冬桃ブログ

同世代の死

 立松和平さんが亡くなられたことをニュースで知った。親交があったわけではないが、
以前、三重県が鳥羽マリン文学賞というのを主催していた時、審査員として何度かご一
緒させていただいた。
 それっきりだったが、昨年、横浜でばったり遭った。立松さんはテレビの撮影中だっ
たようだ。
「お久しぶりです」
「どうもどうも」
 というような挨拶を交わして別れた。
 立松さんは私と同い年である。
 
 同い年の人には無条件で、ある種の親しみを覚える。同じ時代を生きてきたという同
士的共感だろう。
 だから同い年の人が亡くなると、置き去りにされたような気分になる。
 私は長生きをしたいとは思っていない。むしろ、老いて人間の尊厳を保てなくなった
状態で生きることになったらどうしようと、そっちを恐れている。昨日の朝も、「てき
とうなところで身辺整理して、エイヤッとあの世へ飛んで行けたらいいのにねえ」
 なんてことを、同い年の友人と電話で話したばかりだった。

 昨年、自殺した加藤和彦さん(同い年)などは、実際、そうなさったわけだが、人間
なかなか、「適当な時期」を見計らうことができない。エイヤッと向こうへ行く方法も、
人に迷惑をかけず、自分のプライドも守って……などと考えているとじつに難しい。
 私などいつもそのことが頭にあるのに、時期も方法もまだ決定できないでいる。
 
 それで気になるのは多島斗志之さんのことだ。
 私が作家になった ばかりの頃、パーティーでお見かけした。好きな作家だったので
「あ、多島さんだ!」と胸ときめかせたが、誰かに紹介を頼んだり自分から話しかけた
りする勇気はなく、ただそれだけのことになった。

 昨年の十二月、多島さんが「遺書」のような手紙を残して行方不明になっている、と
いう記事が新聞や週刊誌に出た。右目を失明し、左目まで悪化したことでもう自分の人
生に決着をつけようと決心なさったらしい。
 多島さんは私より一つ下。でも同世代だ。直木賞候補にもなった実力のある作家である。
 作家にとって目が見えなくなるのはほんとに辛い。口述筆記があるとか、誰かに読ん
でもらえばいいとか、他人は言うだろうが、そう簡単なことではないだろう。

 多島さんの手紙にもあったらしいが、日常の介助を誰かにしてもらわなければ生きら
れないというのも辛い。亡き夫を看取り、いま母を看ているから切実にそう思う。
 多島さんはお子さんがいらっしゃるから、子供達に迷惑をかけないためにも、こうし
た手段を選ばれたのだろう。
 なにもかもきれいに精算し、彼はどこかへ姿を消した。推理作家だから、捜し出され
ないよう、あらん限りの知識と知恵を駆使なさったかもしれない。
 いまだに行方はわからず、ご家族が捜索のためのブログを立ち上げておられる。私も
気になって毎日、見ずにはいられない。↓

「父、多島斗志之を探しています」 http://ameblo.jp/suzilard/
 
 昨年、やはり私と同い年の加藤和彦さんが自分で命を断った。
 考えはしても実際にはなかなかできないことをついに決行するとき、その引き金にな
るのはなんだろう。
 そこでまたふと、昨年、偶然お目に掛かった時はお元気だった立松さんへと思いが戻る。
 同世代がいろんなかたちであの世へ旅立つようになった。じつを言うと、私は「あの
世」なんてものを信じていない。でも時代の精神といったものは、どこかにかたまって
浮遊しているような気がする。私もそこへ潜り込めばいいんだと思うと、寂しさも心細
さも少し薄れる。
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