冬桃ブログ

大震災の復興シンボルだったニューグランドホテル

 背中をドンッと押された気配で目が覚めた。
 寝ていた場所は我家ではない。ニューグランドホテルのダブルベッド。
 三人ぐらい寝られる大きさだったが、むろん独りで。
 なんだ、いまのは……と枕元の時計を覗くと、まだ起きるには早い三時台。
(あとで知ったが、ちょうどその時間に地震があったらしい)
 
 再び眠ったが、今度は六時頃、目が覚めた瞬間、足が攣った。
 このところの運動不足がたたったのだ。ベッドから出てカーテンを開ける。
 窓の外は透き通るような薄緑。銀杏の若葉だ。雨と風に揺れている。
 山下公園を見ると、こんな時間、こんな天候にもかかわらず、すでに
ジョギングしている人がいた。犬を散歩させている人もいる。


 
 私が目覚めた部屋は本館三階の318号室。「霧笛」「天皇の世紀」
「鞍馬天狗」などで知られる作家、大仏次郎が仕事場にしていた部屋だ。



 もちろんベッドなどの家具もバスルームも当時のものではない。
 銀杏の木もその頃は丈が低かったから、山下公園も海も一望の下だっただろう。
 横浜をこよなく愛した大作家が、この空間で後生に残る傑作を生み出して
いたのだと思うと、ちょっと身が引き締まる。

 で、なぜ私がここに泊まっているかというと、前日からこのホテルを
取材していたのだ。ニューグランドホテルの本を書くために。
 一泊二日でドアマン二人、宴会予約、ウエディングプランナー、
ゲストリレーション、宴会サービス、バーテンダー二人と、計8人の
ホテルマン、ホテルウーマンに話を聞かせていただいた。
 これまでもすでに何人か取材しているが、二日間ぶっ通しで8人は初めて。
 編集者さんが一緒で、録音や質問のフォローをしてくれたのでずいぶん
助かったが、さすがに疲れた。
 一日目は終わって部屋へ戻ったのが夜の十時近い時間。
 部屋を楽しむゆとりもなく、シャワーを浴びてニュースを観て、早々に
寝たのだ。

 朝食は新館五階の「ル・ノルマンディー」。
 みなとみらいからベイブリッジまで、素晴らしいパノラマが広がる
フレンチ・レストランだ。
 しかし人は少ない。大災害と原発事故の影響で、どこのホテルも
いまは例年の2割程度しか客がいないという。
 こんな状況が早く終わってくれることを祈りながらコーヒーを味わって
いると、このホテルの会長である原範行さんがたまたま入ってこられた。
 これまでもニューグランドに来るたび、いつもどこかしらで原さんの
姿を見かける。従業員から「うちのおとうさん」と慕われ、尊敬されて
いるのも、原さんが椅子にふんぞりかえらず、こうしていつも「現場」に
出ておられるからかもしれない。

 挨拶をさせていただき、「ニューグランドは関東大震災の後、復興の
シンボルとして建てられたホテルでしたね」と言うと、「そうです」と
大きく頷かれた。
 「横浜はあの大震災で瓦礫の山になりました。山下公園はその瓦礫を
埋めてできた公園ですからね」
 会長の大きな目が、海の方へと向けられた。

 近代になってから、横浜の中心部は二度も壊滅状態になっている。
 一度目は大正12年の関東大震災。
 波止場、山手、元町、中華街、関内、関外……瀟洒な洋館の建ち並ぶ
横浜が、大地震で瓦礫の山と化した。
 原会長がおっしゃった通り、山下公園はその瓦礫を埋めてできたものである。
 震災における死者・行方不明者は十万人を超えた。

 当時、明治六年創業のグランドホテルが、この海岸通りにあった。
 日本一華やかなホテルとして、この頃の外国人による日本旅行記にも
よく登場している。そのグランドホテルも全壊した。
 復興に立ち上がった人々の間から、「横浜は国際都市だ。その誇りと
賑わいを取り戻すため、あのグランドホテルに匹敵するものが欲しい」
という声が上がった。
 そうして生まれたのがニューグランドホテル(昭和2年)だったのである。

 それから18年後の昭和20年、せっかく甦った横浜は再び壊滅状態となった。
 米軍による横浜大空襲である。死者は8000~10000人。

 どこもかしこも焼け野原になったが、ニューグランドホテルは奇跡的に
無事な姿で残った。進駐してから使うため、米軍がわざと爆撃しなかった、
という説もある。
 それを裏付けるかのように、横浜を接収した米軍はニューグランドホテルを
高級将校達の宿舎にした。連合軍最高司令官のマッカーサーも厚木の飛行場に
降り立った後、ニューグランドに直行し、三日間滞在している。
 315号室はいまも「マッカーサーズ・スィート」と呼ばれ、当時の執務机や
椅子がそのまま置かれている。私は昨年、その部屋に泊まった。
 大仏次郎の318号室と同じ並びにある。

「ニューグランドホテルの贅沢な一日 その1」
http://blog.goo.ne.jp/yokohamaneko/e/6ca70d1433f14084303b323c997a4fb0
「ニューグランドホテルの贅沢な一日 その2」
http://blog.goo.ne.jp/yokohamaneko/m/201003

 未曾有の事態が起きたいま偶然にも、大震災からの復興シンボル
として建てられたこのホテルに自分が関わっているのが、なにか不思議な気がした。
 関東大震災と空襲。その直撃を受けたのは横浜だけではない。
 首都である東京も同じだった。
 それでも甦ったのだ、東京も横浜も。
 きっと大丈夫、東北も。いや、日本は。
 朝食の後、開店前の静かな中華街を散歩しながら自分に言い聞かせた。

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 ニューグランドホテルの数奇な歴史から誕生した料理が幾つかある。
 いまではすっかり日本に定着したスパゲティ・ナポリタン、ドリア、
プリン・アラモード。
 その三種類を、いまならまとめて味わうことができる。
 タワーオープン20周年記念として本館一階の「ザ・カフェ」が出している
特別プレート“グルメづくし”。三種類のほかにサラダもついて2800円(税込価格 2940円)。
(5月13日まで)




 三種類の料理にはもちろん、それぞれ誕生ドラマがあります。
 「ザ・カフェ」にいらしたら、店の人に尋ねてみてください。
    

 
  
 
 

コメント一覧

冬桃
とっても家庭的なんですよ。
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
 コメントありがとうございました。
私もニューグランドは当初、憧れるだけでした。
 でも一歩入ってみたら、とてもアットホーム
なので驚きました。一見、大きいのですが、
じつはこじんまりしてます。
 だから客と従業員の距離が近いのです。
 「宴会場、見学させて貰えますか」「18階の
チャペルからの眺めが抜群だそうですが」などと、
ドアマンやゲストリレイションに言ってみてく
ださい。時間さえあえば喜んで見学させてくれ
るでしょう。
R3
はじめまして
はじめてコメントさせて頂きます。
原さん、というお名前を目にして、原三渓さんを思い出し、ネットで調べてみたらやはり……。
地元で生まれ育ったのですが、ニューグランドホテルには一度も入ったことがありません。例えはナンですが、吉原の大見世を眺めている素見状態です。値段云々ではなくて、格式が高すぎて、目に見えない壁が厚すぎて……。
ニューグランドホテルの作品、楽しみにしております。
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