◇◆ノレナイクルマ◇◆

1/43 F1ミニカーのコレクションを通じて日々思うことを綴る中国地方発のブログです★

BRABHAM JUDD BT60 D.ヒル 1992

2006年11月29日 22時32分32秒 | F1ミニカー(1991~1995)
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本日のミニカーはこちら、
BRABHAM JUDD BT60 D.ヒル 1992

です。

まず1番に目に付くのが、なんとも派手なカラーリングじゃないでしょうか?
ピンク・青・水色の3色を組み合わせるセンス!!
なんというアバンギャルドっぷり。最高です☆

そしてこのミニカーの細部に目をやると、なにやら気になる文字が…

(※毎度毎度画像が見えづらくてすいません…)
どうですか?分かりました?
気づかなかった人は、ミニカーのフロントノーズ辺りを見てください。
なんとそこには「Seikima-Ⅱ」の文字が!!!!!
そうです、自称悪魔でお馴染みのデーモン小暮閣下率いる「聖飢魔Ⅱ」がスポンサードしているのです!!
日本経済が絶頂だったころの1992年、こんなところにもひっそりとジャパンパワーが活躍(暗躍??)していたのです(笑)

しかも今頃気づいたのですが、ドライバーがデーモン・ヒルだからデーモン小暮閣下率いる「聖飢魔Ⅱ」がブラバムチームをスポンサードしたのでは?
(調べてみたらやっぱりその通りでした…安直だなぁ。)
ちなみに名門ブラバムチームは、この年のシーズン途中をもってF1から撤退します(悲)
資金難だったんですね…(涙)

1992年のD.ヒル(1960年9月17日生)の成績

国籍:イギリス
当時の年齢:31歳
シーズン:1年目
参戦レース数:8戦(第4戦~第11戦まで)
最高位:11位(第11戦ハンガリーGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
予選最高位:25位
ポールポジション:なし
予選不通過:6回
表彰台:0回
入賞:0回
リタイア:0回(決勝参戦全2戦中)
獲得ポイント:0ポイント
ドライバーズランキング:-

◆D.ヒルについて補足を少々◆
D.ヒルは、アイルトン.セナの最後のチームメイトです。(1994年ウィリアムズにて)
また1992年にデビューする前のブラバムチームの第1戦~第3戦のドライバーはジョバンナ・アマティというイタリア人女性ドライバーでした。(全戦予選不通過…)
1993年・1994年はカーナンバー0で走っています。
(※マンセル・プロストがチャンピオンを獲得して引退したため。他にカーナンバー0をつけたのは、ジョディー・シェクターのみ。)
そしてもちろん言わずと知れた1996年のワールド・チャンピオン☆

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PORSCHE 911 GT3 RS "Sally"

2006年11月26日 21時49分37秒 | ポルシェミニカー
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本日ご紹介するミニカーは久々のポルシェですよ~。
(※10月26日以来ですから1ヶ月ぶり…)

それでは本日のミニカーはこちら、
PORSCHE 911 GT3 RS "Sally"GP of Miami 2004 (1,300PCS)

です。

ドライバーは、GUNNAR JEANNETTEとMILT MINTERです。
正直このレース、どういった形態のレースなのか知りませんでした。
そこでこの機会に調べてみたので、このレースについて少し書いてみましょう。

GRAND PRIX OF MIAMIは、アメリカの「GRAND AMERICAN ROAD RACING」が主催する、デイトナ24時間レース等で知られている「ローレックス・スポーツカー・シリーズ」の中の1レースです。
2004年は2月に3日間の日程で開催。
(※2004年カレンダーでは、DAYTONA24時間の次のレースとして開催されています。)


◇2004 GRAND PRIX OF MIAMI◇
期間:2004年2月26日~28日
距離:250マイル
サーキット:マイアミ・スピードウェイ(アメリカ・フロリダ州)
1周:2.3マイル

◆このミニカー(79号車)の成績◆

総合成績:29位
クラス成績(GTクラス):9位
周回:100LAP
ベストラップタイム:1:20.404
平均速度:90マイル
予選:22位
タイヤ:ダンロップ

そしてなんといってもこのミニカー最大の特徴は、ディズニーのPIXAR社がスポンサードしていることでしょう。
「カーズ」の主人公サリーが、この車の名前にも採用されています。
うーん、なんとも遊び心たっぷり!!
ファイヤー・パターンがロック魂を感じさせる1台です☆


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PROST PEUGEOT AP03 N.ハイドフェルド 2000

2006年11月25日 15時10分30秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
PROST PEUGEOT AP03 N.ハイドフェルド 2000

です。

このミニカーは、N.ハイドフェルドがF1初参戦を果たした2000年のマシンです。
※プロストチームにとっては、参戦4年目のマシンです。
F1参戦初年度の1997年がJS45無限。
2年目の1998年がAP01プジョー。
3年目の1999年がAP02プジョー。
APはもちろんチームオーナーのアラン・プロストのイニシャルですよ☆

スポンサーに、ソニーのPLAYSTATIONやフランスのライターメーカーのBIC、それにYAHOO!など日本人にお馴染みの企業がついているのが特徴です。
またどの企業ロゴもかっこよく、マシンの外観デザインのセンスのよさを感じさせます。
さすがフランスのチームです!!(←あまり関係ない!?)
あとタバコロゴ規制対策のストロボ仕様が目引きます。
※確かタバコブランドは、フランスのゴロワーズ(去年までモトGPのヤマハをスポンサード)です。
このストロボ仕様、最近ではこれもタバコ規制の表現方法としてはアウトになってます…すごく悲しい。

2000年のN.ハイドフェルド(29歳:私と同年齢ですねぇ)の成績

国籍:ドイツ
当時の年齢:23歳
シーズン:1年目
最高位:8位
優勝:なし
ファステストラップ:なし
予選最高位:13位
ポールポジション:なし
表彰台:0回
入賞:0回
リタイア:10回(全17戦中)+失格1回
獲得ポイント:0ポイント
ドライバーズランキング:-


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BRABHAM BT49C N.ピケ WINNER サンマリノGP 1981

2006年11月23日 17時15分18秒 | F1ミニカー(1981~1985)
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本日のミニカーはこちら、
BRABHAM BT49C N.ピケ WINNER サンマリノGP 1981

です。

◇◆ノレナイクルマ◇◆初のQUARTZO(カルツォ)製のミニカーです。
確かQUARTZO社は、ポルトガルのONYX社の中のクラシック・レーシングカーのブランドだったと記憶しています。
なのでラインナップは1950年代から1980年初めのマシンで構成されていて、オールドのF1マシンが好きな人にはたまらないブランドです☆

BRABHAMのマシンは以前に、1983年のBT52を紹介しています。
そのときの記事はこちら→BT52の記事へGO!
今回は1981年にチャンピオンを獲得した、N.ピケが乗ったBT49Cのご紹介です。

1981年 N.ピケの成績

国籍:ブラジル
当時の年齢:29歳
シーズン:4シーズン目
最高位:1位
優勝:3回(第3戦アルゼンチンGP・第4戦サンマリノGP・第10戦ドイツGP)
ファステストラップ:1回(第3戦アルゼンチンGP)
予選最高位:1位
ポールポジション:4回(第2戦ブラジルGP・第3戦アルゼンチンGP・第6戦モナコGP・第14戦カナダGP)
表彰台:7回(1位…3回 2位…1回 3位…3回)
入賞:10回(上記に加えて、5位…2回 6位…1回)※6位までが入賞。
リタイア:4回(全15戦中)
獲得ポイント:50ポイント
ドライバーズランキング:チャンピオン

このミニカーの仕様である第4戦サンマリノGPでは、予選5位から見事優勝を飾っています。
1981年第4戦 サンマリノGP決勝結果(10位まで)

1位 N.ピケ ブラバム BT49C
2位 R.パトレーゼ アロウズ A3
3位 C.ロイテマン ウィリアムズ FW07C
4位 H.レバーク ブラバム BT49C
5位 D.ピローニ フェラーリ 126CK
6位 A.デ・チェザリス マクラーレン M29F
7位 G.ビルヌーブ フェラーリ 126CK
8位 R.アルヌー ルノー RE20B
9位 M.スレール エンサイン N180B
10位 J.ワトソン マクラーレン MP4
※ポールポジションを獲得したのは、G.ビルヌーブ (フェラーリ)でした。

ちなみに1981年のチャンピオン争いは大混戦で、チャンピオンを獲得したN.ピケと2位のC.ロイテマン(ウィリアムズ)との差はたったの1ポイント!!
N.ピケ50ポイントに対してC.ロイテマン49ポイント。
さらに3位のA.ジョーンズ(ウィリアムズ)は46ポイント。
4位のJ.ラフィー(リジェ)は44ポイント。
5位のA.プロスト(ルノー)は43ポイントでした。

たった1ポイント差でチャンピオンを逃したC.ロイテマンは悔しかったでしょうね。
結局チャンピオンを獲得することなく翌1982年を最後にF1を引退してるし…
補足ですが、チャンピオンが決定した1981年第15戦アメリカGPでポールポジションを獲得していたのは、C.ロイテマンだったのです。
しかし決勝では8位とポイントを挙げることができず、逆に予選4位からスタートしたN.ピケが決勝で5位に入り、逆転でチャンピオンの座を失ったのでした(涙)


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WILLIAMS FW07 RAM RACING ITALIAN GP R.キーガン 1980

2006年11月20日 21時40分00秒 | F1ミニカー(1971~1980)
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本日のミニカーはこちら、
WILLIAMS FW07 RAM RACING ITALIAN GP R.キーガン 1980

です。

ミニカー自体はめちゃくちゃかっこいいんですが、チームがとてつもなくマイナーチームです。
私自身、「RAM RACING」なるチームはもちろん知りませんでした…
なので紹介しようにも知識がほとんど無い状態ですので、変な内容になってもご容赦ください。

RAM RACINGは、ジョン・マクドナルド率いるプライベートチームです。
チーム国籍はドイツ。
1976年からブラバムやマーチ、ウィリアムズの型落ちマシンを購入してF1に参戦していました。
このミニカーは、1980年にWILLIAMSチームの型落ちマシンFW07で参戦した時のモデルです。
エンジンは、フォード・コスワースDFV V8、タイヤはグッドイヤーです。

スポンサーのOLD SMUGGLER(オールド・スマグラー)は、ウィスキーのブランドです。
スマグラーとは、「酒の密造者」のことで、愛嬌のたっぷりのおじさんが描かれたロゴマークがなんともいい感じ☆
RIZLA+は、今年からMotoGPのSUZUKIチームのスポンサーになったことでお馴染みの、タバコ・シガレットの巻紙ブランドです。
シガレットペーパーとは紙巻きタバコの紙の部分で、これにタバコの葉を巻いて使います。
要するに、自分で巻くタバコの包み紙な訳です。

1980年 R.キーガン(ルパート・キーガン)の成績 

国籍:イギリス
当時の年齢:25歳
シーズン:3シーズン目
最高位:9位(第14戦アメリカ東GP)
ファステストラップ:なし
ポールポジション:なし
予選最高位位:15位
予選通過:4回
予選不通過:3回
表彰台:なし
入賞:なし
リタイア:0(参加した決勝4戦中)
獲得ポイント:0ポイント
ドライバーズランキング:―

本当にとってもかっこいいマシンなのに、すごく地味な成績なので悲しくなってしまいます…(涙)
ゴールドとブラックの絶妙なバランス!!
マシンデザイナーのセンスを感じさせます。遅いけど…

このミニカーの個人的評価:★★★★★★★★★★
このミニカーの世間的評価:★★★
(※★…10点満点)


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ミシュランタイヤのトリビア

2006年11月19日 20時22分00秒 | F1トリビア
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本日のトリビアはこちら、
ミシュランは、F1だけでなくスペースシャトルにもタイヤを供給している!!
へ~!へ~!へ~!

◇◆補足トリビア◇◆
ミシュラン社は1889年、アンドレとエドワールのミシュラン兄弟によって設立されました。
そのミシュランは、F1やMotoGPなどのモータースポーツだけでなく、スペースシャトルのタイヤも独占的に生産・供給しています。
今年(2006年)、カナダGPにおいてミシュランはF1通算100勝を達成しましたが、その6年も前の2000年10月に、宇宙へ飛び立ったスペースシャトルへの供給回数100回を達成していたのです。
※このときのスペースシャトルはディスカバリー号で、日本人宇宙飛行士の若田光一さんが乗っていました。

またF1初勝利をあげた時のチームはルノーで、100勝目も同じくルノーでした。

※画像は、以前に紹介したミシュランコレクションです☆

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BENETTON PLAYLIFE B200 A.ヴルツ 2000

2006年11月18日 21時31分30秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
BENETTON PLAYLIFE B200 A.ヴルツ 2000

です。

来年からウィリアムズでレギュラードライバーに復帰するA.ヴルツが、2000年シーズンに乗ったマシンです。
BENETTONチームは、2001年限りでF1から撤退するので撤退2シーズン前のマシンになります。
それ以外、すごく速かった訳でもなく奇抜なスタイルをしているわけでもなく、比較的特徴のないマシンですね…
A.ヴルツは、1997年にG.ベルガーの代役で3戦ベネトンに乗り、それから1998年・1999年・2000年と3年間ベネトンからレギュラードライバーとしてF1に参戦しています。
(※その3年間ともチームメイトは、G.フィジケラ。)
確か身長が186センチと背が高い人です。

2000年のA.ヴルツの成績

国籍:オーストリア
当時の年齢:26歳
シーズン:4シーズン目
最高位:5位(第14戦イタリアGP)
ポールポジション:なし
予選最高位:5位
ファステストラップ:なし
表彰台:なし
入賞:1回(5位…1回 ※6位までが入賞。)
リタイア:5回(全17戦中)
獲得ポイント:2ポイント
ドライバーズランキング:15位

2005年シーズン、モントーヤの代わりに参戦した第4戦サンマリノGPで3位になり、自身初となる表彰台を獲得するのでした☆
来年はウィリアムズから、2000年以来のレギュラードライバーとしてF1レースに復帰します。
こういうベテランドライバーにがんばってもらって、もっともっとF1を盛り上げて欲しいです。
デラロサとヴルツ、このマクラーレンのテストドライバーを経験したちょっと地味目の、苦労人のベテランに期待大です☆

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TYRRELL P34 6-WHEELER P.ドュパイエ 1976

2006年11月16日 20時11分44秒 | F1ミニカー(1971~1980)
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本日のミニカーは、前回のマーチ・R.ピーターソンと同じ1976年のこのマシン、
TYRRELL P34 6-WHEELER P.ドュパイエ 1976

です。

私(29歳)よりちょっと上の世代の人にはとっても懐かしいティレルの6輪車です。
「たいれる」で有名ですね。
でも私は生まれていないので、実はあまりそのあたりのことがよく分かりません。
※1977年生まれですので、1976年のこのマシンについては当時の映像や本・ネット等でしか知りません…スイマセン。

なので本の受け売りになってしまいますが、このマシンについて少し説明してみましょう。
当時のティレルのチーフデザイナーだったデレック・ガードナーが6輪車を考案・開発しました。
6輪車になった理由として、
前輪タイヤの空気抵抗を減らしたい→タイヤを小さくしてフロントウィング(というかフロントノーズ)の後ろに隠そう→でもタイヤを小さくすると接地面積が減ってグリップが不足する→じゃぁ前輪タイヤを4つにしよう→結果6輪車に☆
ということだそうです(笑)
まさにコロンブスの卵的発想!!
しかもこれが76年の第7戦スウェーデンGPで1・2フィニッシュを飾るなど速さをみせて、結構有効だったそうです。
ですが翌1977年にタイヤメーカーのグッドイヤーがこの小さいタイヤ(10インチです)の開発を止めたため、成績不振に陥りやむなく廃止されます。
しかも1982年には正式にレギュレーションで禁止されてしまい、今ではタイヤメーカーの協力があっても6輪車はグランプリを走れません(涙)
補足的になりますがエンジンは、フォード・コスワースDFV V8です。

1976年のP.ドュパイエ(パトリック・ドュパイエ)の成績

国籍:フランス
当時の年齢:32歳
シーズン:4シーズン目
最高位:2位(5回!!)
ポールポジション:なし
予選最高位:2位
ファステストラップ:1回(第14戦カナダGP)
表彰台:7回(2位…5回 3位…2回)
入賞:8回(入賞+6位…1回)※6位まで入賞
リタイア:6回(全16戦中)
獲得ポイント:39ポイント
ドライバーズランキング:4位
チャンピオンは、J.ハント(マクラーレン・M23)

このミニカーはとにかく見た目がすべてです!!
何も考えずにこのマシンを眺めるだけでオーケーです。
偉大な「たいれるP34」の前では、言葉は不要なのかもしれません☆


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MARCH FORD 761 WINNER ITALIAN GP R.ピーターソン 1976

2006年11月14日 16時48分50秒 | F1ミニカー(1971~1980)
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本日のミニカーはちょっと昔のマシンのこちら、
MARCH FORD 761 WINNER ITALIAN GP R.ピーターソン 1976

です。

最近のMARCHのリリースラッシュには驚かされます。
ここ3ヶ月ぐらいで、3台出てますから。
いくら金型があるからって、もっと他のも出してよと言いたいです。
でも実際はこうして昔のマシンを出してくれるだけでもありがたいことなんですけどね…

このミニカーは、1976年のR.ピーターソンのイタリアGPで優勝時の仕様になっています。
限定数は3024台。

R.ピーターソン(ロニー・ピーターソン)の国籍はスウェーデン。
1971年にはF1とF2の両方の選手権に出場し、F1でドライバーズランキング2位・F2でチャンピオンに輝きます。
所属チームは、マーチやロータス、ティレル等。
1978年のイタリアGPの事故が原因で亡くなります。

1976年のR.ピーターソンの成績

年齢:当時32歳
シーズン:7シーズン目
最高位:1位(このミニカーの仕様である第13戦イタリアGP)
予選最高位:1位(第12戦オランダGP)
入賞:2回(1位…1回 6位…1回)
ファステスト・ラップ:1回(第13戦イタリアGP)
リタイア:10回(全16戦中)
獲得ポイント:10ポイント
ドライバーズランキング:11位
※1976年のチャンピオンは、J.ハント(マクラーレンフォード・M23)

1976年R.ピーターソンは、第1戦のブラジルGPはロータスから参戦し、続く第2戦の南アフリカGPからマーチで出場しています。
開幕たった1戦で移籍したのでしょうか?
詳しいことは分からないので、ちょっと謎です?
この辺りに詳しい方がおられましたらご教授ください。

ミニカー的には、R.ピーターソンのヘルメットのデザインが結構好きです。
スウェーデンのナショナルカラーの青に、彼のトレードマークであるシロクマが描かれています。
このシロクマがちゃんと再現されているのがポイント高いです!!
あとエンジン剥き出しのマシンも時代を感じさせてくれるのでいいですね☆


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SAUBER PETRONAS C17 J.ハーバート 1998

2006年11月12日 21時05分03秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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ミナルディ、ジョーダンと続いたら次にご紹介するミニカーは何か想像がついちゃいますかね?
昨年までの下位争いトリオの一員です。
しかもミニカーの人気面でも見事に下位争いを演じております(笑)
はい、そうです。
スイスに本拠地をおく水色のあのチームです。

もうみなさんお分かりのとおり本日のミニカーは、
SAUBER PETRONAS C17 J.ハーバート 1998

です。

なんとも懐かしいザウバーです。
まだマシンが角ばってます。
この年のチームメイトは、J.アレジ。
1998年はまだ、車載カメラの色分けがされていなかった時代。
(※たしか2002年?からファーストドライバーは、インダクション・ポッドの上にあるオンボードカメラが赤く塗られています。セカンドドライバーは黒。)
ですが、この2台には見分け方があります。
J.ハーバート車は、コクピットとミラーが黄色。
J.アレジ車は、コクピットとミラーが赤色というように各車すぐわかるように色分けされている部分があるんです。
これはテレビで見ていてとても判りやすいので、個人的にはよいアイデアだと思います☆

1998年 J.ハーバート(イギリス)の成績

シーズン:10シーズン目・当時34歳
最高位:6位(第1戦オーストラリアGP)
予選最高位:5位
入賞:1回(6位…1回)※1998年の入賞は6位まで。
ファステスト・ラップ:なし
リタイア:8回(全18戦中)
獲得ポイント:1ポイント
ドライバーズランキング:15位

※チームメイトのJ.アレジは9ポイント・11位。
J.ハーバートと同じくドライバーズランキング15位に、デビュー2シーズン目24歳のJ.トゥルーリがいます。(チームはF1参戦1年目のプロスト)
ちなみに1998年のチャンピオンは、M.ハッキネン。(マシンはMP4/13)

この時すでにREDBULLがF1にスポンサーとして参加しているのが印象的です。
確か1995年のザウバーC14に、REDBULLのロゴがデカデカと描かれていたような気がします。
それが今や自分のチームを2つも所有する企業ですからね…REDBULL恐るべし…


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