うウォーキングを、やってます。

楽しく歩いてますが、小糸川河口から、下湯江、君津駅前方面を歩いています

ウオーキングやってます

2020-06-27 16:48:29 | 日記

免許

現役の頃、1か月ほどアルバイトを、やった事がある。場所は川崎。車でアクアラインを通り、工業地帯に入り、一角の食品工場の建設。2人で通うことになり、車1台貸与された。毎日同じルートで、通い始めた。自分が運転、相棒は助手席。現場が近くなると、相棒は、右に行け、左に行けと指図する。ハンドルは私が握っているのである。始めの頃は、町中をよく知っているなと、思い言われるがまま、ハンドルを切った。すると、その内、直線コースでも、いろいろ言いだしたのである。前の車を抜けだの、スピードを出せだの。毎日の事でもあり、私も相棒と仲よくしようと思い、言われるがまま運転、一週間ほどたった。詳しい様だから、運転変わろうと相棒に提案した。すると、俺はまだいいよと、相棒。仕様がねえなと、私が運転する。すると又相棒は色々、指示してきた。私は途中で車を止め、運転を交代しようと言った。相棒は、ダンマリを決め込んだ。私は今まで、半月ほど、ハンドルを握っていたので、交代の潮時ではないかと、更にっ言った、彼は言を左右に、運転を変わろうとしない。仕事に穴をあけるわけに行かないので、取り合えず、現場に行き、1日を終えた。帰途再度、詰問した。返事次第では、殴ってやろうと。「彼は、運転はできる」「ではなぜ」と私、「20年以上運転して来たと相棒、車も持っていると」愈々私は頭に来た。この野郎、ぶん殴ろうとした所、やっと、相棒は、答えた!「持ってない」「なにを」と私、「持ってない」と、又ゆうのである。詰まり「免許証」を持っていないとゆうのである。それで?と更に聞くと、今日まで来た。一度も、「おまわり」に捕まったことが無いと言う。あっけにとられた、私は。阿保らしいやら、何とゆうか、言葉を失った。当時私65歳。相棒は40台後半。変わり者の多い、職人の中で、唖然とした、一瞬だった。70歳で、私は引退。彼は元気でいるらしい。ノスタルジアの彼方へ!