中華街の「一楽」で、懐かしい方達と会食した。
写真は、向かって右端が明治大学教授の川野明生さん、
その隣が川野さんの奥さんの姪で、楊川力さん、
そのまた隣は首都大学教授の木之内誠さん。
左端は私。
木之内誠さんは、私も散々利用させていただいた
「上海歴史ガイドマップ」の著者である。
もう15年も前、木之内さんと川野さんに
誘っていただき、雲南を旅した。
川野さんの奥さまは雲南の人。
そのご実家へもお邪魔して家庭料理をご馳走になった。
この時会った13才の可愛い少女が楊さん。
川野さんの奥さまの姪だ。
15年経って、美しい大人の女性に!
いまは博士号をとるべく日本に留学しているそうだ。
彼女の研究テーマは対聯(ついれん)。
中国では家の門の両側に、しばしば対句を書いた
掛け軸のようなものが掛けられている。
それが対聯という伝統文化だ。
雲南の旅はゆったりしていてほんとうに素晴らしかった。
それから数年後、木之内さんと川野さんに誘っていただき
また中国へ出かけた。上海あたりへは何度も行っていたが、
この旅は、お二人と一緒でなければ行けないであろう場所だった。
少しだけ紹介させていただこう。
浙江省の通称「諸葛八卦村」。
諸葛孔明は三国志でお馴染みだが、ここの住人の多くが
その子孫だとされている。
昔はこの村で漢方薬を作り、男達が行商に行った。
村内の路地が迷路のようになっているのは、
残された女達が他村の男達に襲われるのを防ぐためだったとか。
真ん中にため池があり、太極図を描いている。
その池で、泳いだり洗濯したり排泄したり
はたまたお米を研いだり野菜を洗ったり……。
朝や夕方は水辺でお喋りしながら食べたり飲んだり。
たまたま出くわした葬列。
そこから江西省の婺(ブ)源へ。
ここも水辺は大事な暮らしの場所。
一番手前の女性は大きな鯉をさばいている。
右側中央に伸びているのは屋根のある橋。
子供が手にしているのは豆。
犬も猫も自活している。
じつに印象的な旅で、もう一度行きたいくらいなのだが
ほんとを言うと、軟弱、虚弱な私にはきつかった。
「さわやかで過ごしやすい気候だから、楽な旅になるでしょう」
と聞かされていたのだが、行ってみると凄まじい湿気。
あるところで泊まったのは、昔の大金持ちが
愛妾のために建てたという、東屋風の戸建て。
香港の大スター、チョウ・ユンファが気に入り、
何泊もしたというその家が、宿泊施設になっている。
中は、真ん中が古い家具の置かれた広い居間。
その片側に寝室。逆の片側にバスルーム。
私は喜んでそこに泊まったのだが、なぜか居間の
鍵がない。(出入りはここから)。
でもまあ、誰も来ないだろうと思ってシャワーを浴びていると
観光客らしい中国人の一行が、ぞろぞろと居間へ!
バスルームに下着しか持ってきていない私は
出るに出られない。
寝室に置いてある荷物も心配だ。
「出てってよ! 出てって!」
と、日本語で叫んだが、おもしろがって、
逆にその声を真似されたりした。
あとでわかったことだが、ここは居間だけ観光施設に
なっていて、出入り自由なのだ。
夜になると猛烈なカビ臭さで眠るどころではない。
隣の家に泊まった木之内さんも、たまらず夜中に
外へ出て深呼吸したそうだ。
「窒息死しそうだった」
と、おっしゃってたがそのとおり。
まあほかにもいろいろあり、そのつど私は
文句たらたらだったようだ。
二人はかげで私のことを「減点ばばあ」と呼んでいたらしい。
にもかかわらず、その後もこうして
付き合ってくださっている。
ありがたいことだ。
またぜひ、旅のお供をさせていただきたい。
「減点ばばあ」度は、あの頃の三倍くらいに
なってますけどね。
写真は、向かって右端が明治大学教授の川野明生さん、
その隣が川野さんの奥さんの姪で、楊川力さん、
そのまた隣は首都大学教授の木之内誠さん。
左端は私。
木之内誠さんは、私も散々利用させていただいた
「上海歴史ガイドマップ」の著者である。
もう15年も前、木之内さんと川野さんに
誘っていただき、雲南を旅した。
川野さんの奥さまは雲南の人。
そのご実家へもお邪魔して家庭料理をご馳走になった。
この時会った13才の可愛い少女が楊さん。
川野さんの奥さまの姪だ。
15年経って、美しい大人の女性に!
いまは博士号をとるべく日本に留学しているそうだ。
彼女の研究テーマは対聯(ついれん)。
中国では家の門の両側に、しばしば対句を書いた
掛け軸のようなものが掛けられている。
それが対聯という伝統文化だ。
雲南の旅はゆったりしていてほんとうに素晴らしかった。
それから数年後、木之内さんと川野さんに誘っていただき
また中国へ出かけた。上海あたりへは何度も行っていたが、
この旅は、お二人と一緒でなければ行けないであろう場所だった。
少しだけ紹介させていただこう。
浙江省の通称「諸葛八卦村」。
諸葛孔明は三国志でお馴染みだが、ここの住人の多くが
その子孫だとされている。
昔はこの村で漢方薬を作り、男達が行商に行った。
村内の路地が迷路のようになっているのは、
残された女達が他村の男達に襲われるのを防ぐためだったとか。
真ん中にため池があり、太極図を描いている。
その池で、泳いだり洗濯したり排泄したり
はたまたお米を研いだり野菜を洗ったり……。
朝や夕方は水辺でお喋りしながら食べたり飲んだり。
たまたま出くわした葬列。
そこから江西省の婺(ブ)源へ。
ここも水辺は大事な暮らしの場所。
一番手前の女性は大きな鯉をさばいている。
右側中央に伸びているのは屋根のある橋。
子供が手にしているのは豆。
犬も猫も自活している。
じつに印象的な旅で、もう一度行きたいくらいなのだが
ほんとを言うと、軟弱、虚弱な私にはきつかった。
「さわやかで過ごしやすい気候だから、楽な旅になるでしょう」
と聞かされていたのだが、行ってみると凄まじい湿気。
あるところで泊まったのは、昔の大金持ちが
愛妾のために建てたという、東屋風の戸建て。
香港の大スター、チョウ・ユンファが気に入り、
何泊もしたというその家が、宿泊施設になっている。
中は、真ん中が古い家具の置かれた広い居間。
その片側に寝室。逆の片側にバスルーム。
私は喜んでそこに泊まったのだが、なぜか居間の
鍵がない。(出入りはここから)。
でもまあ、誰も来ないだろうと思ってシャワーを浴びていると
観光客らしい中国人の一行が、ぞろぞろと居間へ!
バスルームに下着しか持ってきていない私は
出るに出られない。
寝室に置いてある荷物も心配だ。
「出てってよ! 出てって!」
と、日本語で叫んだが、おもしろがって、
逆にその声を真似されたりした。
あとでわかったことだが、ここは居間だけ観光施設に
なっていて、出入り自由なのだ。
夜になると猛烈なカビ臭さで眠るどころではない。
隣の家に泊まった木之内さんも、たまらず夜中に
外へ出て深呼吸したそうだ。
「窒息死しそうだった」
と、おっしゃってたがそのとおり。
まあほかにもいろいろあり、そのつど私は
文句たらたらだったようだ。
二人はかげで私のことを「減点ばばあ」と呼んでいたらしい。
にもかかわらず、その後もこうして
付き合ってくださっている。
ありがたいことだ。
またぜひ、旅のお供をさせていただきたい。
「減点ばばあ」度は、あの頃の三倍くらいに
なってますけどね。