長も教員も動かない、働かない、やる気にならないということでしょうか?もはや、公教育の携わる人々の価値観が学力テストの成績とお金に支配されていると考えざるを得ません。聖職者という言葉が死語になったのも頷ける気がきしますし、教育員会が主導してこうした価値観を押しつけるが如きの愚策を、教師たちはどのように思い、感じているのでしょう。

学力テストの点数が高い低いだけで学校を判断することなく、様々な視点から学校教育を捉え、また評価し、各学校がそれぞれ課題を克服するために必要と思われる教員の配置や異動、教員の資質チェックや育成、システムの確立などに、予算を配分していくべきではないでしょうか?そして教委は厳重に正直にそれらをチェックすべきでしょう。しかし適切な学校の評価が出来ないのでしょうか?だから、安易に学力テストの成績で学校を評価し、お金でやる気や意欲を促そうなどと考えたのであれば残念に思います。

足立区は学校改革を積極的に行なっており、私としては密かに応援していただけに、今回の教委の改革案は首を傾げたくなる気持ちです。それとも、区民や教員の意向に沿ったものなのでしょうか…そうでないことを願います。

http://tokkun.net/jump.htm
よろしければクリックをお願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ