先週の徳之島特集で読み込んだ古文書の登場人物のつながりが、何となく分かったけど何となく分からない。すっきり整理して系統が見えなかったので、図表化してまとめてみることにしました。
本命である沖永良部の思鎌戸には、徳之島で縁組した妻との間に男児が5名いることが分かりました。
しかし、1609年~16012年の3年間で子供5人とは双子でもいたのでしょうかね??? 昔は双子は育ちにくいとか聞きましたが、果たして真相は、、、
沖永良部にも子供がいるような話もありますが、その子供も含めて男子が5人だったのか?
男子4名は全て徳之島で与人などの役についているので、5男が沖永良部にいたという子供か?
女子1名は、東ケ主の子供のはず。
思鎌戸は1612年に他界していますが、いったい何歳だったのか?子供が生まれているので、高齢者ではなかったと思いますが。。。ちょっと謎が多いですね。
公表されている古文書からはここまでの情報しかつかめませんでした。
こうなったら徳之島に直接アタックするか!?
今後の調査をどうするか、検討したいと思います。