yoyo独り言

日常の思いつくままを、
心の整理場所として・・

楽しみかた・・それぞれ

2013年05月19日 | 美術・他 鑑賞


朝から名古屋・栄にお出かけです。
SOT会のへばなさんが「第15回名東写真連盟作品展」に
出品しているとのことで 写真鑑賞をしました。
旅行の時は 性能の良さそうなカメラでパシパシ撮っています。
時々このブログにもお借りしています。
撮った場所が想像できる作品でした。
長男様と一緒の趣味なんて 共通の話題が出来て好いですね。
多少の張り合いも出来るでしょう。
会場には富士山の作品も多くありました。
どの富士山も素敵です。一つ一つ顔が違う・・・
次回も楽しみにしています。

会場を出て、オアシス21のバスターミナルに向かう途中、何やら人が集まっている・・



自転車曲乗り? 何かスポーツ名が有るのだろうか?



若者たちが自転を操って妙技を披露していました。 真剣な顔つきです。
きっと何度も転びながら練習しているのだろうね。

お昼からは 中学時代の友人の日舞の観劇です。



数年ぶりかなぁ~(前々回の佐藤陽子さんのヴァイオリンコンサート以来?)
長唄「鶴亀」 を上品に舞っていました。
ライフスタイルの一部を占めている・・と
これからも楽しみながら続けていかれますように。

シニア世代もヤング世代も それぞれに楽しみ方を体現しているのだな~
と感じた一日でした。

セネガル便り-464-

2013年05月19日 | セネガル便り


セネガル便り (停電の為、蝋燭を照らして・・・)
① この度ある日本人より、このクールアブド-ンドイ村の診療所に
医薬品の支援がありました。 写真上
彼が診療所の責任者:アッサン・バ氏です。
早朝、畑仕事を終えてからここに来ます。
よく見ると棚の壁に小さく「JAPAN」 と有ります。
これは日本からの支援という「シール」です。

え~~と概要として私の方から説明を致します。
まず、2007年11~12月頃この診療所が設置され、
当然日本の草の根、無償の支援によるもので
関係者及び各団体、視察団が訪れます。
その時は○月○日の何時頃、行くという連絡が有り、
当日はそれなりの準備をして待ちます。
訪れて30分~1時間位、視察及び質問(雑談も含む)を終え、
「良かった、良かった」 と帰って行きます。
すると現場の診療所側も
「終わった、終わった」 といつもの業務に戻ります。
さてここからです。
この施設は政府とか市からの支援ではなく、独立採算なので有料です。
そしてここは開発途上国の田舎で裕福な人ばかりでは有りません。
余裕の有る人はいいんです。余裕のない人も病気や怪我にもなります。
そういう人達は、我慢して 我慢して本当にギリギリになってから
診療所に来ます。現場で見ていますと、
ああ治っても障害として残るだろうなぁ、または運が悪ければ・・・・。
そういう人達は診察料など持っていません。
彼達も非常識という事はわかっているんです。
だからと言って追い返しますか?
ここで見捨てられれば、後はなるようにしかならないのです。
診療所で働いている人達は黙って手当てをしてやります。
私も黙殺します。この場合、自分達の取り分、
及び設置してある医薬品に負担がかかります。
こういう事をしていては運営上この先必ず行き詰まります。
机上論としては先細り、駄目じゃん という話です。
でもそこと現場の最前線とは別な話です。
(長くなりますので言いたい事だけをまとめます。)
診療所で働いている人達、又医療品・備品を管理している村の責任者、
その人達を見ていますと、自分達の何かを削ってまで働いているのです。
それは今の積み重ねが歴史となり未来に続く事をわかっている人達なのです。
それこそ儲からないけど素敵な事をしている人達だと思います。
そういう人達へ GHANA在住のY.Kさんからです。
現場に携わっている人達は貴方を知りません。
よって私から御礼申し上げます。
正に神が降りたというような喜び方をしていました。
有難うございます。
2013年5月2日   エンドー



② え~~と言い足らない事が沢山有るのですが
ご意見、ご質問等有りましたら私、エンドーまで。

◎ こういう未来は全く想像していませんでしたが・・
診療所の切っ掛けを作った  沖縄のT.M氏
それを繋いで施設にした  私
そこへ医療品の支援   GHANAのT.K氏

この3人は共に協力隊のOBで、
かって机を並べてフランス語を学んだ同期なのです。
あれから二十数年、ここで繋がったか・・・・
彼達は私の友達です。
そして そのまま宝物でも有ります。
2013年5月2日    エンドー