今回からキニシラをKshiraとタイトル変えします。まあキニシラはカッコ悪いので変えました。で今回のお調べはワールドカップです。現在開催中のワールドカップ、7月15日に世界頂点を決める最終戦があり一体どの国が一位に輝くのかが注目されます。でこの度のワールドカップに際してワールドカップに関して調べてみます。日本も奇跡なのか勝利を収めることが出来たという快挙ですしそれをお祝いしたいということもありますね。
まあワールドカップとは正確にはFIFAワールドカップでして国際サッカー連盟(FIFA)が主催する男子ナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会です。つまり国際サッカー連盟世界大会とでも言えばいいのでしょうか?国際的な大会だということですがこのワールドカップ、FIFAに加盟していなければ参加はできません。当然ですがこの時点で選出国が限定されるわけです。1930年より開催されたワールドカップですがはっきり言って欧州や南米よりな大会であり北アメリカやアジア、ロシア、アフリカなどは日の目を見ているのだろうかと疑問に思うばかり、ワールドカップのワールドは名ばかりと思えます。
現在開催されているロシア大会ですがやはり実施されるのはツンドラ地帯ではなく比較的温暖な中東よりの都市部などで行われるみたいです。
近年になりアメリカや東南アジアあたりが台頭してきましたがアメリカ圏はアメリカンフットボールが中心であることやアジア圏の民族の能力的なことがあり強靭な肉体を持つ南米やら欧州のほうが有利だから歴史がこうなのではとしか思えないですね。ゆうに歴代優勝回数5回を誇るブラジルやら4回のドイツ、イタリアをみても流行っていないアメリカやら体の弱い東南アジアは不利だとしか言えないです。でこの度のKshira、日本のワールドカップ史を調べていきます。調べると言っても途方もないので日本のワールドカップはどうだったのかを調べてみましょう。苦節だらけの日本のサッカー史、でも日本の選手はグラウンドのピッチで戦っている、そんな戦士たちに贈るエールになれば幸いです。
【初開催の1930年ぐらいの時、日本はどうだったのか?】
記念すべきワールドカップ初開催の1930年、ウルグアイで開催された大会に出場するのに予選はありません。それ以前にオリンピックにて戦歴のあるめぼしい選出国を募った大会で日本の姿は無かったみたいです。13カ国が参加した大会、この当時は独立100周年のウルグアイが中心となりヨーロッパからフランス、ユーゴスラビア、ルーマニア、ベルギーの4国が出場しました。意外にもイタリアなどの強豪国は不参加、最終的にウルグアイとアルゼンチンの戦いを制した開催国ウルグアイが初の優勝者となったのです。
そんな中で日本のサッカーというのはどうだったのか?当時の日本サッカーですが組織は既に設立されていました。JFA日本サッカー協会は設立1921年でワールドカップ開催の9年前ですがなんとこの設立、マスコミの誤報からの設立だという何か嘘からでた真な話なのです。ワールドカップ開催1930年7月の2カ月ほど前の5月にて第9回極東選手権競技大会が開催されフィリピンを破るなど日本サッカーは着々と準備されていたのです。ただオリンピックには出場したのかしないのか?見る限り成績を上げることが出来なかった模様でして開催時に日本は不在だったのです。
【予選初参加1954年、日本のワールドカップ暗黒史が始まります。】
日本がワールドカップに初めて参加したのは1954年のスイス大会からなのですがこの大会にて一次予選敗退となってしまいました。この時ですがアジア枠は1ともうアジアは弱小扱いのようです。ワールドカップのワールドとは名ばかりだとしか思えないというのはあながち間違いではないようです。神宮競技場にて行われた試合、韓国と初の対戦も1-5とぼろ負けします。この大会以降、日本は40年もワールドカップ予選で韓国に勝てないという苦汁に満ちた歴史を刻んでいくのです。
そんなわけで日本のサッカーは1986年のメキシコ大会まで延々と一次予選敗退…1954年から1986年の40年近くもの苦難です。1954年スイス、1958年スウェーデン、1962年チリ、1966年イングランド、1970年メキシコ、1974年西ドイツ、1978年アルゼンチン、1982年スペイン、1986年メキシコと9大会の惨憺たる苦節40年…もはや日本サッカーの歴史は暗黒史としか言えません。今日の輝かしい状況の前にこんなにも苦難の歴史があったのでして紹介していても気の毒と思ってしまいます。
まあそんな苦難の時代にも輝かしいこともありまして1968年のメキシコシティーオリンピックにて3位になるという快挙です。この大会にてFWの釜本邦茂選手が得点王になり上位ランクインに貢献します。ワールドカップではないオリンピックの大会での快挙なのですが23歳の釜本選手によるところが大きい、この釜本選手ですが時期的にみると1970年のメキシコ大会に出られなかったのかなと思いました。調べたところ残念ながらウイルス性の急性肝炎になってしまったみたいで予選に出れないということだったようです。釜本選手にはワールドカップは無縁、暗黒の時代に一つの輝きがあるも彗星の如く地に落ちてしまうという大変残念なことですね。
1968年のメキシコシティオリンピックで三位となる快挙、釜本選手がトロフィーをかかげていました。
【1981年、日本を代表するサッカー漫画、キャプテン翼が始まる!】
まあ暗黒の歴史の中の日本サッカーですがこの暗黒を打破していく現象が起こります。それがキャプテン翼です。キャプテン翼は主人公の大空翼が活躍する漫画でして漫画家の高橋陽一先生による一大サッカー漫画です。今でこそ有名ですが80年代初頭のサッカーは不人気、ワールドカップも振るわないし日本に不向きなサッカーは敬遠され完全に野球中心な日本スポーツ界だったようです。高橋先生は一体キャプテン翼をどうして連載しようと思ったのか?それはワールドカップ1978年アルゼンチン大会を先生が視聴、このことが契機になったようです。
1978年アルゼンチン大会ですが背後で不穏な事態だったようです。収賄やらプロフェッショナルファウルなどサッカー界での汚職が問題になっていての大会、半世紀経過してのアルゼンチンの参加ですが当時のアルゼンチンはクーデターによる軍事政権が引かれボイコットも危惧されたというかなり危うい大会だったようです。このアルゼンチンの大会がキャプテン翼誕生のきっかけになった、日本は予選1次ラウンドのグループ2にて韓国、イスラエルが相手の中で屈辱の予選敗退を喫していました。
キャプテン翼の連載は1981年より開始され1988年まで続きまして冬の時代とまで言われたサッカーに新たなる火を起こしました。主人公である大空翼の放つドライブシュートなどの必殺技的なシュートなどを見て当時の子供たちは熱狂、後に日本代表となる中田英寿や川口能活などの選手たちはこの漫画をきっかけにサッカーを始めたなどその影響は大きいです。冬の時代と言われるまでさげすまれた感じでしたがこのキャプテン翼、海外の選手たちにも多大なる影響を与えた作品でして日本のみならず海外の選手たちまで影響を与えたという功績を打ち立てたのでした。
翼君のサッカーにかけた情熱がほとばしる、中学にして死んだってかまわないという熱血すぎな少年が日本を、世界を揺るがしました。
【1993年ドーハの悲劇を越え念願のワールドカップ初出場】
80年代のキャプテン翼の登場により徐々に認知度を向上させた日本サッカー、徐々に力のある選手たちが育っていきます。そして時は1993年10月28日日本はワールドカップアジア地区最終予選、カタールのドーハにてイラクとの戦いに臨んでいました。この予選で悲劇が起こります。ワールドカップ出場を目前にしたロスタイム、誰もが出場を疑わなかったその時に日本はイラクのゴールを許してしまいました。これが世に有名なドーハの悲劇、このアジア地区予選は激闘でして混戦に次ぐ混戦、それでも日本は初戦サウジアラビア戦0-0、次戦イラン戦1-2を落とすも3戦の北朝鮮戦は3-0で快勝、続く第4戦で40年も勝利できなかった韓国に対しキングカズこと三浦知良のゴールで1-0で勝利して着々と進んでいたこの予選…最後のまさに最後での悲劇的な事故でした。1994年のワールドカップアメリカ大会のピッチに立てたかもしれなかった日本、ちなみにドーハの悲劇の対戦国イラクもまたワールドカップ出場できず…ならなぜ勝のよ…
落胆する選手たち…当時私も視聴していました。とても悲しすぎる出来事です。
この悲劇がありもう日本はワールドカップ出場は無いとまで言われたのですが1998年のフランス大会にて日本は念願のワールドカップ出場となりました。1930年から1998年、それまで一度も日本の名前が挙がらなかったのですが68年という時間を経て日本はようやくワールドカップ出場となりました。しかし、この大会、日本はグループリーグ三戦を全敗してしまいます。かろうじて出場できたものの金字塔を打ち立てるまでには至らなかったのです。
【西暦2000年代、ワールドカップ出場が常態化、2018年6月19日に…】
日本はそれまでの不出場が嘘の如くワールドカップに連続出場します。2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会、そして2018年のロシア大会と日本は出場を果たしていきます。Jリーグの発足やらでサッカーが日本に浸透、海外でプレーする選手も増え日本のサッカーは進化しました。ただ大会での成績は苦戦を余儀なくされています。日本のサッカー、2018年6月19日にコロンビアに勝利した日本サッカー、遂にワールドカップにて南米の国に勝利を果たしたのです。
日本は悲劇を乗り越えてワールドカップ連続出場を果たしこの度の西野ジャパンのリーグ初勝利をつかんだのでした。
まあこうして駆け足で振り返りましたが半世紀に及ぶ苦難の歴史が嘘のようになるという歴史を刻んでいます。この次の6月24日のセネガル戦、28日のポーランド戦に勝利してほしいものですね。
がんばれニッポン!!
まあワールドカップとは正確にはFIFAワールドカップでして国際サッカー連盟(FIFA)が主催する男子ナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会です。つまり国際サッカー連盟世界大会とでも言えばいいのでしょうか?国際的な大会だということですがこのワールドカップ、FIFAに加盟していなければ参加はできません。当然ですがこの時点で選出国が限定されるわけです。1930年より開催されたワールドカップですがはっきり言って欧州や南米よりな大会であり北アメリカやアジア、ロシア、アフリカなどは日の目を見ているのだろうかと疑問に思うばかり、ワールドカップのワールドは名ばかりと思えます。
現在開催されているロシア大会ですがやはり実施されるのはツンドラ地帯ではなく比較的温暖な中東よりの都市部などで行われるみたいです。
近年になりアメリカや東南アジアあたりが台頭してきましたがアメリカ圏はアメリカンフットボールが中心であることやアジア圏の民族の能力的なことがあり強靭な肉体を持つ南米やら欧州のほうが有利だから歴史がこうなのではとしか思えないですね。ゆうに歴代優勝回数5回を誇るブラジルやら4回のドイツ、イタリアをみても流行っていないアメリカやら体の弱い東南アジアは不利だとしか言えないです。でこの度のKshira、日本のワールドカップ史を調べていきます。調べると言っても途方もないので日本のワールドカップはどうだったのかを調べてみましょう。苦節だらけの日本のサッカー史、でも日本の選手はグラウンドのピッチで戦っている、そんな戦士たちに贈るエールになれば幸いです。
【初開催の1930年ぐらいの時、日本はどうだったのか?】
記念すべきワールドカップ初開催の1930年、ウルグアイで開催された大会に出場するのに予選はありません。それ以前にオリンピックにて戦歴のあるめぼしい選出国を募った大会で日本の姿は無かったみたいです。13カ国が参加した大会、この当時は独立100周年のウルグアイが中心となりヨーロッパからフランス、ユーゴスラビア、ルーマニア、ベルギーの4国が出場しました。意外にもイタリアなどの強豪国は不参加、最終的にウルグアイとアルゼンチンの戦いを制した開催国ウルグアイが初の優勝者となったのです。
そんな中で日本のサッカーというのはどうだったのか?当時の日本サッカーですが組織は既に設立されていました。JFA日本サッカー協会は設立1921年でワールドカップ開催の9年前ですがなんとこの設立、マスコミの誤報からの設立だという何か嘘からでた真な話なのです。ワールドカップ開催1930年7月の2カ月ほど前の5月にて第9回極東選手権競技大会が開催されフィリピンを破るなど日本サッカーは着々と準備されていたのです。ただオリンピックには出場したのかしないのか?見る限り成績を上げることが出来なかった模様でして開催時に日本は不在だったのです。
【予選初参加1954年、日本のワールドカップ暗黒史が始まります。】
日本がワールドカップに初めて参加したのは1954年のスイス大会からなのですがこの大会にて一次予選敗退となってしまいました。この時ですがアジア枠は1ともうアジアは弱小扱いのようです。ワールドカップのワールドとは名ばかりだとしか思えないというのはあながち間違いではないようです。神宮競技場にて行われた試合、韓国と初の対戦も1-5とぼろ負けします。この大会以降、日本は40年もワールドカップ予選で韓国に勝てないという苦汁に満ちた歴史を刻んでいくのです。
そんなわけで日本のサッカーは1986年のメキシコ大会まで延々と一次予選敗退…1954年から1986年の40年近くもの苦難です。1954年スイス、1958年スウェーデン、1962年チリ、1966年イングランド、1970年メキシコ、1974年西ドイツ、1978年アルゼンチン、1982年スペイン、1986年メキシコと9大会の惨憺たる苦節40年…もはや日本サッカーの歴史は暗黒史としか言えません。今日の輝かしい状況の前にこんなにも苦難の歴史があったのでして紹介していても気の毒と思ってしまいます。
まあそんな苦難の時代にも輝かしいこともありまして1968年のメキシコシティーオリンピックにて3位になるという快挙です。この大会にてFWの釜本邦茂選手が得点王になり上位ランクインに貢献します。ワールドカップではないオリンピックの大会での快挙なのですが23歳の釜本選手によるところが大きい、この釜本選手ですが時期的にみると1970年のメキシコ大会に出られなかったのかなと思いました。調べたところ残念ながらウイルス性の急性肝炎になってしまったみたいで予選に出れないということだったようです。釜本選手にはワールドカップは無縁、暗黒の時代に一つの輝きがあるも彗星の如く地に落ちてしまうという大変残念なことですね。
1968年のメキシコシティオリンピックで三位となる快挙、釜本選手がトロフィーをかかげていました。
【1981年、日本を代表するサッカー漫画、キャプテン翼が始まる!】
まあ暗黒の歴史の中の日本サッカーですがこの暗黒を打破していく現象が起こります。それがキャプテン翼です。キャプテン翼は主人公の大空翼が活躍する漫画でして漫画家の高橋陽一先生による一大サッカー漫画です。今でこそ有名ですが80年代初頭のサッカーは不人気、ワールドカップも振るわないし日本に不向きなサッカーは敬遠され完全に野球中心な日本スポーツ界だったようです。高橋先生は一体キャプテン翼をどうして連載しようと思ったのか?それはワールドカップ1978年アルゼンチン大会を先生が視聴、このことが契機になったようです。
1978年アルゼンチン大会ですが背後で不穏な事態だったようです。収賄やらプロフェッショナルファウルなどサッカー界での汚職が問題になっていての大会、半世紀経過してのアルゼンチンの参加ですが当時のアルゼンチンはクーデターによる軍事政権が引かれボイコットも危惧されたというかなり危うい大会だったようです。このアルゼンチンの大会がキャプテン翼誕生のきっかけになった、日本は予選1次ラウンドのグループ2にて韓国、イスラエルが相手の中で屈辱の予選敗退を喫していました。
キャプテン翼の連載は1981年より開始され1988年まで続きまして冬の時代とまで言われたサッカーに新たなる火を起こしました。主人公である大空翼の放つドライブシュートなどの必殺技的なシュートなどを見て当時の子供たちは熱狂、後に日本代表となる中田英寿や川口能活などの選手たちはこの漫画をきっかけにサッカーを始めたなどその影響は大きいです。冬の時代と言われるまでさげすまれた感じでしたがこのキャプテン翼、海外の選手たちにも多大なる影響を与えた作品でして日本のみならず海外の選手たちまで影響を与えたという功績を打ち立てたのでした。
翼君のサッカーにかけた情熱がほとばしる、中学にして死んだってかまわないという熱血すぎな少年が日本を、世界を揺るがしました。
【1993年ドーハの悲劇を越え念願のワールドカップ初出場】
80年代のキャプテン翼の登場により徐々に認知度を向上させた日本サッカー、徐々に力のある選手たちが育っていきます。そして時は1993年10月28日日本はワールドカップアジア地区最終予選、カタールのドーハにてイラクとの戦いに臨んでいました。この予選で悲劇が起こります。ワールドカップ出場を目前にしたロスタイム、誰もが出場を疑わなかったその時に日本はイラクのゴールを許してしまいました。これが世に有名なドーハの悲劇、このアジア地区予選は激闘でして混戦に次ぐ混戦、それでも日本は初戦サウジアラビア戦0-0、次戦イラン戦1-2を落とすも3戦の北朝鮮戦は3-0で快勝、続く第4戦で40年も勝利できなかった韓国に対しキングカズこと三浦知良のゴールで1-0で勝利して着々と進んでいたこの予選…最後のまさに最後での悲劇的な事故でした。1994年のワールドカップアメリカ大会のピッチに立てたかもしれなかった日本、ちなみにドーハの悲劇の対戦国イラクもまたワールドカップ出場できず…ならなぜ勝のよ…
落胆する選手たち…当時私も視聴していました。とても悲しすぎる出来事です。
この悲劇がありもう日本はワールドカップ出場は無いとまで言われたのですが1998年のフランス大会にて日本は念願のワールドカップ出場となりました。1930年から1998年、それまで一度も日本の名前が挙がらなかったのですが68年という時間を経て日本はようやくワールドカップ出場となりました。しかし、この大会、日本はグループリーグ三戦を全敗してしまいます。かろうじて出場できたものの金字塔を打ち立てるまでには至らなかったのです。
【西暦2000年代、ワールドカップ出場が常態化、2018年6月19日に…】
日本はそれまでの不出場が嘘の如くワールドカップに連続出場します。2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会、そして2018年のロシア大会と日本は出場を果たしていきます。Jリーグの発足やらでサッカーが日本に浸透、海外でプレーする選手も増え日本のサッカーは進化しました。ただ大会での成績は苦戦を余儀なくされています。日本のサッカー、2018年6月19日にコロンビアに勝利した日本サッカー、遂にワールドカップにて南米の国に勝利を果たしたのです。
日本は悲劇を乗り越えてワールドカップ連続出場を果たしこの度の西野ジャパンのリーグ初勝利をつかんだのでした。
まあこうして駆け足で振り返りましたが半世紀に及ぶ苦難の歴史が嘘のようになるという歴史を刻んでいます。この次の6月24日のセネガル戦、28日のポーランド戦に勝利してほしいものですね。
がんばれニッポン!!