あの直後、被災地へ行く機会が3度あった。
それぞれ別の要件ではあったが、すべて被災がらみだった。
テレビの画面ではその惨状が繰り返し流れたが
まのあたりにすると言葉を失う。
宮城県石巻市、日和山公園
ボランティアの集合場所になっていた。
神奈川県は、県内から被災地へ行くボランティアのために
岩手県遠野市に「かながわ金太郎ハウス」を造った。
大勢のボランティアが泊りがけで頑張っていた。
このころ、私たちは地震、津波、そして原発事故と
日々、恐怖が増していくテレビ画面を茫然と眺めていた。
11年たったいま、降りしきる雪の中、明日の見えない
逃避行を続けるウクライナの人々を見ている。
その先に核、第三次世界大戦という最悪の事態もちらつく。
いまから77年前の昨日(3月10日)は東京大空襲があった。
5月末に横浜大空襲。そして8月6日に広島、
8月9日に長崎と、原子爆弾が投下された。
第二次世界大戦、原爆という悲劇を体験しながら
またもやそれが繰り返されつつある。
地震や津波は天災だが、戦争は人災。
せめて人間の起こした厄災は、人間が停められないものだろうか。
さらにいまは新型コロナ・パンデミック。
目に見えないウイルスは天災なのだろうか。
それとも人災か。
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