古い建物の少ない横浜には珍しいアールデコ風な鉄筋コンクリート建て。
しかも広いバス通りに面したビル密集地にある。
数年前まで横浜市大の医学部が入っていた。
変死体の遺体解剖もここで行われており、もう十年くらい前になるが、私も一度、
その解剖を見学させていただいたことがある。
廃墟になってからは前を通るたびに、ここはどうなるんだろうと気になって
いたのだが、ついに取り壊されることが決定したという。
教えてくれたのは知り合いの建築家だが、その方が、「壊される前に建物内部を
見学します。良かったら来ませんか」と誘ってくださった。
じつはこの建物、市大の医学部が使用する前は小学校だった。
1923年の関東大震災で、浜の学校も大きな被害を受けた。
その直後から1930年までの間に建てられた市立小学校を「震災復興小学校」という。
市内に31校あったそうだ。
31校のうち30校は現在までにもう解体された。たったひとつ残ったのが、
この旧「三吉小学校」(1926竣工)だった。
昭和22年に小学校としての役目を終え、その後は市大の医学部が使用していたのだが、
老朽化し、数年前からは廃墟になっていたというわけだ。
「復興」だからといって「とりあえず」の設計ではない。外観から中の使い勝手まで、
建築家達は当時の最先端を取り入れていた。だからこそ、廃墟になってからもその佇まい
が目立っていたのだろう。
壁は剥がれ、床はきしんでいる。でもレトロな緑色はいまも美しい。
下の写真は遺体解剖が行われていた部屋。
こうした歴史があるせいで、近隣から「誰もいないはずなのに、窓に女の姿が見えた。
怖いから早く取り壊して欲しい」という要望もあったそうだ。
そりゃあ、女の姿も男の姿も覗くだろう。
人が入れないように、窓には板を打ち付けたり、鉄線を取り付けたりはしてあるのだが
ことごとく破られている。肝試しかいたずらで侵入した者がいるのだ。
危ないことに、煙草の吸い殻もけっこう捨ててあった。
小学校時代の立派な体育館。
夏草がしげり、蚊ががものすごかった。
跡地は、いまのところ南区総合庁舎が建つ予定だそうだ。
さてこの近くにはもうひとつ、アールデコな建物がある。
神奈川県の「埋蔵文化財センター」資料室。(……ということらしいが、いまは
どう使われているのかよくわからない。見た目は廃墟っぽい)
昭和初期に建てられたものらしい。
またこのすぐそばには神奈川県警の武道場がある。
建物自体は和風なのだが、玄関の柱はピンクっぽい色で、上部にはアカンサスの
ような装飾がほどこされている。
昔、流行ったという「擬洋風」に属するのだろうか。
機会があれば、ここも中を見せていただきたいものだ。
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