上田城跡公園を後にして、朝方仮眠を取った道の駅:上田 道と川の駅に戻り
昼食を頂く事にしました。
豚の角煮丼。物凄く美味しかったですよ!
ここ道の駅はウオーキング出来るコースが有るようです。
今回は歩きませんでしたが・・・・・・。
昼食後に向かったのは「池波正太郎 真田太平記館」
■営業時間:10:00~18:00
■休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日)
祝日の翌日
年末年始
■所在地:長野県上田市中央3丁目7-3
0268-28-7100
■拝観料:一般300円
ここの施設の隣に有料駐車場が有りましたので、そこに止めました。
「池波正太郎 真田太平記館」は撮影禁止でしたので、館内の概要はパンフレットから拝借します。
故池波正太郎先生の「真田太平記」の世界を見る事が出来る施設です。好きな方にはおすすめします。
「真田太平記」は週刊朝日(朝日新聞社)昭和49年1月4日・11日合併号~昭和57年12月10日号に連載されました。全499回が執筆され、週刊誌に9年間と言う長い連載は稀なケースだと言われています。
物語は天正10年(1582)~元和8年(1622)の40年間に起こった歴史的な出来事で、登場人物は上田城を築いた真田昌幸と信之、幸村の真田氏父子二代、その真田氏にかかわる人々、歴史上の人物、また、女忍びのお江など忍びの者たちで構成されています。
それぞれの人々が歴史的な背景の中で、様々に揺れ動く心理を展開し、歴史的な間隙を埋めて生き生きと活躍する様が描かれているのが真田太平記です。
見応えの有る「池波正太郎 真田太平記館」を後にして、次に向かったのは真田の郷。
「真田氏記念公園」
今回の目的は「真田氏歴史館」に行く事です。
場所的には「御屋敷公園」の中に有ります。
駐車場もしっかり有りますので問題ありません(無料)
「真田氏歴史館」の入り口
門を入ったら玄関が有ります・・・・。
■営業時間:9:00~16:00
■休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合には翌日)
年末年始
■所在地:長野県上田市真田町本原2984-1
0268-72-4344
■拝観料:一般200円
ここも撮影禁止でした。パンフレットより
≪真田氏三代略≫
片田舎の土豪に過ぎなかった真田氏は、真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現し、難攻不落の砥石城を攻略。数々のめざましい戦功をたてて、東信濃と上州(今の群馬県)にまで勢力を伸ばしました。
幸隆のあと信綱、昌輝兄弟が長篠の戦で戦死。急遽、三男の昌幸が家督を継ぎます。
武田家が滅亡した後は、わずか一年の間に織田、北条、徳川と情勢に応じて主君を変えるなど、巧みな外交戦術により領土を拡大。一方で上田城を築くなど、戦国大名としての地位を不動の物として行きます。
上州の真田領を巡って、徳川家康との間に合戦がおこった時は、わずか二千で八千の敵を打ち破り、天下にその武名を知らしめました。
豊臣秀吉亡き後、天下の覇者を決める関ヶ原の戦いでは、昌幸と次男の幸村が豊臣方に、長男の信之が徳川方に別れて戦うことになり、昌幸父子は三万八千の大軍を上田城で迎え撃ちます。敵を散々に悩ませますが、西軍敗北により、紀州(今の和歌山県)の九度山へ流されました。昌幸はその地で没しますが、幸村は大阪城に入場。
秀吉の遺児秀頼を守り立てて、大坂夏の陣では家康の本陣へ切り込みますが、衆寡敵せず、戦場の露と消えました。
その後の真田家は信之により、家名を存続し、松代へ移封となりますが、明治まで十代に渡って続き真田十万石として栄えました。
今回は、真田氏を思いっきり感じる旅が出来たと思います。
そろそろ本日の車中泊地を探す事にしますので、移動します。
今日はどこにとまろうかなぁー・・・・・・。
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昼食を頂く事にしました。
豚の角煮丼。物凄く美味しかったですよ!
ここ道の駅はウオーキング出来るコースが有るようです。
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■営業時間:10:00~18:00
■休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日)
祝日の翌日
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■所在地:長野県上田市中央3丁目7-3
0268-28-7100
■拝観料:一般300円
ここの施設の隣に有料駐車場が有りましたので、そこに止めました。
「池波正太郎 真田太平記館」は撮影禁止でしたので、館内の概要はパンフレットから拝借します。
故池波正太郎先生の「真田太平記」の世界を見る事が出来る施設です。好きな方にはおすすめします。
「真田太平記」は週刊朝日(朝日新聞社)昭和49年1月4日・11日合併号~昭和57年12月10日号に連載されました。全499回が執筆され、週刊誌に9年間と言う長い連載は稀なケースだと言われています。
物語は天正10年(1582)~元和8年(1622)の40年間に起こった歴史的な出来事で、登場人物は上田城を築いた真田昌幸と信之、幸村の真田氏父子二代、その真田氏にかかわる人々、歴史上の人物、また、女忍びのお江など忍びの者たちで構成されています。
それぞれの人々が歴史的な背景の中で、様々に揺れ動く心理を展開し、歴史的な間隙を埋めて生き生きと活躍する様が描かれているのが真田太平記です。
見応えの有る「池波正太郎 真田太平記館」を後にして、次に向かったのは真田の郷。
「真田氏記念公園」
今回の目的は「真田氏歴史館」に行く事です。
場所的には「御屋敷公園」の中に有ります。
駐車場もしっかり有りますので問題ありません(無料)
「真田氏歴史館」の入り口
門を入ったら玄関が有ります・・・・。
■営業時間:9:00~16:00
■休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合には翌日)
年末年始
■所在地:長野県上田市真田町本原2984-1
0268-72-4344
■拝観料:一般200円
ここも撮影禁止でした。パンフレットより
≪真田氏三代略≫
片田舎の土豪に過ぎなかった真田氏は、真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現し、難攻不落の砥石城を攻略。数々のめざましい戦功をたてて、東信濃と上州(今の群馬県)にまで勢力を伸ばしました。
幸隆のあと信綱、昌輝兄弟が長篠の戦で戦死。急遽、三男の昌幸が家督を継ぎます。
武田家が滅亡した後は、わずか一年の間に織田、北条、徳川と情勢に応じて主君を変えるなど、巧みな外交戦術により領土を拡大。一方で上田城を築くなど、戦国大名としての地位を不動の物として行きます。
上州の真田領を巡って、徳川家康との間に合戦がおこった時は、わずか二千で八千の敵を打ち破り、天下にその武名を知らしめました。
豊臣秀吉亡き後、天下の覇者を決める関ヶ原の戦いでは、昌幸と次男の幸村が豊臣方に、長男の信之が徳川方に別れて戦うことになり、昌幸父子は三万八千の大軍を上田城で迎え撃ちます。敵を散々に悩ませますが、西軍敗北により、紀州(今の和歌山県)の九度山へ流されました。昌幸はその地で没しますが、幸村は大阪城に入場。
秀吉の遺児秀頼を守り立てて、大坂夏の陣では家康の本陣へ切り込みますが、衆寡敵せず、戦場の露と消えました。
その後の真田家は信之により、家名を存続し、松代へ移封となりますが、明治まで十代に渡って続き真田十万石として栄えました。
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