冬桃ブログ

大災害と戦争

 2011年3月11日、東日本大震災が勃発した。
 あの直後、被災地へ行く機会が3度あった。
 それぞれ別の要件ではあったが、すべて被災がらみだった。

 テレビの画面ではその惨状が繰り返し流れたが
まのあたりにすると言葉を失う。


 宮城県石巻市、日和山公園
 ボランティアの集合場所になっていた。


 神奈川県は、県内から被災地へ行くボランティアのために
岩手県遠野市に「かながわ金太郎ハウス」を造った。
 大勢のボランティアが泊りがけで頑張っていた。


 このころ、私たちは地震、津波、そして原発事故と
日々、恐怖が増していくテレビ画面を茫然と眺めていた。
 11年たったいま、降りしきる雪の中、明日の見えない
逃避行を続けるウクライナの人々を見ている。
 その先に核、第三次世界大戦という最悪の事態もちらつく。
 
 いまから77年前の昨日(3月10日)は東京大空襲があった。
 5月末に横浜大空襲。そして8月6日に広島、
8月9日に長崎と、原子爆弾が投下された。
 第二次世界大戦、原爆という悲劇を体験しながら
またもやそれが繰り返されつつある。
 
 地震や津波は天災だが、戦争は人災。
 せめて人間の起こした厄災は、人間が停められないものだろうか。

 さらにいまは新型コロナ・パンデミック。
 目に見えないウイルスは天災なのだろうか。
 それとも人災か。

 

コメント一覧

yokohamaneko
サイコさん
 戦争にまつわる史料を読み、体験者からどれだけ
話を聞いても、私の想像力はその現実に追いついて
いけないと思います。だからこそ、目をそむけずに
もっと知っておかねば、と思っています。
サイコ…chicken(ミドリムシ)
こんにちわ。Yokohamaneko樣。何日か前でしたが、空襲警報、爆撃、防空壕とわたしにとっては死語の日本語と悲惨な画像ありの実況報道を見たときは…ビビリました。机の上でですが…まずは自分を守る姿勢が他の人を守る事に繋がるのかなあ?と考えたりもしました。しかし現実に遭遇したら…その時、そしていつまでちゃんと考えて人間らしい行動をとれるかなんて…自信がないです。ネコ先生。ましてやコロナパンデミックが人災であるとまでは…考えたくないです。平和に胡座をかいていた私の頭はピーマンになっちゃいそうです。ひまわりの咲き誇る草原…西洋と東方があわさった可愛い色の建築物…日曜にはパイプオルガンの音色が街のひろばに流れ…通る人通る人に一輪のお花を配る習慣…冬場は寒いけど…優しい人々が平和に暮らす。そんな国が焼け野原と化してしまうなんて…哀しすぎます。
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