本牧本郷町の店を数軒周り、商品を見ながら、商店主の
お話を少しだけ聞かせていただき(買い物したい人は、
解散後、個人で行く)、その後、集会所に集まって、
じっくり話の続きを聞かせていただくという「まちあるきツアー」。
何回も参加していますが、毎回、新鮮です。
主催者や協力者(商店街、中区役所、ボランティア)の
地域愛、しっかりした勉強に基づく土台の確かさに、
毎回、感心させられます
もちろん、中身のおもしろさにも!
今回、訪問させていただいた店は、「宮下商店」(桶、樽)、
「きじまや靴店」「海老名畳店」の三軒。
宮下商店
風呂桶を製造販売してらしたそうですから、
相当、昔からの店でしょう。
すぐ近くにあったのが空襲で一度、焼け出され、その後、
いまのところに移ったそうです。
戦後の日本は風呂桶がどんどん木ではない素材に
変わっていきました。
「変わった当初は風呂釜の修理もできたけど、
いまみたいにコンピューターだなんだということになると
もう、私らの手にはおえないね」
と宮下さん。
風呂桶を造っていたのは昭和40年代半ばまで。
時を同じくして、飯台、おひつ、たらい、洗濯板などの
需要もなくなっていきました。
昔は孫の産湯の祝いに、祖父母が名前入りの
たらいを贈ったりしたそうです。
「東京、横浜にはもう、たらいを造ってる業者はいないね。
昔は山手に、桶屋が四軒もあったんだけどね」
「なにせ風呂場がからんでるからね、話せないことも
いろいろあるんだよ」
と、気になる笑みを浮かべる宮下さん。

きじまや靴店
「スポーツシューズのアウトレット店。
ブランドシューズが破格のお値段で買えます。
ご近所のカルロス・ゴーンや沢田研二も常連さんだとか。
ご主人と、靴いっぱいの店内。

安いでしょ!

お得でしょ!

「長年の問屋との付き合い、同業者達との共同購入で
この値段にできるわけだけど、サイズと色を揃えとかないと
いけないし、流行もすぐ終わるから在庫が溜まる一方。
なかなか厳しいですよ、この商売。同業者も少なくなった。
同じ商店街に同業者が多い方が繁盛するんですけどね、
あそこへ行くといろんな店が見られるからって、お客さんが
来るから」
そう言いながらも、集会所での講座ではさすがハマッ子。
洒脱な話しっぷりで座を湧かせてくれました。
海老名畳店。
店主の吉野さんの話を伺いながら、日本人なのに畳のことを
なにも知らなかったことを思い知りました。
(私の住まいも洋間しかないし)
この店は120年くらい前から横浜で畳屋を営んできたそうです。
しかし暮らしの洋風化で、畳の需要は激減しました。
いま、畳表は国産が二割、あとの八割は中国産だそうです。
そして国産のほとんどを熊本県八代市の農家が作っているのだとか。
吉野さんはその農家と手をつなぎ「正直たたみ 畳道場」
という活動に取り組んでいます。
い草農家に、各地から来た畳屋がホームステイをし、
田植えから参加して、い草作りを体験研修します。
そうやって、日本の文化の粋とも言える畳を守っていこうというもの。
「後継者不足、安くて品質の悪いものの横行、と、
問題がとても多いのです。だから農家とダイレクトに
繋がることで、日本の良質な畳を守っていかねばと……」

中国産の畳表と国産のそれはどう違うか。
刈り取ったい草は、いったん泥に漬けるのですが、
中国産はこの時、泥に染料を入れます。
泥から上げて渇かす時、国産は50度で一昼夜かけて渇かす。
が、量産を目的とする中国産は80度でさっさと渇かすのだそうです。
出来上がったものはどう違うのでしょう。
中国産は染料が入っているので、水拭きすると色がつく。
また耐久性も劣る。
値段も当然異なるのですが、長いこと、国産と偽った
中国産が安い値段で流通していたそうです。
プロの畳屋でさえ騙されていたとか。

だから吉野さん達は農家直結の「畳道場」を立ち上げました。
良い畳を後世に伝えていくため、こんな努力をしている
人が横浜にいたなんて、けっこう感動しました。
三軒を回り、あらためて思ったのは、「商店主はプロの職人」
だということです。
ここが量販店との大きな違いでしょう。
商店街というのは、まさにプロの集まりなのです。
店巡りが終わったあとは、集合場所である集会所に戻ります。

参加費300円で、お茶とお菓子付き!

そしてなにより、ここでもう一度、商店主さんの話を
じっくりきかせていただき、質問も受け付けていただけるのが素晴らしい。
本日は、いまや珍しくなった「鯨尺」まで、希望者には
お土産として提供されました。
やっぱりこれ、私の住む南区でもやりたいなあ。

本牧リボンファンストリート
http://www.honmoku-street.com/