冬桃ブログ

「作家という生き方 評伝 高橋克彦」と、カケラの私。



 著者の道又力氏は長年、高橋克彦さんの秘書を務め、高橋さん原作のテレビや
ドラマの脚本も数多く手がけてこられた方である。
 身近で時を共にし、深い敬愛の念あればこその著作には違いないが、
そういう立場にありがちな「思い入れ」が見事に抑制されている。
 高橋作品、これまでの軌跡、人となりが、高橋さん自身の小説やエッセイを絶妙に
織り込むことによって、個人の感情に流されることなく、
むしろ淡々と綴られている。共感の押しつけが微塵もないことに感心した。
 
 で、私はといえば、著者とは真反対な、個人的思い入れをとりとめもなく
書かせていただく。なにしろ私の個人ブログなもんで……。

 高橋克彦さんが「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞を受賞し、
作家デビューされたのは昭和58年(1983)。
 ちょうどその年、私は小説というものを初めて書いた(乱歩賞二次予選に残った)。
 それまでコピーライター、児童読み物、アニメ脚本などを書いてきたが、
いずれも短いものばかり。乱歩賞の応募規定にあるような400字詰め原稿用紙
350枚~550枚などという長いものは書いたことがなかった。
 よすがは子供の頃からミステリーを読むのが大好きだったということだけ。
読むのと書くのは大違いで、まあ、その後もなかなか苦労することになった。

 「写楽殺人事件」は著者の浮世絵に関する深い知識に裏打ちされた作品で、
歴代乱歩賞作品の中でもことに大きな話題を呼んだ。
 こんな小説、どうやって書けるのだろう。教養もなければ何一つ
専門的知識のない私は、一読して茫然となったものだ。
 それでも応募する身としては、過去の受賞作品にない世界を
題材にしなければ、という大事なことを学んだ。 
 さらに受賞者のプロフィールで彼と私がまったく同じ日に生まれたことも知った。
 1947年8月6日。
 もしも誕生日の日付に運命というものがあるのなら、私もこの賞を獲れるのでは?
 神頼みのような期待と、後がないという状況下で一世一度の根性を出したことで、
それから3年後、私は「花園の迷宮」という作品で受賞を果たした。

 しかし作家になってから、高橋さんと会った記憶はない。
 まあ、私が文壇関係のパーティーに行ったのはほんの数回。
高橋さんは盛岡在住。機会もなかったのだろうが、年月がたつにつれ、
誕生日の数字に意味などないことを思い知ることになった。
 
 私はこの評伝を読む前から、エッセイなどで高橋さんの生まれ育ち、
作家への軌跡を知っていた。裕福な医師の家に生まれ、演劇、音楽、
勉強と青春をめいっぱい謳歌。両親はじめ、親戚もやさしく見守り、
惜しみなくその才能をバックアップした。
 なにしろ17歳の時に「ビートルズに会いたい」という理由で
親がかりのヨーロッパ旅行をしている。当時、こんな若い身空で
優雅な海外旅行のできる日本人などまずいなかったから、
 ロンドンのビートルズコンサート会場でも目立った。なんとポールが
手を振ったりジョンがウインクしたりで大歓迎。
 ついには4人と並んで舞台に立ったのだ。

 同じ日に生を受けた私はといえば、ものごころつかないうちに両親が離婚。
二人とも私を置いて去っていった。保護者と言えるのは祖母だけ。
 八歳になった時、その祖母も入水自殺し、私は血のつながらない女性の元に。
 それから15歳になるまで、彼女の二人の子供の世話と家事にこき使われ、
暴言暴力にさらされ、勉強などしようものなら虐待がさらにひどくなる、
という環境で子供時代を送った。
 中学三年の時、ようやく実母の元に引き取られたが、愛されはしなかった。
高校生の時だったか「将来、作家になれたらいいのになあ」と呟いたら、
母は思いっきり馬鹿にした表情で
「あんたの場合は作家じゃなくてサッカクでしょうが」と吐き捨てたものだ。
 私も「誰にでも、言えなかったことがある」(清流出版、祥伝社)という
自伝めいたものを出しているので、ご興味があれば高橋さんの評伝と
読み比べていただきたい。
 占星術も四柱推命もいかに宛てにならないかがわかるだろう。

 それでも運命というものがあるとすれば……などと、
いまだに妄想することがある。
 高橋さんと私は宇宙のどこかからから流れてきた一個の隕石だったのかも。
地球に落ちた時、端の方が欠けた。そのカケラが私だったのだ。
 作家としての高橋さんはベストセラー街道まっしぐら。
 乱歩賞を皮切りに直木賞だの吉川英治文学賞だの、ありとあらゆる賞を獲得。
「炎立つ」「北条時宗」とNHKの大河ドラマの原作を二回も書いている。
 本格歴史小説からSF,ホラーに至るまで何を書いても高評価され、売れる。
 おまけに彼は「見える人」である。生霊も死霊も見えるのだ。
(エッセイにはそういう体験がいろいろ。創作じゃないから怖いぞ!)
 一方、カケラの私は隕石の持つ能力をほんのちょっと受け継いだだけだから、
そうした華々しい作家生活とは無縁だった。
 秘書だのアシスタントだのが必要になったことは一度もない。
 この世ならぬなにかが「見えた」ことは何度かあるが、
そうした能力が備わっているとはとても言えない。
 まあそれでも「カケラ」だったおかげで今日まで文章を書いて食べてこられた。
 そして、見上げるばかりだった高橋さんと、数年前からフェイスブックの「友達」
になっている。

 この評伝を読んだことで、あらためて思い知った。
 私が高橋さんのような作家になれなかったのは、書くことに対する情熱、
さらにより良いものを書くためのたゆまぬ努力、それが圧倒的に
足りなかったからである。
 「カケラ」だったせいではない。
 高橋ファンだけではなく、これから作家になろうと思う人には
ぜひ本書を読んでいただきたい。エジソンは「天才とは1%とのひらめきと
99%の努力だ」と言ったそうだが、まさにそのとおりだと思う。
 作家・高橋克彦がどのような「ひらめき」を持ち、どのような「努力」を
積み重ねてきたかがよくわかる。私も作家を志す前に本書を読みたかった。

 相変わらず盛岡と横浜に離れている上、コロナの時代でよけいに距離ができた。
生きているうちに高橋さんと会うことは、おそらくないだろう。
 
 でも、いつか互いが地球を離れた後には、宇宙のどこかで
また一つの隕石として結びつく……という妄想を、実はまだ捨てていない。
 1947年8月6日生まれの特権である。
 

コメント一覧

yokohamaneko
酔華さん
 高橋さんは正史もその裏側も専門家
以上に勉強し、その上で書いておられるので
伝奇小説であっても荒唐無稽にならないのですね。
 私も読み直さなければと思っています。
 しかし生きてる内に評伝が出るとは、さすがです。
酔華
「写楽殺人事件」はすぐに買って読みました。
衝撃的だったことを覚えています。
あれから40年近く経っているんですね。
その後、この人の本はあまり読んでいませんが、
ご紹介の「作家という生き方 評伝 高橋克彦」を読んでみようと思います。
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