冬桃ブログ

「瞬間」の日々

 「寿歴史研究会」に入り、寿町の通史づくりに参加させて
いただいているおかげで、またドヤ街と呼ばれるこの町に
出入りできるようになった。
 ここに来るとほんとうに落ち着く。
 素のままの人々。なにもつくろわない。つくろう必要がない。
 私もそこを、つくろわず、誰からも興味を持たれず、空気のように歩く。
 
 この町の「さなぎ達」というNPOに関係していた頃は、しょっちゅう来ていた。
 ホームレス支援の「さなぎの家」に行き、居合わせた「三人殺してムショから
出てきたばかり」だの「あんただから教えるけどさあ、おれ、じつは
『神様』なんだよ」だのという、おっちゃんと話し込み、蛇のように腹を
地面につけながら、ずるずると表を這いずっていく人を、日常の風景として
眺めていた。

 夜の八時を回った頃から始まるホームレス支援の「木曜パトロール」に
参加し、温かいスープや衣類などを配って歩いた。

 「てふてふ」というB型支援事業のお手伝いに、週一回、ボランティアで
通い、利用者さんたちと一緒にボールペンの組立てをしたり、カレーを
つくって食べたり、リクレーションで三渓園や動物園に行ったりもした。

 その頃、友人がグーグルアースで、私を見つけ、写真を送ってくれた。

 「てふてふ」でボールペン組立て作業に励む私。(2015年)
 いやあ、びっくりした。「アリバイ写真だね」と笑いあった。


 NPOがなくなり、そこがやっていたさまざまなものも消えると、
寄り付くしまがなくなり、この町とも疎遠になってしまった。
 思いがけずまた戻ることができて、ほんとに嬉しい。

 先日は通史の取材で石川町にある支援施設「シャロームの家」
にお邪魔した。障害のある人ばかりを受け入れてきた施設。
 それも精神障害、知的障害。
 当人たちが明るく笑いながら話してくださる「人生」は
凄まじいなどというものではない。
 私も自伝的エッセイを著しているが、レベルが違う。
 夕刻、これをどうまとめようかと悩みながら、そこから徒歩10分
足らずの石川町にあるトルコ料理店へ。

 一転、美味しい料理をいただきながら、友人とお喋りに興じる。







 そうしながらも、緑豊かな村で、畑の実りを眺めながら
秋を過ごせたらいいなあ、などと遠い所を夢見たりもして。

 さまざまな人生と交差し、関わり、どれも愛おしく思える
この瞬間の自分は、とても恵まれている。
 でも次の瞬間がどうなるのかは、誰にもわからない。
 禍福は糾える縄のごとし。
 
 そう考えたとたん、またドヤ街ですれ違う人々の
無表情に、思いが立ち戻る。
 あの仮面のような無表情の奥には、どんな「瞬間」が
積み重ねられているのか。
 飽きもせず、それを知りたいと思い続け、
私はこの街にいる。
 

コメント一覧

yokohamaneko
酔華さん

 う~む、それはちょっと謎ですねえ。
 おじさんが自宅から出そうとしていたゴミと
いつも持ち歩いている「ゴミみたいなもの」との
関連は、なにかあるのでしょうかねえ。
酔華
いつも大きな荷物(ゴミみたいなもの?)を何個もぶら下げたおじさんがグーグルストリートビューに写っていたことがありました。
場所は街中ではなく、なんと住宅街!
多分自宅でしょう。ゴミ出しをしているシーンでした。
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