◇◆ノレナイクルマ◇◆

1/43 F1ミニカーのコレクションを通じて日々思うことを綴る中国地方発のブログです★

STEWART FORD SF1 J.マグヌッセン 1997

2008年09月01日 22時56分23秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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最近この趣味に関して思うことがあります。
魅力的なモデルがまったく発売されていない!!
新規金型モデルもなく、ほとんどが過去の金型の使いまわし。
しかもデカールや台紙をちょこちょこっと変えて、ハイ新製品です!みたいなのばっかり。
これじゃ購買意欲もわきませんよ。
トキメクことも少ないですので、正直集めてても楽しくない…
もっとこう心躍るようなミニカーを発売してくれませんかねぇ、PMAさん。
駄モデルを乱発してる間に、ファンは一人また一人と離れていっちゃいますよ~。

本日のミニカーはこちら、
STEWART FORD SF1 J.マグヌッセン 1997





です。

“サー” J.スチュワートが息子のポールと共に興したチーム、その名も「スチュワート・グランプリ」の記念すべき初マシン、スチュワート フォードSF1のミニカーです。
この年のチームのベストリザルトは、雨のモナコGPでR.バリチェロが記録した2位。
このモデルのマグヌッセンも、同じくモナコGPでこの年自己最高の7位フィニッシュを決めています。
要はマイナードライバーのミニカーですね(笑)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1997年 J.マグヌッセンの成績

名前:ヤン・マグヌッセン
国籍:デンマーク
誕生日:1973年7月4日生まれ
当時の年齢:24歳
シーズン:2シーズン目
チーム:スチュワート
エンジン:フォード V10
タイヤ:ブリヂストン
チームメイト:R.バリチェロ
カーナンバー:23

参戦レース数:17戦
最高位:7位(第5戦モナコGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
予選最高位:6位(第14戦オーストリアGP)
ポールポジション:なし
予選不通過:-
表彰台:なし
入賞:なし ※6位までが入賞
リタイア:11回
失格:なし 
獲得ポイント:0ポイント
ドライバーズ・ランキング:-位(チームメイトのR.バリチェロは6ポイントの13位)
コンストラクターズ・ランキング:9位(6ポイント)

※1997年のチャンピオンは、81ポイントを獲得したJ.ビルヌーブ(ウィリアムズFW19)。

◇◆細く補足◇◆
チームボスのJ.スチュワートといえば、タータンチャックをこよなく愛する英国紳士(スコットランド出身)。
現役当時からヘルメットやシートに、タータンチェック柄を用いていたのは有名です。

(※画像は、1971年のティレル003 J.スチュワート車)
上の画像のヘルメットに注目してください。
白地にチェック柄なのが分かるでしょうか?
そうなんです、「スチュワート・グランプリ」チームのマシンは、オーナーの現役時代のヘルメットとまったく同じカラーリングなんですねぇ。
一見地味に見えるマシンですが、こういう背景を考えるとなかなかこだわりのあるチョイスだなと感心してしまいます。

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FERRARI F399 M.シューマッハ 1999

2008年04月11日 11時18分03秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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ジル・ビルヌーブのミニカーがリリースラッシュです!
1981年のカナダGPにおいて、ウィングが壊れていく様を表現した3種と各種ジオラマ仕様です。
このうちフロントウィングが壊れていく過程を表現したモデルが、いろんな意味ですごい。
これを企画した人、相当ジルが好きなんでしょうね。
ドライバーに対する愛を感じました。
さすがに全部購入することは出来ないので、私はフロントウィングが折れた55~56周目のジオラマ仕様を購入しました。
このジオラマ仕様の特徴は、ウェザリングが施されている点ですね。
せっかくウィングが折れた様子を表現してあるのに、キレイなボディではちょっと違和感がありますから。
ホイールの色にも違いがありますので、高額ですが満足度は高くてオススメですよ!
近いうちにご紹介予定です。

本日のミニカーはこちら、
FERRARI F399 M.シューマッハ 1999(マテル製)



です。

フェラーリの版権がミニチャンプスからマテルに移ってからリリースされた、初のフェラーリミニカーです。
なのでこのスケールのダイキャスト製F399のミニカーは、ミニチャンプスからは出ていません。
出来も、現在のマテルほどショックを受ける程ではないですね。
当時はミニチャンプスの出来もこんなもんでしたから。
ヘルメットやジオラマ仕立てなケースなど評価できるところが多いです。
ただ、ミニチャンプスは以降進化したのに対して、マテルは退化してますけど…

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1999年 M.シューマッハの成績

名前:ミハエル・シューマッハ
国籍:ドイツ
誕生日:1969年1月3日生まれ
当時の年齢:30歳
シーズン:9シーズン目
チーム:フェラーリ
エンジン:フェラーリ V10
タイヤ:ブリヂストン
チームメイト:E.アーバイン (M.サロ)
カーナンバー:3

参戦レース数:10戦(全17戦)
最高位:1位
優勝:2回(第3戦サンマリノ・第4戦モナコGP)
ファステストラップ:5回(第1戦オーストラリア・第3戦サンマリノ・第5戦スペイン・第15戦マレーシア・第16戦日本GP)
予選最高位:1位
ポールポジション:3回(第6戦カナダ・第15戦マレーシア・第16戦日本GP)
予選不通過:-
表彰台:6回(優勝…2回 2位…3回 3位…1回)
入賞:7回(上記+5位…1回)※6位までが入賞
リタイア:1回
失格:なし(※第8戦イギリスGPは、予選で事故を起こし未出走)
獲得ポイント:44ポイント
ドライバーズ・ランキング:5位(チームメイトのE.アーバインは74ポイントの2位)
コンストラクターズ・ランキング:1位(128ポイント)

※2007年のチャンピオンは、76ポイントを獲得したM.ハッキネン(マクラーレンMP4/14)。

◇◆細く補足◇◆
1999年のM.シューマッハを語る上で欠かせないのが、第8戦イギリスGP決勝での骨折事故です。
この時点でのM.ショーマッハのランキングは、M.ハッキネンの40ポイントに次ぐ32ポイントで2位。
この事故により6戦(※イギリスGPの決勝も含めると7戦)を欠場することになり、完全にチャンピオン争いから脱落することになります。
しかし、チームは1983年以来のコンストラクターズタイトル獲得を果たしました。
ちなみに、M.シューマッハがチームメイトにチャンピオンシップランキングで敗れる(シューマッハ:44p アーバイン:76p)のは、デビューイヤー以外ではこれが唯一です。

事故の模様の動画→こちら
ものすごいスピードでタイヤバリアに突っ込んでいます。
タイヤバリアが無かったらと思うと…恐ろしいですね。


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JORDAN 199 H・H.フレンツェン 1999

2007年06月09日 17時15分40秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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最近F1ミニカーの発売ラッシュが続いていますね。
この3週間で、ざっと15台ぐらいは出たんじゃないでしょうか?
海外の発売日程から、日本にもそろそろドカンと来るかなとは予想していましたが、まさかここまで間髪いれずに立て続けに発売されると、ちょっとひいてしまいます…
もう少し、コンスタントにリリースして欲しいものです。
ixoのラリーカーぐらいのペース&数量(月に5~6台)が個人的には好ましいです。

本日のミニカーはこちら、
JORDAN 199 H・H.フレンツェン 1999(マテル製)



です。

このころのマテル製F1ミニカーは、現在よりも出来がいい気がします。
気のせいでしょうか??
(中途半端ですが)ジオラマ仕様になっているし、現在よりも手が込んでいて愛が感じられます。
気のせいでしょうか??

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1999年 H・H.フレンツェンの成績

名前:ハインツ・ハラルド・フレンツェン
国籍:ドイツ
誕生日:1967年5月18日生まれ
当時の年齢:32歳
シーズン:6シーズン目
チーム:ジョーダン・レーシング
エンジン:無限ホンダV10
タイヤ:ブリジストン
チームメイト:D.ヒル

参戦レース数:16戦
最高位:1位(第7戦フランスGP・第13戦イタリアGP)
優勝:2回
ファステストラップ:なし
予選最高位:1位(第14戦ヨーロッパGP)
ポールポジション:1回
予選不通過:-
表彰台:6回(1位…2回 2位…1回 3位…3回)
入賞:12回(上記+4位…5回 6位…1回) ※6位までが入賞
リタイア:3回
獲得ポイント:54ポイント
ドライバーズ・ランキング:3位(チームメイトのD.ヒルは7ポイントの11位)
コンストラクターズ・ランキング:3位

※1999年のチャンピオンは、76ポイントを獲得したM.ハッキネン(MP4/14)。

◇◆細く補足◇◆
以前にも書きましたように、私はフレンツェンのファンでした。
F1中継の間中、フレンツェンのマシンだけを眺めていたぐらい好きでした。
レース開始早々リタイアなどしようものなら、ガッカリしてテレビを見るのを止めて寝てしまったこともありました。
キャリア終盤の2003年ザウバー時代などは、全盛時代を知っているものとしては、リタイアばかりでかなり辛くヤキモキさせられたものです。

そのフレンツェンの全盛時代というのが、1999年このジョーダン199を駆っていた時です。
ジョーダンという中堅チームながら年間2勝を挙げ、堂々のチャンピオンシップ3位!!
チームメイトの1996年チャンピオンD.ヒルを完全に凌駕する成績で、チームのエースの座を確かなものにします。
プライベーター特有の大らかなチームの雰囲気がフレンツェンにフィットしたといわれています。

余談ながら、1997年~1998年にかけてウィリアムズに在籍していたフレンツェンは、ドライな人間関係のウィリアムズチームに馴染めず悩んでいたといわれています。
この辺りは、同じく2年でチームを去ったM.ウェバーと同じですね。
人間関係を大切にするグッドガイなキャラクターは、ウィリアムズでは成功出来ないのでしょうか?
(癖のある孤高なA.プロストやJ.ビルヌーブがウィリアムズで成功していることも無関係ではないはず…)
在籍期間中のマシンに競争力が無く、2年目にワークスエンジンをもっていなかった点も一致しています。

※フレンツェン ウィリアムズ1年目のエンジン:ルノー 2年目:メカクローム
※ウェバー ウィリアムズ1年目のエンジン:BMW 2年目:コスワース

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SAUBER PETRONAS N.ラリーニ 1997

2007年03月15日 00時02分22秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
SAUBER PETRONAS N.ラリーニ 1997

です。

近頃マイナーチームばかり紹介していますが、今回もまたまたマイナーチーム、ザウバーです。
さらにドライバーもニコラ・ラリーニというマイナー処ですが、最後までお付合いください…
(※マイナーがいてこそメジャーが活きてくるわけですから!とんかつ弁当のキャベツみたいなもんです??)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1997年 N.ラリーニ(1964年3月19日生まれ)の成績

国籍:イタリア
当時の年齢:33歳
シーズン:8シーズン目
チーム:ザウバー
エンジン:ペトロナス(フェラーリ)
タイヤ:グッドイヤー
チームメイト:J.ハーバート
参戦レース数:5戦
最高位:6位(第1戦オーストラリアGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
ポールポジション:なし
予選最高位:11位(第5戦モナコGP)
予選不通過:-
表彰台:なし
入賞:1回(6位…1回)※6位までが入賞。
リタイア:2回
獲得ポイント:1ポイント
ドライバーズ・ランキング:19位(チームメイトのJ.ハーバートは15ポイントの10位)
コンストラクターズ・ランキング:7位(16ポイント)

※1997年のチャンピオンは、J.ビルヌーブ(ウィリアムズFW19)

◇◆細く補足◇◆
前回のエントリーでバッジネームについて書きましたが、今回のミニカーはザウバーがフェラーリの1年落ちエンジンを「ペトロナス」エンジンとして使い始めた記念すべきマシンです。
この関係は、2005年にチームがBMWに買収され消滅するまで続きます。
興味深いことにこの年のザウバーのマシンは、ミニチャンプスからの発売がなくこのONYX製のみです。
ONYXがザウバーと独占契約を結んでいたと思われます。

さらにN.ラリーニといえば、このエピソードを欠かす訳にはいきません。
ラリーニは1992年と1994年、それぞれレギュラードライバーのI.カペリとJ.アレジの代役として、フェラーリから数戦レースに出場しています。
トップチームでのレギュラードライバーというポジションに恵まれなかった彼は、この時生涯で唯一の2位表彰台を獲得しています。
その唯一の表彰台を獲得したレースというのが、1994年の第3戦サンマリノGP(5月1日)なのです。
はい、そうです。
もうお分かりだと思いますが、1994年5月1日 サンマリノGPといえばA.セナが命を落としたレース。
このレースで、優勝したM.シューマッハに次ぐ2位でチェッカーを受けたのがN.ラリーニです。

1994年サンマリノGPのリザルト
1位 M.シューマッハ ベネトン B194
2位 N.ラリーニ フェラーリ 412T1
3位 M.ハッキネン マクラーレン MP4/9
4位 K.ベンドリンガー ザウバー C13
5位 片山右京 ティレル 022
6位 D.ヒル ウィリアムズ FW16
7位 H.H.フレンツェン ザウバー C13
8位 M.ブランドル マクラーレン MP4/9
9位 M.ブランデル ティレル 022
10位 J.ハーバート ロータス 107C

ちなみに右京さんのF1ベストリザルトもこのレースなんですねぇ。

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MINARDI FONDMETAL M02 M.ジェネ 2000

2007年03月13日 01時21分30秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーは前回の予告どおりこちら、
MINARDI FONDMETAL M02 M.ジェネ 2000

です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2000年 M.ジェネ(1974年3月29日生まれ)の成績

国籍:スペイン
当時の年齢:26歳
シーズン:2シーズン目
チーム:ミナルディ
エンジン:フォンドメタル(コスワース)
タイヤ:ブリジストン
チームメイト:G.マッツォカーネ
参戦レース数:17戦
最高位:8位(第1戦オーストラリアGP・第10戦オーストリアGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
ポールポジション:なし
予選最高位:18位(第1戦オーストラリアGP・第2戦ブラジルGP)
予選不通過:-
表彰台:なし
入賞:なし ※6位までが入賞。
リタイア:7回
獲得ポイント:0ポイント
ドライバーズ・ランキング:-位(チームメイトのG.マッツォカーネも0ポイント)
コンストラクターズ・ランキング:10位(0ポイント)

※2000年のチャンピオンは、M.シューマッハ(フェラーリF1-2000)

◇◆細く補足◇◆
このマシンが搭載した「フォンドメタル」というエンジン、なんだか聞きなれない名前ですが果たしてその正体とは…

この「フォンドメタル」エンジン、実はF1ではお馴染みの「コスワース」エンジンなのです。
主にF1の世界では、このように(自社以外のメーカーが製造した車体やエンジンの命名権を買い取り、自社の名前で主催者へのコンストラクター登録等を行うこと)をバッジネームといいます。
簡単に言ってしまえば、ネーミングライツと似たような意味です。

エンジンメーカーの視点から、もう少し説明しましょう。
①エンジン開発には莫大な金がかかるな~。
②開発費を出してくれるスポンサーを探そう!
③スポンサーになってもらう代わりに、エンジン名を自社の名前にしてもいいですよ~。
とまぁこういう流れです。
自動車メーカーの代理戦争の様相を呈してきた現代F1では、このような動きはなくなってきましたが、1990年台後半にはプライベーターを中心にかなり行われていました。
一番有名なところでは、一年落ちフェラーリ製エンジンを搭載したザウバーの「ぺトロナス」(マレーシアの国営石油会社)。
他にも、フェラーリ製エンジンを搭載したプロストの「エイサー」(台湾を拠点にするコンピューター会社)。
コスワース製エンジンを搭載したミナルディの「ヨーロピアン」(ストッダートが興した航空会社)。

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MINARDI FORD M01 M.ジェネ 1999

2007年03月06日 20時00分15秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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少し前の話になりますが、人気のマクラーレン・チームエディション MP4/21 K.ライコネン、無事購入しました☆
アホみたいな感想ですが、マシンがピカピカしてかっこいいです!!
お値段8000円なり~。
ミニカー1台の値段としては高いけど、ネットのどのショップよりも安く手に入ったので大満足です♪
ご紹介はまた後日にでも。

本日のミニカーはこちら、
MINARDI FORD M01 M.ジェネ 1999

です。

前年の1998年には、日本人ドライバーの中野信治がチームに在籍していました。
彼が去った翌年のマシンなので、いろんな意味でさっぱりしたマシンです…

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1999年 M.ジェネ(1974年3月29日生まれ)の成績

国籍:スペイン
当時の年齢:25歳
シーズン:ルーキー・1シーズン目
チーム:ミナルディ
エンジン:フォード
タイヤ:ブリジストン
チームメイト:L.バドエル
参戦レース数:16戦
最高位:6位(第14戦ヨーロッパGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
ポールポジション:なし
予選最高位:15位(第10戦ドイツGP)
予選不通過:-
表彰台:なし
入賞:1回(6位…1回)※6位までが入賞。
リタイア:6回
獲得ポイント:1ポイント
ドライバーズ・ランキング:17位(チームメイトのL.バドエルは0ポイント)
コンストラクターズ・ランキング:9位(1ポイント)

※1999年のチャンピオンは、M.ハッキネン(マクラーレンMP4/14)

◇◆細く補足◇◆
1999年のM.ジェネは、1995年の最終戦(※ドライバーはP.ラミー)以来のポイントをミナルディにもたらしました!
予選では限りなく最下位に近い成績ばかり(※16戦中、予選20~22位が14回。そのうち22位が6回…)でしたが、決勝ではコンスタントに10位ぐらいのリザルトを残しています。
競争力のないマシンで結果を残したわけですから、下位チームにとっては最高のドライバーだったと思います。
ちなみにこの年のミナルディのドライバーは、マルク・ジェネとルカ・バドエル。
現在では、二人ともフェラーリのテストドライバーです!!
偶然??必然??

次回は、MINARDI FORD M02 M.ジェネ車の予定。
黄色いミナルディ(違和感アリアリ…)でお馴染みのアレです。

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ARROWS A19 P.ディニス 1998

2007年03月01日 01時04分30秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
ARROWS A19 P.ディニス 1998

です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1998年 P.ディニス(1970年5月22日生まれ)の成績

国籍:ブラジル
当時の年齢:28歳
シーズン:4シーズン目
チーム:アロウズ
エンジン:アロウズ
タイヤ:ブリジストン
チームメイト:M.サロ
参戦レース数:16戦
最高位:5位(第13戦ベルギーGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
ポールポジション:なし
予選最高位:12位(第6戦モナコGP含め3回)
予選不通過:-
表彰台:なし
入賞:2回(5位…1回 6位…1回)※6位までが入賞。
リタイア:11回
獲得ポイント:3ポイント
ドライバーズ・ランキング:13位(チームメイトのM.サロも同じく3ポイントの13位)
コンストラクターズ・ランキング:7位(6ポイント)
※1998年のチャンピオンは、M.ハッキネン(マクラーレンMP4/13)


◇◆細く補足◇◆
第6戦モナコGPと第13戦ベルギーGPという伝統ある難しいサーキットで入賞を果たしている、ディニスのARROWS A19。
しかし開幕5戦連続リタイアを含め、1998年の全16戦で11回のリタイアを喫したA19は、信頼性に大きな不安を抱えたマシンであるといえるでしょう。
ブラック一色のマシンは、テストカーのようにも見えます。

一方ドライバーとしてのP.ディニスは、当時たくさんのスポンサーマネーを期待できるそこそこに早いドライバーという評価。
なぜなら彼の父は、ブラジルの大手スーパーマーケットチェーンを傘下にもつ大企業のボスで、ブラジルでも有数の資産家。
なので父が経営するスーパーマーケットチェーンとの結びつきにより、ブラジルの食品関連会社の援助を得ることができたから。
しかしF1デビュー当初は典型的なペイドライバーであったとしても、彼は1995年から2000年まで6年にもわたってF1のシートを得ているので、ドライバーとしても成長していたことを見過ごしてはいけません!
現在では、実業家として活躍しているそうです。
(※F1ドライバーとしての背景が、インドの御曹司N.カーティケヤンと似たところがありますね、なんとなくですが。)

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McLAREN MERCEDES MP4/12 D.クルサード 1997

2007年02月15日 20時15分05秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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今月に入りまして仕事がどうにもこうにも忙しくなりはじめまして、ブログの更新もままなりません。
毎日楽しみに見に来てくれている人には本当に申し訳ありません…
出来る限りがんばって更新していきますので、これからも応援よろしくお願いいたします。

それでは早速、いつものようにミニカーの紹介といきましょう。
本日のミニカーはこちら、
McLAREN MERCEDES MP4/12 D.クルサード 1997

です。

このMP4/12も、気がつけばもう11年も前のマシンなんですね~。
メインスポンサーが、マクラーレンの栄光期を支えた「Marlboro」から、同じくタバコブランドの「WEST」に移行した時のマシンです。
このカラーリングを始めて見た時(私が大学2年の時ですが)、「マクラーレン=Marlboro」だった私のイメージとあまりにもかけ離れすぎていたため、かなり衝撃を受けた記憶があります。
要は違和感がすごくあった訳ですね。
でもすぐに見慣れて、このカラーリングもかっこいいじゃん!となりましたが(笑)
ちなみにマクラーレンが、メルセデス製エンジンを搭載して3年目(1995年のMP4/10から搭載)のことです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1997年 D.クルサード(1971年3月27日生まれ)の成績

国籍:イギリス
当時の年齢:26歳
シーズン:4シーズン目
チーム:McLAREN
エンジン:メルセデス
タイヤ:グッドイヤー
チームメイト:M.ハッキネン(フィンランド・7年目)
参戦レース数:17戦
最高位:1位
優勝:2回(第1戦オーストラリアGP・第13戦イタリアGP)
ファステストラップ:1回(第7戦カナダGP・結果は7位)
予選最高位:3位(第6戦スペインGP)
ポールポジション:なし
予選不通過:-
表彰台:4回(1位…2回 2位…2回)
入賞:6回(上記+4位…1回 6位…1回)
リタイア:7回
獲得ポイント:36ポイント
ドライバーズ・ランキング:3位(M.ハッキネンは27ポイントの5位)
コンストラクターズ・ランキング:4位(63ポイント)
※1997年のチャンピオンは、J.ビルヌーブ(ウィリアムズ・FW19)

◇◆細く補足◇◆
M.ハッキネンとチームメイトになって2年目の1997年、クルサードはハッキネンよりも良い成績を残しています。
(※クルサード…36ポイント ハッキネン…27ポイント)
ハッキネンは1993年の終盤、第14戦ポルトガルGPからマクラーレンに所属しているので、このときすでにチーム在籍5年目です。

しかし翌1998年、ハッキネンは8回の優勝と9回のポールポジションという成績で、ワールドチャンピオンに輝きます!!
このときのクルサードは、悲しいことに優勝1回、2位が6回という成績で完全にハッキネンに負けてしまったのでした。
ちなみにハッキネンとクルサードでは、ハッキネンの方が2歳年上です。
時は流れて、現在のクルサードの年齢、実に35歳!!
まだまだ元気です☆
(※参考までに歴代最年長F1ドライバーは、ルイ・シロンという選手で、1958年の第2戦モナコGPに参戦したときの年齢が58歳288日でした!!)

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JAGUAR R1 E.アーバイン 2000

2006年12月19日 21時06分10秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
JAGUAR R1 E.アーバイン 2000 (マテル製)

です。

ジャガーのミニカーについては以前、JAGUAR R5 C.クリエンを紹介しています。
記事は→こちら

F1ミニカーコレクターの皆さんにとっては有名な話なので知っている人も多いと思いますが、このジャガー・チームのF1初参戦マシンであるJAGUAR R1の1/43スケールのミニカーは、F1モデル大手のPMA(ポールズ・モデル・アート社)から発売されていません。
なのでこのモデルは当時ジャガー・F1チームの契約を独占的に持っていたマテル製になります。
これがモデルの出来もさることながら、ケースもPMAよりも大きいしでコレクターの間ではとても評判がよろしくありません…
でもモデル化されているだけまだ幸せなんですよね。
2002年のJAGUAR R3にいたっては、どこからもミニカーが発売されていないですから…(※あとBARのBAR004も未発売)
いつの日か(出来ればPMAから)発売されることを願ってます。
きっとF1ミニカーコレクターみんなの願いです☆

2000年 E.アーバイン(1965年11月10日生まれ)の成績

国籍:イギリス
当時の年齢:34歳
シーズン:8年目
参戦レース数:16戦(※全17戦中第10戦オーストリアGPのみ欠場)
最高位:4位(第7戦モナコGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
予選最高位:6位(※第2戦ブラジルGP・第9戦フランスGP)
ポールポジション:なし
予選不通過:-(※予備予選なし)
表彰台:0回
入賞:2回(※4位…1回 6位…1回)
リタイア:4回(決勝参戦全16戦中)
獲得ポイント:4ポイント
ドライバーズランキング:13位

※2000年のチャンピオンは、M.シューマッハ(フェラーリ・F1-2000)。

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ARROWS A20 P.デ・ラ・ロサ 1999

2006年12月15日 00時44分22秒 | F1ミニカー(1996~2000)
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本日のミニカーはこちら、
ARROWS A20 P.デ ラ ロサ 1999

です。

P.デ・ラ・ロサは、以前紹介したマクラーレンMP4/20 テストカーに続き2度目の登場です。
→以前のペドロの記事はこちら

1999年、P.デ・ラ・ロサはアロウズ・チームからF1に初参戦します。
なのでこのミニカーは、デ・ラ・ロサの記念すべきF1デビューマシンということになります☆
この年のチームメイトは、F1参戦2シーズン目の日本人ドライバー・高木虎之介(当時24歳)。
2人が乗ったこのアロウズ・A20は、2人併せて32戦中22回のリタイア(※ペドロ…11回 虎之介…11回)という、かなり信頼性の低いマシンです。
実際、この年のアロウズ・チームはかなりの資金難だったようです。
なので2人併せても獲得ポイントは1ポイント。
コンストラクターズ・ランキングでもミナルディ・フォードと並び最下位の9位という成績に…

1999年 P.デ・ラ・ロサ(1972年2月24日生まれ)の成績

国籍:スペイン
当時の年齢:28歳
シーズン:1年目
参戦レース数:16戦
最高位:6位(第1戦オーストラリアGP)
優勝:なし
ファステストラップ:なし
予選最高位:17位
ポールポジション:なし
予選不通過:-(※予備予選なし)
表彰台:0回
入賞:1回
リタイア:11回(決勝参戦全16戦中)
獲得ポイント:1ポイント
ドライバーズランキング:17位

※1999年のチャンピオンは、M.ハッキネン(マクラーレン・MP4/14)。

◆P.デ・ラ・ロサについて補足◆
1995年、全日本F3選手権でチャンピオン獲得(9戦中8勝)。
1996年、フォーミュラ・ニッポンへ参戦、ランキング8位(この年の初代チャンピオンは、R.シューマッハ)。
1997年、フォーミュラ・ニッポンで第2代目のチャンピオンに輝く。

ミニカー的には、「REPSOL」のオレンジのスポンサーロゴが黒い車体に映えていてかっこいいですね。
レプソルはスペインの石油企業なので、スペイン人であるP.デ・ラ・ロサの持込スポンサーであると思われます。
MotoGPのホンダ・ワークスチームを歴代スポンサードしていることでも有名な企業です。

※「REPSOL」…スペインの巨大石油会社で、近年アルゼンチンの国有石油会社YPFを買収して「レプソルYPF」となりヨーロッパや中南米で大きなシェアを持つ大企業。

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