冬桃ブログ

逃れの地

 海のそばで生まれ育った。
 現在の横浜も海の街だ。
 目の前はいつでも広々と開けていた。
 
 S村のような山間の地は初めてだった。
 だから二年近く前、周囲が開けた農道に立ち、見回した瞬間、
ある種の恐怖にかられた。
 
 どこへも逃げられない。


 四方はすべて山。その山がまた奥へと何重にも重なっている。
 一山超えたとしても、その先はまた高い山、深い谷の連なり。
 昔の人は、どうやってここから他所へ行ったのだろう。






 いや、いまだって同じだ。私は運転ができない。
 S村へ来て最初に思い知らされたのは、車がないと
身動きできないという事実だった。
 公共交通で自由に動いていた私にとって、このことは
脅威だった。いまから免許を取ろうという年齢ではない。
 だからここに住むことはできない。

 そう自分に言い聞かせながらも、気が付けば毎月のように
訪れ、滞在も少しずつ長くなっていった。
 こじんまりした区画を与えてもらい、バタフライガーデンを
造り始めた。
 そうするうちに、四季折々どころか、日々、新しいものを
見せてくれる自然に、魅入られてしまったようだ。

 「山」という「壁」を見て、私は「逃げられない」
という恐怖を覚えた。が、その山は、逃れて来るものを
匿い、生きる糧を与える存在でもあったことを
この地の歴史を教わるにつけ知ることになった。
 
 山や谷に、町や村が散らばっている。
 隣の村に行くのさえ、剣呑な山道を越えなければならない。
 南北朝から戦国時代にかけて、主を失った落武者たちが、
この地に逃れてきた。隠れるには格好の場所だったのだろう。
 彼らはここでなんとか生き延びようとした。
 先住民がいれば、武士という立場から彼らを統率し、
新しい領土を開いた。
 が、従わないもの、反抗するものがいれば、刃に
ものを言わせ、強引にそこを乗っ取ったりもしただろう
 落武者同士、ひとつの土地を巡る争いを起こしたこともあった。
 「隠し砦の三悪人」(黒澤明監督)という映画は、
そうした出来事をを描いている。
 だから、血なまぐさい言い伝えがさまざま残っている。
 まさに「つわものどもが夢の跡」。
 ここS村も、室町時代、ある豪族が城を築き、一帯を統治した。
 しかし戦国時代、敵に滅ぼされている。

 早いもので、私もS村三度目の春を迎えつつある。
 問題はまったく解決していないが、滞在日数はまた
ちょっと長くなってきた。
 なんといっても自然と共生するここの暮らしは
私にとって捨てがたい魅力だ。
 悩みつつ、行けるところまで歩んでみるしかないだろう。

 ムスカリの蜜を吸うタテハチョウ。越冬明けかな?


 ナズナ(ぺんぺん草)は白いものだと思っていた。
 ホトケノザと一緒に群生してるコレなんかも、白いでしょ? 


 でも黄色いナズナを見つけた。
 ちゃんと「ぺんぺん」もついてる。
 調べてみたら「イヌナズナ」というそうだ。
 ナズナに似てるけど、ナズナほど繁殖していない
ということで「イヌ(犬)」という、まあ蔑称の
ような名がつけられたようだ。


 クリスマスローズ


 バタフライガーデンのチューリップも
すくすくと育っている!


 

 

 
 

 


 
 

 

コメント一覧

渡辺みえこ
自然との共生、素晴らしいですね。
S村は信州でしょうか。山姥や山姫は?
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