冬桃ブログ

信州から戦争と平和を考える。

 ここ数日でS村にもようやく秋が来た。
 急激な朝晩の冷え込みに、あわてて布団の入れ替え。
 もうすぐ横浜に戻るが、その際は夏物を持ち帰って衣替えだ。
 飯田の鼎文化センターで行われる学習会を新聞で知って
聴講したのは、この夏、最後の暑さが残る日だった。
 演題は「清水英男さんらの731部隊跡地訪問の報告会」。
 100人くらいが定員かな、と思われる学習室に129人もの
聴講者。クーラーは入っておらず、蒸し暑い。
 にも拘わらず、2時間30分もの長丁場を、興味深く
拝聴することができた。


 731部隊は第二次世界大戦時、日本の陸軍が設けた研究機関だ。
 細菌戦に使うための研究・開発が秘密裏に行われていた。
 捕虜たちを使ったなまなましい人体実験である。
 感染症の菌を投入されたり、生きたまま解剖されたり、という、
「実験対象」は「マルタ」と呼ばれていた。もちろんその多くが
死に至っている。
 中国人がもっとも多く、女性や子供も含まれていたという。
 
 終戦後、部隊は解散し、そこに従事していた隊員たちは、軍医を
はじめとして、何もなかったかのように普通の生活へと戻っていった。
 米軍の調査はもちろんあったし、隊員だった人たちの証言もある。
 が、公のこととしてそれが世に出ることはなかった。
 だから私のような一般庶民は、ベストセラーとなった森村誠一氏の
「悪魔の飽食」をはじめとするノンフィクションや小説で、戦後、
かなりたってから知ることになった。

 この学習会のメインとして登壇された清水英男さんは94歳。
 14歳の時、学校の担任から勧められ、少年兵として
満州へ渡る。そこが何をするところかも知らされないまま、
この部隊に配属された。ホルマリン漬けの頭部や胎児を
見た時にはショックを受けたが、戦時中の少年兵には、
事の重大さなどわかるわけはない。問いただすことや拒否する
ことももちろんできない。
 実際、捕虜の外国人だけではなく、少年兵も実験材料に
されたふしがある。清水さんは上官から貰った
パンを食べ、高熱を発して一週間寝込んだそうだが、
類似のことは他の少年兵たちにも起きていたという。
 「マルタ」を捕まえてくるのは手間がかかるから、
手近にいる日本人まで犠牲にしたのだろうか。

 自分が731部隊に所属していたことを彼が公にしたのは
2015年、飯田市で開催された「平和のための信州・戦争展」
を見学した時だという。満蒙開拓団に断トツの人数を送り出した
信州は、戦後、満蒙開拓平和祈念館や飯田市平和祈念館などを
設立し、子供たちも含めた平和教育が熱心に行われている。
 戦争体験者にとっては脳裏から消してしまいたい記憶も
多いはずだが、清水さんはあえてそうした機会に足を運び、
自身の体験を公に語る決心をされたのだ。

 2024年8月、彼の長年の念願であった、中国への謝罪と
慰霊の旅が、「飯田市平和祈念館を考える会」を中心にした人々の
協力のもと、決行された。ハルピンには731部隊の残虐行為を
人々に示す「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」がある。
 中国側の許可を得て、清水さんの一行はそこを訪問した。
 館を挙げて清水さんは歓迎され、中国のメディアが相当数、
取材に押し掛けたという。
 日本のメディアからも同行取材などの申し込みが殺到したそうだが、
なぜか中国側がこれを拒み、許可されたのは共同通信など、ほんの
数社だった。

 学習会ではこの旅の模様が、同行した方たちの話と
パワーポイントなどの画像でわかりやすく構成されていた。
 94歳の清水さんは長く話すことがもうできないが、質問者に
答えるその内容は、短いがとても真摯なものだった。
 少年兵として送られ、拒んだり逃げ出したりすることのできない
状況で「マルタ」の骨を運んだり、部隊の証拠となる建物の爆破を
手伝わされたりした上に、自身も人体実験の対象にされたのだから
「清水さんは加害者ではなく被害者と言えるのではないか」という
声が聴講者の中からあがった。
 が、清水さんは決して自分を「被害者」だとは言わない。
「加害者」という立場で自身の顔も出し、中国へ謝罪と慰霊の
旅をし、押し寄せる中国メディアの取材も逃げることなく受けた。
 その胸中はいかばかりだったことか。
 
 戦争という事態の中で、加害者と被害者を明確に分けられるものだろうか。
 兵士だけではなく、武器も持たない女や子供まで犯し、殺し、
建物を破壊する。それまで普通の暮らしをし、家族、周囲の人を大切にし、
自分のことを、平和を愛する善良な人間だと信じていた人も、
「戦争」という恐怖と憎悪を植え付けられたとたん悪鬼と化し、
「敵」と名付けられた相手を傷つけ、殺害する。
 しかもその後遺症は時を越えて残る。

 せんだって、中国の日本人学校に通う10歳の少年が、現地の
中国人男性に殺害された。犯人は反日思想の持ち主で、犯行当日は
昭和6年、柳条湖事件(関東軍が満州鉄道の線路を爆破し、それを
中国側の犯行に見せかけて、その後の侵略を正当化した)が
起きた日でもあった。
 
 この報道がすべて正しいかどうかはわからない。
 でもなぜ14歳だった清水さんや10歳の男の子が
「戦争」の闇を背負わされなければならないのか。

 「戦争をしてはいけません。そのような世の中に
だけはならないようにしなければなりません」
 低い、静かな声で、清水さんはその言葉を
何度かおっしゃった。
 文字にすれば短いフレーズだが、名だたる
政治家の声高な演説より、私の胸には深く響いた。

 清水さんたちの中国訪問旅行については、
こちらに詳しく載っていますので、ぜひご覧ください。
 飯田市平和祈念館を考える会
https://iidashi731.jimdofree.com/
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