はしだてあゆみのぼやき

シナリオや小説を書いてる橋立鮎美が、書けない時のストレスを書きなぐる場所

いち原作ファンとして映画版『この世界の片隅に』の見過ごせない改変について その9

2017年03月20日 | Weblog
9.“絵描き”としてのすず=右手について

 映画版への最大の問題点の指摘は終わりましたが、軍への批判性に限らず不満があります。
 それが“絵描き”としてのすずの解釈です。

 “絵描き”とは「絵の才能である人。絵を描くことで世界を認識し、表現する生き方をする人」というような意味合いで使っています。単に絵を描く芸術のセンスがあるだけでなく、絵を描かずにはいられない人、絵を描くことに依存している人というニュアンスも込めています。

 すずが“絵描き”であることは、数々の描写でも明らかですし、すでに多くの人に指摘されています。
 すずは実家に帰った時の小遣いで、真っ先にスケッチブックを買い、馴染み深い故郷広島に別れを告げるためにスケッチするような人物です。また、出征している兄要一に結婚を知らせるハガキにも、祝言のご馳走の絵を描いて報告しています。見たり考えたりすることと、絵を描くことが密接に繋がっているような人物であることがわかります。
 そして、絵を描かずにはいられない人物でもあります。朝日遊郭で迷子になった時も、地面に絵を描いていました。普通の人はまずしない行動ですよね。手持無沙汰だと絵を描かずにはいられない人物のようです。
 そして、絵はすずにとって一番頼りになるコミュニケーションツールでもありました。晴美を失う直前の防空壕で、爆撃の衝撃と音に怯える晴美を慰めるために描いたのも家族の似顔絵でした。

 これだけ深く絵を描くことに依存しているからこそ、絵を描く右手を失ったことが命を奪われるにも等しい被害だという枠組みの物語となっています。
 『この世界の片隅で』という作品は、“絵描き”としてのすずの一生を描いた作品という側面もあります。


(1)慰めと癒しの物語としての“絵描き”の一生

 まず、原作漫画を私がどう読み解いていたかを記していきます。所々に映画版への愚痴が差し挟まれますが、ご容赦ください。

 すずは上に挙げたような“絵描き”、言わば芸術家としての才能を秘めた人物であったのですが、実は原作漫画において絵自体はさして上手いと描写されていません。

 すずが実際に描いた印象的な絵というと、少女期に水原の代わりに描いたうさぎの跳ねる海の絵くらいです。
 その後も生活の端々で絵を描いている描写はあるものの、描いた絵自体にはほとんどフォーカスが当たりません。コミュニケーションツールとして重宝されることはあっても、絵自体は凡庸な漫画的な絵として描かれています。
 ある時点までは。

 その、ある時点とは、すずが右手を失う瞬間です。爆風で右手を失ってから、失われた右手がどことも知れない場所ですずの想像を形にした絵を描きはじめます。
 シロツメクサの花畑に立つ晴美の絵です。(下巻 pp.42-43)


 すずの描く絵の質がこの時点から急激に変わっているのが一目瞭然です。
 これ以降、すずの失われた右手が描く絵は、それまでのちょっと絵が達者な素人レベルを超えて、こうの氏が渾身の力を入れて描いた絵として描写されることになります。

 この絵の変化をどう解釈するべきでしょうか。
 日常の合間に描いていたすずの絵は達者な素人レベルでしたが、右手を失って初めてすずは絵の才能を開花させたのではないでしょうか。
 悲劇性を強調する解釈ですが、守れなかった美晴を偲び、姪の幸福を空想の世界で願わずにはいられない強い想いが才能が花開くきっかけになったのだと考えれば、突飛ではないと思われます。

 こうして開花したすずの絵の才能は、もっぱら失われた右手の描く空想として現れます。以下に列挙してみます。

 ・助かった美晴が花畑で幸せそうに笑っている絵。
 ・紅で描いたリンの一生を想像した連作。
 ・鷺と兎を伴いながら天へと上っていく軍艦青葉。
 ・戦死した兄要一が南洋で生き残った姿を夢想した漫画『鬼イチャン冒険記』。
 ※最終回「しあはせの手紙」では全編に渡って右手の描く孤児の半生と手紙の文面が描かれるのですが、これはイレギュラーなのでここでの考察からは外します。

 これらの絵にはもう2つ共通している点があります。
 1つは絵の主題が“失われたもの”であること。晴美、リン、青葉、要一とすべて死んだり、破壊されたりしたものたちです。
 もう1つの共通点は、絵を描く画材もすずの人生から失われたものだということ。晴美を描いた鉛筆だけは由来が不明ですが、他はすべて消失した描写がされている画材ばかりです。
 リンの生涯を描いた紅と青葉を描いた羽ペンは、戦闘機の機銃掃射で手提げ袋ごと破壊された様子が克明に描かれています。鬼イチャン冒険記を描いたチビた鉛筆は、少女期のエピソードで教室の床下に落した鉛筆です。

 失われた右手が、失われた画材で、失われた人や物を描く。
 これらの共通点から、絵が描かれている場所はこの世ならざる場所(あの世)であり、失われたものを追悼する意味を込めて描かれていたと解釈するのが妥当でしょう。


 映画版への愚痴になりますが、こういう繊細な意味付けが損なわれているのが映画版の気に食わない点です。
 花畑での幸福な美晴の姿は右手の描く絵ではなく、意識を失ったすずの夢として処理されてしまいました。
 『鬼イチャン冒険記』もチビた鉛筆で右手が描いたものではなく、すずの曖昧な空想にされてしまいました。生き残った鬼イチャンが人さらいの“ばけもん”そっくりに扮する『鬼イチャン冒険記』のオチがあるからこそ、橋の上で周作と間違えた“ばけもん”の存在意義が意味を持つというのに……。
   「ひょっとしたら要一も生きていて、人さらいの“ばけもん”に扮して日本に返って来ている可能性もあるかもしれない」
   「そこかしこにあふれる身なりの怪しい不審者の中に兄が紛れているかもしれない」
   「どんな姿になっていても、生きて日本に帰ってきてほしい」
 あの“ばけもん”にはそんな儚い願いが込められているというのに、伏線が張られていないので台無しですよ! ラスト近くの“ばけもん”の唐突な描写も、映画版での粗雑さが際立っている箇所のひとつです。
 そして、わざわざ右手を登場させて羽ペンで描いた青葉の昇天は、リアルに描写したせいですずの右手が描いたようには見えないというチグハグさ……。


 さて、失われた右手が描く空想(すずの願う情景)という形ですずの絵の才能は開花しました。凡百の作品なら、そのまま右手の描く想像によってすずの心が癒されていき心の均衡を取り戻す所です。
 しかし、こうの氏はさらに過酷な展開を続けます。

 すずは失われたものたちを偲び、追悼するために右手の描く絵を想像しているのですが、そのことによって慰められることはあっても癒されることはありませんでした。右手の絵――すずの“絵描き”としての才能や想像力をもってしても、すずの心を癒すことはできませんでした。

 そのことを明示しているのが、歪んだ背景です。
 すずの壊れた心を表現するために背景を左手で描いたような歪んだ絵で表現していたのですが、最後の直前までその歪んだ背景が消えることはありませんでした。

 歪んだ背景が元に戻るのは、広島から孤児を連れ帰り、自分の娘として育てると決めた瞬間でした。
 原作漫画ではカラー見開きで、右手が絵筆(すずの人生において失われたと描写されていない画材です)で描いた呉の夜景が描かれています。そこでようやくすずは、歪んだ背景=歪んだ心から解放されます。

※実はカラー見開きの呉の夜景の後、背景を確認できるのは最後の1コマだけです。元から背景の描線が荒い漫画なので、この最後の1コマの背景が右手が描いたものなのか、左手が描いた歪んだものなのか、判断に苦しみました。小一時間ほど他の個所と比較して、畳の目を表現する線が整っているので、右手で描いたに違いないと結論付けました。

※また、ここの絵筆は、闇市で見かけた絵の具セットである可能性もあります。すずの人生から失われた画材ではなく、“手に入れられなかった”画材を右手が手にとることで、すずの未来が開けたことを象徴させたという解釈もできます。出来すぎかもしれませんが、美しい構造ではあります。


 これは、漫画家であり“絵描き”でもある作者こうの氏にとって、とても残酷な内容でもあります。
 絵の才能を開花させた右手の絵でも、すずの心は癒せなかった。すなわち絵は人を救えなかったという物語を描いてきたわけですから。

 では、何がすずの歪んだ心を癒したのでしょうか?
 それは、孤児の娘という自分より弱く、生きるのに困難な存在を生かそうと決めたことなのだと考えます。自分の助けが無くては生きられない誰かを生かそうとすることが、自分自身の生きる力となり心の傷を癒すのです。それは、絵に象徴される芸術の力にも成し得ないことでした。

 この解釈を支える台詞が、原作漫画の別の箇所に明確に描かれています。
 それは、8/6に義姉径子が晴美のことですずに辛く当たったことを謝り、北條家に残りたければ残っていいと告げる場面でのセリフです。

 「わたしはあんたの世話や家事はどうもない むしろ気がまぎれてええ」
 「失くしたもんをあれこれ考えずにすむ………」

 ここでの<径子→すず>の関係を<すず→孤児>に置き換えると、最終回「しあわせの手紙」でのすずの心が癒される過程とピタリと一致します。

 失ったものをいくら偲んでも、傷ついた心が癒されることはない。むしろ、今生きている他者を生かそうとすることが、傷ついた心を癒し自分の生きる力の源となる。
 原作者こうの氏がこの作品で描こうとしたものの一つであることは間違いないでしょう。
 
 ……にもかかわらずですよ。この感動のラストと呼応する径子の台詞が、映画版ではカットされているのですよ! 勘弁してくれという気持ちになりませんか?

 尺が足りないとか、原作漫画での台詞回しがこなれていないとか、カットしても主題が伝わりやすいとか……。カットしたくなる誘惑はわからなくもないです。けれど原作ファンとしては、すずという人物が物語のラストで見せる心の変化を解釈するうえで重要な伏線なんですから、削らずに活かしてほしかったと思うのです。


(2)まるで違う“絵描き”像

 一方、映画版で“絵描き”としてのすずはどのように解釈されていたでしょうか?
 なお、原作漫画では漫画ならではの表現手法(左手で描いた歪んだ背景など)を駆使して表現しているので、そのままで映像化は不可能なのは重々承知しています。
 仕方がない面があるとはいえ、どれだけ変更されたかを見ていきましょう。

 まずは、右手を失った直後の夢で、すずが花畑での晴美を空想するシーンです。
 原作漫画では、右手が初めて死者を描く才能覚醒の重要な瞬間なのですが、映画版では右手は出てきません。すずの夢、願望を写した美しい情景として現れます。

 では、すずの才能の覚醒はいつなのでしょうか?
 実は映画版では才能の覚醒の瞬間はありません。強いて言えば、小学生の時に水原の絵を代筆した時の才能が順調に育って、すずの中で息づいていたという描かれ方をされています。

 それを象徴するのが、呉への初めての空襲のシーンです。
 空に広がる対空砲の色付きの煙を見上げて、すずは絵筆で空に絵の具を塗っている様子を夢想し、心の中で「ああ……今、ここに絵の具があれば……」とつぶやきます。“絵描き”としての豊かな感性が息づいている証です。

 原作漫画のこの大コマの影だけで描かれた戦闘機を、“すずの想像力の現れ”だと解釈したのだと思われます。(中巻 p.120)


 たしかに山影から飛び出した戦闘機の陰が放射状に広がる姿に写実性はなく、絵画的な雰囲気をまとっています。
 けれど、この大コマに見られる描写や絵柄の変化は、原作漫画ではしばしば差し挟まれている手法です。このコマ以外にすずの想像力が現実の情景に重なると解釈できる描写はありませんし、このコマを“すずの想像力の現れ”と解釈する根拠は薄いように思います。

 一方、不思議なことに、映画版ではすずが“絵描き”の才能を保ち続けていたという解釈と矛盾しかねない設定があります。
 水原が泊まりに来た日の会話で「久しぶりなんか? 絵を描くのは」と問われて、すずは肯定します。憲兵にスケッチを咎められたエピソードを受けて、しばらく絵を描いていないとすずの生活を設定したと思われます。

 けれど、原作漫画でのすずの台詞は「…どうもいけんわ しばらく(鷺を)見んけんねえ」でした。江波ではよく見ていた鷺を、呉では見かけないから上手く描けないという設定になっています。
 原作漫画では憲兵に見とがめられた後も、絵を描くこと自体は止めていないという設定になっています。さすがに野外でのスケッチは控えたでしょうが、リンに頼まれた絵を届けに行ったり、遊郭のテルに南の島の風景を雪の上に描いたりと絵を描き続けているエピソードがちょくちょく挿入されているのです。

 この違いをどう受け止めるかは読み手、鑑賞者に任せます。
 けれど、憲兵に一度叱られたからと絵を描くことを止めてしまって、それでいながら子供の頃からの絵の才能をすくすくと育み続けたという映画版の設定には、ご都合主義的なものを感じてどうも好きになれません。
 原作漫画の手持無沙汰だとつい落書きを始めてしまうすず。見せる人も褒めてくれる人もほとんどいないのに絵を描かずにはいられない、“絵描き”の業を密かに背負っていたすずの才能が、右手を失うことで初めて開花したという悲劇を私は愛します。


(3)“絵描き”のすずと遊郭の女性たち

 すずの絵を褒めてくれる相手の話題が出たので、彼女の絵を褒めてくれた数少ない登場人物、遊郭のリンとテルの話をしましょう。

 すずは迷子になったところをリンに助けられた後日、リンに頼まれた絵を描いて再び朝日遊郭を訪ねます。
 これ、原作漫画でも引っかかりを覚えた点でした。いくらすずがお人好しだからといって、わざわざ遊郭の女性を訪ねるものだろうか? と、現実味の薄い展開に感じていました。

 けれど、今回“絵描き”としてのすずを題材に読み解いていた時に閃いたことがあります。
 それは、すずの絵を褒めてくれる人、評価してくれる人は、実家の妹のすみの他には遊郭の女性たちしかいなかったのではないかということです。

 とても意外なことに、姪の晴美もすずの絵で喜んでいる描写がないのです。日常的にすずが絵を見せているはずなのに、晴美がすずの絵を喜ぶ描写はありません。防空壕で家族の落書きを描いて晴美を慰めているのが、直接絵を見せている唯一の場面です。偶然かもしれませんが、この発見にはかなり驚きました。

※なお、映画版では空襲で大漁となった魚の絵を晴美と楽しそうに描いている回想が挿入されています。この描写自体は極めて自然なもので違和感はありません。むしろ、原作漫画でこういう晴美との絵を通しての交流が描かれていないのが不思議なくらいです。その描かれていなかったことに意味を見出そうとするのが、この段の考察になります。


 北條家の面々からすずの絵への反応がまったく描かれていないのは、絵や芸術への無理解を暗示しているのかもしれません。すずに家事労働を課す北條家が“絵描き”としてのすずを抑圧する存在であるのは論ずるまでもないでしょう。むしろ、“絵描き”のすずを抑圧する存在であることを際立たせるために、他の面では申し分のない善良な家族として描かれている節さえあります。

 “絵描き”であるすずは、しょっちゅう絵を描いているのですが、それを価値のあるものと評価してくれる人が彼女の周囲にはいません(美晴でさえも!)。まして、発表する場所や機会なんて望むべくもありません。
 そんなすずがリンに絵を描いて欲しいと頼まれて、張り切ってしまったと考えれば、わざわざ絵を届けに遊郭に寄ったことにも説明が付くと思うのです。

 そして、もう一人、リンの生涯を描く紅の元々の持ち主、遊女のテルともすずは絵を通して交流を深めます。(中巻 p.112)


 雪の上に描いたこともあり決して上手くないのがご愛敬ですが、すずが描いた絵で喜んでくれた数少ない人物がこのテルだったというのは、“絵描き”としてのすずを読み解いていくうえで大事なことだと思うのです。

 絵を描くのが大好きでアイデンティティの一部であるのに、世間からは絵を評価されることのないすず。
 貧困のため(男社会を通してしか)文化に触れられなかった遊郭のリンやテル。

 この2つがたがいに求め合い、結びついたことには必然性があったように思えてなりません。
 すずの絵そのものを、世の中に認められることのない日陰の存在として、遊郭の女性たちに重ね合わせることもできます。その後の運命も、現世で花開くことなく儚く消えてしまったという意味で共通しています。
 当時の日本社会の女性への抑圧をさりげなく描いている作品だけに、深読みのし過ぎということはないと思います。

 そして、抑圧されたすずの絵は、風邪を拗らせて死んでいくテルの(おそらくは最後の)喜びとなったのです。
 絵には死に瀕した人を慰め、笑顔にする力はあるのです。壊れた心を癒す力はないとしても、絵(芸術)には絵にしか成し得ない価値があることを、この場面は象徴しているのだと思うのです。

 なお、映画版では“絵描き”としてのすずを気にかける役割は、出番を消された遊郭の女性たちに代わって、水原に割り振られています。原作漫画にあった社会から抑圧された兵隊としての側面は、映画版の水原から消されているのはすでに読み解いた通りです。
 水原がすずの絵を気にかけていたのは、幼馴染みとしての個人的な好意によるもので、深い意味合はないと解釈するのが妥当でしょう。


(4)“絵描き”の才能としての凝視

 私の映画版への不満点で、一番共感を得られそうにない点について記しておきます。

 映画版で世間的に高い評価を受けていながら、個人的には受け入れられないシーンが2つあります。
 ひとつは、呉に入港する戦艦大和を見て、大和での炊事や洗濯を心配して驚くシーン。
 もうひとつは、初めての呉への空襲で対空砲の色付きの煙を絵具になぞらえるシーンです。

 我ながらひねくれていると思います。世間的には大絶賛の演出ですからね。
 前者は生活者としてのすずを強調する描写として絶賛されてますし、後者も絵描きとしての才能を秘めたすずを表現する場面として色んな人が褒め称えています。

 原作漫画ではどうだったでしょう?
 どちらの場面も驚いて目を見開いて凝視するという、ある種平凡で面白味のない驚き方をしています。映像作品としての面白味を出すという視点で見れば、映画版の描写は間違いなく原作漫画から改良されていると言えるでしょう。

 けれど、この目を見開いて凝視するとう驚き方こそ、“絵描き”であるすずの現れだと私は思うのです。
 今までの生活での想像を超えた情景を前にした時、すずは何をおいても凝視して観察してしまう人でした。大和の場面では凝視のあまり身を乗り出して段々畑から落ちますし、初空襲では自分の身の危険も忘れて見上げ続けています(一応、晴美を庇おうとはしている)。
 この初めての情景を目に焼き付けようと観察する性質こそ、すずの芸術家としての資質の現れだと思っていただけに、演出が変えられて残念な気持ちがあるのです。
 食事の心配をするより、絵の具の空想を重ねるより、始めて見る情景には何を置いても観察をする人物としてすずを理解していただけに、映画での描き方にどうしても違和感を覚えてしまうのでした。(ただし、明らかに面白味の増す演出への差し替えなので、批難するのも大人げないというジレンマを抱えています)

 同じような観察をしている場面が、原作漫画ではもう2つあります。
 初めて飛行機雲を見た時、すずは倒れそうなほど背を反らせて仰ぎ見ています。
 そして、8/6のきのこ雲にもやはり目を見開いて驚き、他の家族が家の中の入った後も一人外に残って見上げ続けています。

 すずの失われた右手が初めて描く晴美の空想に、観察したばかりの飛行機雲がさっそく取り入れられているように、すずの凝視を“絵描き”としての才能の現れだという解釈は的外れではないと思います。

 なお、この凝視に入るかどうか微妙なのが、1945年7月の夜の空襲で呉の市街地が全焼する様子を庭から見下ろす場面です。見開き2ページを使って大延焼を描いているのですが、ここでのすずに観察しているというニュアンスはなく、呆然としているように見えます。さすがに、今まさに火に巻かれて人が死んでいると想像できる情景を前にしては、観察するどころではなかったようです。

 さて、すずが驚愕しながら観察した対象を並べてみると、現在の私たちとの認識のギャップを実感できます。
 ・規格外の大きさの戦艦・大和
 ・初めての空襲(空を覆うような戦闘機の大群)
 ・初めて目にする飛行機雲
 ・原爆のきのこ雲

 これらの4つの初めての情景にすずは同じように驚き、観察眼を向けました。
 現在の私たちの常識に照らし合わせれば、原爆のきのこ雲が別格で、次いで戦闘機の群れと戦艦大和、もの珍しさがガクッと下がって飛行機雲という順位付けがされるでしょう。
 けれど、この4つの情景がどれも初めて目にする情景で、同じ観察の対象だという視点ですずは生きてたわけです。きのこ雲と飛行機雲が同じ“始めて見た観察対象”にカテゴライズされるという認識のギャップを知ることも原作漫画の面白さだと思います。