冬桃ブログ

消えゆく古建築

 うちから徒歩五分といかない場所に巨大な廃墟がある。
 古い建物の少ない横浜には珍しいアールデコ風な鉄筋コンクリート建て。
 しかも広いバス通りに面したビル密集地にある。



 数年前まで横浜市大の医学部が入っていた。
 変死体の遺体解剖もここで行われており、もう十年くらい前になるが、私も一度、
その解剖を見学させていただいたことがある。
 廃墟になってからは前を通るたびに、ここはどうなるんだろうと気になって
いたのだが、ついに取り壊されることが決定したという。
 教えてくれたのは知り合いの建築家だが、その方が、「壊される前に建物内部を
見学します。良かったら来ませんか」と誘ってくださった。

 じつはこの建物、市大の医学部が使用する前は小学校だった。
 
 1923年の関東大震災で、浜の学校も大きな被害を受けた。
 その直後から1930年までの間に建てられた市立小学校を「震災復興小学校」という。
 市内に31校あったそうだ。
 
 31校のうち30校は現在までにもう解体された。たったひとつ残ったのが、
この旧「三吉小学校」(1926竣工)だった。
 昭和22年に小学校としての役目を終え、その後は市大の医学部が使用していたのだが、
老朽化し、数年前からは廃墟になっていたというわけだ。

 「復興」だからといって「とりあえず」の設計ではない。外観から中の使い勝手まで、
建築家達は当時の最先端を取り入れていた。だからこそ、廃墟になってからもその佇まい
が目立っていたのだろう。

 



 壁は剥がれ、床はきしんでいる。でもレトロな緑色はいまも美しい。
 下の写真は遺体解剖が行われていた部屋。



 こうした歴史があるせいで、近隣から「誰もいないはずなのに、窓に女の姿が見えた。
怖いから早く取り壊して欲しい」という要望もあったそうだ。
 
 そりゃあ、女の姿も男の姿も覗くだろう。
 人が入れないように、窓には板を打ち付けたり、鉄線を取り付けたりはしてあるのだが
ことごとく破られている。肝試しかいたずらで侵入した者がいるのだ。
 危ないことに、煙草の吸い殻もけっこう捨ててあった。

 小学校時代の立派な体育館。


 夏草がしげり、蚊ががものすごかった。


 跡地は、いまのところ南区総合庁舎が建つ予定だそうだ。

 さてこの近くにはもうひとつ、アールデコな建物がある。
 神奈川県の「埋蔵文化財センター」資料室。(……ということらしいが、いまは
どう使われているのかよくわからない。見た目は廃墟っぽい)
 昭和初期に建てられたものらしい。


 またこのすぐそばには神奈川県警の武道場がある。
 建物自体は和風なのだが、玄関の柱はピンクっぽい色で、上部にはアカンサスの
ような装飾がほどこされている。
  昔、流行ったという「擬洋風」に属するのだろうか。
 機会があれば、ここも中を見せていただきたいものだ。
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